弓道の日


~ 九月十日(木) 弓道の日 ~

 出席番号25番 保坂


 ※摩頂放踵まちょうほうしょう

  自分を犠牲にして誰かのために尽くす。




 教室の後ろに積まれた高級木材。

 プロが使うような最新の工具に。

 ありとあらゆる文房具。

 本格的なメイク道具。


 そしてやたらと高い送料。

 なんだこの特急料金って。


「さて、どうしたもんか……」


 おそらく、このクラスの全員が。

 のべ数百回は口にした言葉を。


 俺は今更呟いた。



 そんな俺の姿を。

 昨日から、ずっと見つめ続ける相棒。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 機転は利くが。

 世間知らず。


 せめて世間というものを良く知っているやつだったなら。

 アイデアの一つも出た可能性はあるんだろうが。


「……そんな顔すんなって」


 お前が責任感じる必要なんかねえ。


 俺も。

 いや、クラスの誰もが。

 いいアイデアなんか思い浮かばないんだから。



 まるでお通夜ムード。

 そんな俺たちの席の周りには。


 進行総務班の面々が。

 暗い顔を寄せていた。


ーみん、ものほんのお嬢だから……」

「金銭感覚無い子一人に買い出しさせるなんてね」

「どうすんだよこれ。夢野んち金持ちだから出してもらう?」

「じゃあ、責任者のしまっちゅが言えよ。ちょっと法外な買い物だったから親に出して貰えって」

「まあ、安西が適任だよな」


 いやはや。

 酷い案が出て来たもんだ。


 でも、大人の介入が無きゃ。

 どうしようもないのも事実。


 責任を押しつけられた委員長。

 こいつは、誰の目を見るでもなく。


「…………それしかないわよね」


 ゆっくりひとつ頷くと。

 躊躇しながらも席を立った。




 ……俺が。


 数の暴力が嫌いな理由は。


 勇気と思いやりと。

 優しさを持ったやつが。


 損するからだ。


 自己犠牲精神を否定する世の中なんて。

 納得いかねえ。


 でも。

 どうやら、日本って国は。

 いや、少なくとも今のこのクラスは。


 俺が嫌いな世界そのもので。


 摩頂放踵まちょうほうしょう

 そんなことを進んでできるこいつが。


 世渡りが下手なこいつが。



 損な役回りを負わされようとしている。



 ……バカだなお前は。

 いやだいやだゴネたり。

 今までみてえに俺に丸投げしたらいいのに。


 もし、そうしていたなら。

 ほっとくつもりだったのに。


「……邪魔よ保坂。あたしの前に立って、何のつもり?」

「俺が邪魔して足を止めたってことは、こうして欲しかったって事だろうが」


 驚いて、目ぇ見開いてんじゃねえよ。

 百人いたら百人が足止めるっての。


 こんな子供だましに引っかかって。

 図星つかれた、なんて顔してんじゃねえ。


「俺が監督なんだ、勝手な真似は許さねえ。……必ずなんとかするから」


 まあ、なんとかできるんならとっくにやってるんだが。


 こう言うしかねえだろう。


 そんな、らしくねえこと言った俺を見ていた委員長が。

 あっという間に半べそ顔。


 俺に向かって手を伸ばして。

 一歩踏み出したところで。


 秋乃の顔見て、ハッとしながら。

 手を自分の胸元に戻して。


 ぎゅっと握りしめた。




 ……お前、今。




 抱き着こうとした?




 あぶねえええええ!

 ちょっと待てよなにしようとしてんの!?


 俺、そんなことされたらきっと四文字熟語連呼して逃げだすよ!?


 また陰で『三大イケメン(笑)』とか呼ばれることになるっての!



 とんでもねえことにならずに済んだのは。

 委員長が秋乃と俺の関係を勘違いしてくれたおかげか。


 助かったぜ。


 ……って。

 お前は何してんの?


 わたわたしながらカバン漁って。

 取り出したもん俺に張り付けてきたけど。


 一体何をくっ付けかのかと剥がしてみれば。


 こいつはまごうこと無き。




 熨斗のし




「うはははははははははははは!!! って俺はいつからお前のもんになった!?」


 ふざけんなよこのやろう!

 ひとまずお前のおでこに返却だ!


「あはははは……」

「舞浜ちゃん、そりゃ酷いよー」


 まあ、文句は山ほどあるが。

 お前のそういうとこ。


 ほんと頼りになる。


 苦笑いとは言え。

 みんながリラックスしてくれたし。


 笑う門には福来る。


「……保坂。舞浜ちゃんに冷てえよな?」

「そ、そうよ! もっと優しくしてあげなさいよ!」

「まてまて。今、のしつけて献上されそうになったの見てなかったの?」

「そのくらい我慢しなさいよ男子なんだから」

「どんだけヒエラルキーの底辺にいるんだよ俺!?」


 一転して和やかなムードの中。

 委員長も笑ってくれている。


 そうだよ。

 もっと笑え。


 人間、笑いさえすれば……。


「……しまっちゅ、ゴメンな? 俺、お前に嫌な役押しつけたりして」

「あたしも……。許してくれる?」

「うん、平気よ?」


 そう。


 誰だって、笑いひとつで。

 人間味ってやつを取り戻すことができるんだ。



 ……そのためになら。


 俺が笑われるのは悪くない。



「謝らないでいいってば、みんな。だってこいつが何とかしてくれるらしいし」

「いやいや委員長。お前、そう言わなきゃ止まんなかったろ? ノープランで止めたんだから一緒に考えてくれよ」


 そして今度こそ。

 みんなが腹から笑う。


 これならきっと。

 いいアイデアが浮かぶことだろう。


 ……でも。


「立哉~! お前、しまっちゅ惚れさせようとしてたな~!?」


 お前による笑いは。

 なんか邪魔。


「そういうんじゃねえだろ。話の前後関係聞いてたんなら分るだろ?」

「いいや絶対そうだね~! 弓道部のマドンナをかけて~、どっちの矢がしまっちゅのハートを射止めるか勝負だ~!」

「……秋乃」

「ほいきた」


 俺が声をかけるや否や。

 秋乃はパラガスのおでこに熨斗のしをぺたん。


 でも、こいつをどこかに送りつける前に。

 クラスのみんなが大騒ぎを始めた。


「え? しまっちゅをめぐって二人が勝負!?」

「パラガス君と……、保坂!?」

「ほんとに!? キャー! 夢のシチュエーション!」

「舞浜ちゃんはどうするんだよ立哉!」


 さっきまでのお通夜ムードはどこへやら。

 まあ、望んだ空気と言えばそれまでなんだが。


 このクラスの連中。

 揃いも揃ってなんでこうなんだよ。


「……わりい。迷惑だよな、委員長」

「ほんとよ、不幸だわあたし。よりにもよって保坂と長野って。どっちが勝っても嬉しくない」

「まあ、俺は勝負する気ねえけど謝っとくわ」

「ちょっと」

「そしてお前はなに作ってる」

「弓矢……」


 なにからなにまで。

 ほんとぶれないねお前は。


「できた」

「そして早いな相変わらず」

「ようし、勝負だ立哉~!」

「しねえよなに言ってんだよ」


 弓矢構えて。

 やる気満々のバカ。


「一人で遊んでろ。……って言っても、的がねえか」

「できた」

「いたれりつくせりだな」


 弓矢に続いて。

 秋乃が作った的は。


 田んぼで見かける。

 鳥よけの目玉風船。


 それを黒板に張り付けながら。

 秋乃が言い放った一言は。


「これで……、ね? 真ん中に近い方の勝ち」

「うはははははははははははは!!! 即割れるわ! どこに刺さったか分からねえだろうが!」

「……あ」


 あ、じゃねえ。

 委員長に迷惑だからその辺にしとけ。


 俺は、呆れながら的の回収へ向かうと。

 顔をかすめて何かが伸びる。


「何やってんだよパラガス!」

「絶対当てたいから~。改造してみた~」

「雨とい付けてんじゃねえ!」


 弓、いらねえだろそんなの付けたら!

 あと、備品無駄にすんな!


「そんな不正して買ってうれしいか?」

「不正じゃないよ~? 大会ルール~」

「ねえよ」

「俺がスポンサーの大会だからルールも自由~」


 …………なるほど。

 たまには役に立つな、お前。



 スポンサーか。



「よし、ちょっと光明が見えて来たな」

「俺に勝つ気でいるのか~? しまっちゅは渡さん~!」


 猛るパラガスは放っておいて。

 俺は、仏頂面の委員長に声をかけた。


「いいアイデア思い付いた」

「ほんと? ……まさか、弓矢勝負の方じゃないでしょうね」

「ふざけんな」

「やっぱ、口説こうとしてる?」

「ほんとふざけんな」


 俺には冷たい委員長の。

 軽口に腹を立てると。


 こいつは、不意に。

 にっこり笑った。


「じゃあ、任せていいのね?」

「まだどうなるか分かんねえけどな」

「そう。…………あと」

「ん?」

「さっきはありがとね」


 よせよ。

 調子狂うから。


 どうにも慣れねえこと言われて逃げた俺の目に。

 最後に映った委員長の笑顔は。



 随分と。


 可愛かった。

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