男色の日


~ 九月九日(水) 男色の日 ~

 出席番号23番 日向さん


 ※旌旗巻舒せいきけんじょ

  戦いはまだ続く。




 言われるとは思ってたけど。

 気構えはできてたけど。


 でもやっぱり恥ずかしい。


「保坂君……、牛乳臭い?」

「気のせいじゃねえか?」


 言い辛いこともはっきりと言う。

 男子には容赦のないこいつ。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 凜々花のせいでこうなったって説明したら。

 他人のせいにするなって叱られるに決まってる。


 だからって、これを自分のせいにするのは忍びねえし。

 黙っとこう。



 そんな秋乃と俺は。

 今日も姫くんからレッスンを受けていたんだが……。


「お前ら、特訓でもしたのか? 中学生レベルにはなってるぞ」


 なんだか。

 中途半端に褒められた。


「俺は親にしごかれたんだが……、秋乃は?」

「わ、私もしごかれた。……春姫に」


 うん。

 そんなに恥ずかしがらないで良いぜ。


 俺もほんとは。

 八割方凜々花から教わったんだから。


「とは言えまだまだ。急いでレベル上げてくから必死についてこい」

「お、おお」

「ぐ、具体的にはどれくらい?」

「そうだな、あれぐらいにはなってもらわないと」


 そう言いながら。

 姫くんが指差す先では。


 いつものように。

 王子くんがエチュードという名のナンパ中。


「麗しきお姫様! 君のために、僕は読み合わせをサボって会いに来たよ!」

「キャーっ!!!」


 うん。

 サボんな。


 あと。


 王子くんだけじゃなくて。

 お前もサボんな。


「いいな~。姫くん、女子に人気あって~」

「……パラガスも芝居の腕磨いて、委員長にやってくれば?」

「でも~。俺があれやっても笑われるだけだよ~」


 さもありなん。

 まあ、こればっかりは他人のこと言えねえけど。


「結局、ルックス良い奴がやるからもてるんだよな」

「そうそう~!」


 珍しく、パラガスと共感。


 呆れ顔向けてる秋乃は無視して。

 二人でがっくり肩落としてると。


「……そんなことねえぞ、長野」


 姫くんがぐいっと腕まくりして。

 細く鋭く息を吐く。


 そして。

 王子くんを軽く上回る迫真の演技を始めた。


「どうか自信を持って! あなたの気持ちは、ちゃんと伝わるから! 私は……、私は……、ぐすっ。……あ、あなたの恋が、きっとうまくいくって……、信じてる、よ?」


 ほんとにうめえな姫っ!

 秘かに隠した恋心が余すことなく伝わって来る!


 リアルよりもリアル。

 これが本物のお芝居か!


 ……なんて。

 感心してる場合じゃなく。


「気持ち悪い~! でも嫌なのに! 嫌なのに好きになっちゃう~!」


 芝居の上では。

 姫くん、女性役なのかもしれんが。

 これじゃどう見ても。



 とんだBL。



 女子が。

 『きゃー』と『ぎゃー』の間っこぐらいの声で騒ぐ中。


 王子くんが、なんだか悔しそうにこっち見てるけど。


 ……これは。

 芝居の腕を悔しがってるのか。


 それとも。



 やきもち?



「とまあ、芝居しろって訳じゃねえが。雰囲気とか色気とか、ブサイクならブサイクなりに工夫しようはある」

「なんだよ~! ブサイクって言うなよ~!」


 そんな騒ぎで羽目が外れちまったのか。

 いたるところで始まる口説きエチュード。


 都度、歓声が上がったりしてるけど。

 この中で、何割くらいがガチなのかと呆れて眺めていたら。


「た、助けて……」

「お願い、お姫様! いつでも私の隣にいて欲しいの! こんなに愛してる!」


 アシュラこと、日向さんが。

 秋乃の腰にがっつりしがみついていた。


「……またお前は。懲りん奴だな」

「うっせえし! 保坂菌がうつるとうんちく語りだして嫌われるからあっち行って欲しいし!」

「お前、まず俺と友達にならなきゃ秋乃の友達になれねえってルール覚えてねえの?」

「そんなの知らねえし! ……あと保坂、なんか牛乳臭くね?」

「…………気のせいだし」


 乾ききるかどうかギャンブルだが。

 帰ったら急いで洗濯しよう。


 そして、アシュラから距離を取った俺は役に立たないと判断したのか。

 秋乃が姫くんに助けを求め始めたけど。


「こら。そんな小声で演技しても客に伝わるわけねえだろ。日向を見習え」


 頼る相手を間違えたせいで。

 アシュラとセットで演技指導され始めた。


「嫌だという想いを伝えるにはモノローグもアリだ。客席の上空に向けて語り掛けるように……、スタート!」

「ほ、ほんとに迷惑……、ね?」

「カットカット! 半笑いでどうする! モノローグとはすなわち飾らない心! 心底嫌そうな顔でもう一度! あと日向はもっとしっかりすがりつけ! 顔をうずめながら!」

「すげえ通行手形貰ったし! そんじゃ遠慮なくもふっ!」

「いやあああ! は、離れて……!」

「あたし、このまま死んでもいいし!」

「いいぞ日向! もっと顔をオーバーアクションで擦りつけろ!」

「ふもふもふもふも!」

「ぎゃあああああ!」


 姫くんの指導のせいで。

 アシュラはやりたい放題になってるが。


 エチュードって。

 友達もいない俺には無縁の遊び。


 放っておいて、凜々花先生が台本にぎっちり書いたト書きを読み返そう。


 ちょっと疎外感。

 でも、昔から慣れ切った空気に包まれながら台本開いたら。


「ほ、保坂……。お芝居に付き合ってくれる?」

「ん? …………はあっ!?」


 意外にも。

 俺の目の前には数人の女子が並んでて。


 しかもその筆頭。

 もじもじしながら立っているのは。


「委員長……。いや、何の冗談だ?」

「じょ、冗談じゃないよ? あたしの本当の気持ち、受け取って欲しい……」


 え? え? え?


 なにこれ、お芝居始まってるの?



 それともガチのやつ!?



 何をどうしたらいいか分からず、ただのカカシになり果てた俺に。

 委員長が勝気な目を少し潤ませながら近づく。


 胸元に迫った黒髪ロブから漂うバニラのような香りが。

 ただでさえなくなっている思考能力を根こそぎ奪う。


 そして息もかかるような距離で俺を見上げた委員長は。

 震える唇を一旦ぎゅっと噛み締めると。


 意を決したように呟いた。


「……保坂君!」

「お、おう……」

「もうちょっと嫌味な言い回し控えないと気持ち悪い」

「ぐっはああああああ!」


 ギャ、ギャップ萎え……。


 いやこれは。

 袈裟切り真っ二つ!


 そしてもだえ苦しむ俺に。

 追い打ちの白刃が雨あられ。


「確かにね! なんかみんなのこと見下すような目してるよね、保坂!」

「ぐはっ!」

「言われてみれば……。クールを装ったオタク系の空気……」

「ぐああ!」

「三大イケメンって愛称、いじられキャラの保坂については皮肉ってことに気付いてないのかな?」

「ぐおおおおおお!」

「喋るの苦手なくせにつっけんどんキャラとか、やめればいいのにね!」

「ひぎゃああああ!」


 もう立ち直れねえ!

 ああそうだよどうせ人付き合い下手くそだよ俺は!


 みんなしてクスクス笑いやがって!

 涙目になったら急にフォローし始めて!


 冗談だよとか言われても!

 愛されキャラだよねとか言われても!


 今更遅いっての!



 ……だが、そんな時。



 ヒットポイント残り1でうずくまる俺のもと。

 慌てて駆け寄って来た唯一の親友が。


 切なそうな顔で。

 俺に回復呪文をかけてくれた。


「保坂君……! えっと、あの……、何て言うか……」

「お、おお……」

「あ、あのね? 私、思うんだけど……」

「思うんだけど?」

「……やっぱり、牛乳臭い」

「うはははははははははははは!!! とどめさしに来たのかお前は!」


 もちろんヒットポイントゼロ。

 でも、なんか逆に救われた心地だ。


 やっぱり笑いはいい。


 女子からこうして。

 悪いところを指摘された経験も。

 考えてみりゃ初めてのこと。


 改めて自分を見直せた経験として。

 お前らの言葉は真摯に受け止めよう。


 そう、前向きに捉えることができるのは。

 笑ってる連中の内、一人だけは確実に。


 俺を笑わせようとして。

 イジワルしてきたやつがいるおかげ。



 ……文化祭の方は。

 難しい問題が全部片付いたわけだし。


 こんな機会に。

 友達を増やしてみるのはどうだろう。


 とりあえず、今言われたことから。

 客観的に自分を見つめてみようかな。


 そう思いながら立ち上がると。

 後ろから、くいくい袖を引かれた。


「ん? 夢野か。なんだよ」


 おっと。

 このつっけんどんがダメなのか。


「……すまん。どうした?」

「備品ー。買っといた感じー」

「ああ、そうだったな」


 領収書を受け取る俺に。

 苦笑いを向ける夢野さん。


 どうしよう。

 すげえ大変だったろうに。


 感謝の気持ちを。

 口に出す方がいいんだろうか。


 めちゃくちゃ恥ずかしいけど。

 せっかく学んだばっかりだし……。


「た、大変だったろ。……あ、あ、ありがとう。助かった……、よ」


 ……普段の俺なら。

 距離が分からない相手には。

 絶対に言わない言葉。


 それがどうだ。

 ちょっと頑張ってみただけで。



 夢野さんは。

 一つ息を飲むと。



 俺の目を見て。

 そして。



 凄く嬉しそうに。

 微笑んでくれた。



「なあにー? あたし、係だから仕事しただけだよー?」

「そ、それでもだよ。俺だったらめんどくせえって思う程の量だったし」

「全然平気ー。保坂君の方が大変そうだしー。あとちょっとだからがんばろー」



 …………夢野さんの言葉に。

 思わず涙がこぼれそうになった。


 そんな俺の変化にも。

 こうして、目を見て話していたから。

 すぐに気付いてくれる。


「……どうしたのー?」

「い、いや、なんでもねえ」


 さすがにここはつっけんどんでいいだろ?

 俺は袖で目元を押さえながら夢野さんから遠ざかる。


 ……この文化祭を通して。

 俺は。

 もしかしたら。



 変われるのかもしれな…………、ん?



 今更気付いたんだけど。

 領収書の数字。

 おかしくね?


 材料と工具。

 八万円くらいのはずだ。


 それが。

 なにこれ。


 一、十、百、千…………。



「百万円んんんんんんんん!?」



 ……楽しい雰囲気だった教室が。

 俺の大声で。

 一斉に静まり返る。


 人間付き合いとか。

 空気読むとか。


 もう、どうだっていい。


 

「どうすんだよこれ!!!」


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