第8話 学生コンペ-1 

 シモンが夏樹に持ち掛けたコンペは、ショッピングセンターと、大手玩具メーカーの協賛で行われる。エントリー期限は八月の末日。夏休み中の学生に合わせたスケジュールだ。


 ショッピングセンターのある4区はパリのセーヌ川沿い、市のほぼ中央に位置する20の行政区の一つだ。長く貴族たちが居住していた歴史的な地域であると共に、百貨店、商業施設などを併せ持つ流行の発信地でもある。

 参加単位は二名以上の学生のグループ。学部は広範囲に定められている。

 

 このコンペは、二つの企業のPR活動の一環でもあるようだ。


「僕らが将来彼らの顧客になる可能性もあるわけだ。このコンペの参加要件が幅広く設けられているのは、学生たちへのアドバタイジングでもあるんだよ」


 シモンが言うと、


「そんな先の話を……」


 言いかけて、マリーの言葉が夏樹の頭をよぎった。


 “夏樹はいいパパになるわよ”


 自分が家庭を持つ?

 イメージがわかない。

 茉莉香は好きだ。一緒に暮らしたいと思う。それは家庭を持つと言うことを意味するが、その二つが一致しない。


 シモンの視線に気づき、我に返った。

 無言のままこちらを伺っている。


(こいつ! また俺の腹をさぐっていやがる)


 気恥ずかしいのか、腹立たしいのか……。

 気分が悪い。

 理由のわからないモヤモヤが心に起こり、それが喉元まで上がってきた。


「先のことだ! 夢みたいなこと言ってないで、もっと今やることに集中しろ!」


 思わず声を荒げる。


「えっ……! えぇぇ!!??? 何をそんなに怒っているんだい? 顔が真っ赤だよ!?」


 夏樹の剣幕にシモンが怖気づいている。

 

 慌てるシモンを見て、冷静さを取り戻すと、かっとなる必要はなかったことに気づいた。シモンは別に、茉莉香と自分のことを、どうこう言っているわけではないのだ。

 頭を冷やすというのは、こういうことを言うのだろう。

 

 軽く咳払いをすると、

 

「まぁ、ひとまず、ショッピングモールへ行ってみよう」


 と、言った。


「そ……それがいいね……」


 冷静さを取り戻した夏樹を見て、ほっとしたようにシモンが言う。


 二人は、揃ってショッピングモールのキッズルームへ出かけた。


 赤、黄色、青……原色の幾何学模様の壁にキッズルームは囲われていた。


 そして、玩具メーカーがプロデュースしているだけあり、様々な玩具が並べられていた。

 お絵描きボード、大小さまざまなサイズのブロック、パズル、フエルト製のボール、鍵盤や太鼓のついた音の出る玩具、人形、絵本……。 

 子どもたちが嬉々として遊んでいる。

 

 滑り台のような大型の遊具はなく、各々が好きな遊具で遊んで過ごす場のようだ。


「なかなかいいデザインだな。これなら改装する必要もなさそうだけど……」


 男二人連れで来ていることに、居心地の悪さを感じながら夏樹が言った。

 シモンが同行してくれてよかったと思う。

 自分一人だったら、不審者扱いされかねない。


「そうだろ? だけど、設備の割にリピーターが少ないらしいんだ」


「へぇ……」


 意外としか言いようがない。

 スペースは新しく清潔で、玩具はどれも遊びやすそうだ。


(あのソフトビニールのブロックは面白そうだな。組み立てると家の形になるのか……)


 好奇心がくすぐられる品々だ。

 人目なければ試してみたいと思う。


 こういう時はどうすればいいのか?


「まずは、子ども目線で考えてみるか」


「それはいいけど、どうやって?」


 シモンは夏樹の答えを待った。





「……だからって、こんな……」


 シモンが愚痴を言う。


 夏樹とシモンは、炎天下の公園で子どもの観察をしていた。

 夏樹はパーカーのフードを被り、サングラスをかけている。


「しょうがないだろ。保育園の前でやってみろ。それこそ不審者として通報されるぞ」


「そんなこと言ったって、君のその恰好がすでに不審者だよ」


「俺のどこが不審者だって!?」


 夏樹はシモンの愚痴を無視した。


 二人はじっと座ってベンチで子どもを観察し続けた。


 


 芝生の上を子どもが走り回り、それを母親が見守っている。

 平和な光景だ。

 

 この暑さがなければ……。


 朝の八時からこの場所にいるのだ。

 次第に日が高くなり、気温が上がる。

 じわりと額に汗がにじみ、手の甲でそれを拭った。


 それでも、目を凝らして子どもたちの遊ぶ姿を見つめる。


 日差しはさらに強くなり、じりじりと照りつける。

 子どもたちは、暑さを苦にすることもなく園内を走り回り、案じた母親たちに呼び戻された。

 子どもたちは、小さな頬を不服そうに膨らませながらも、母親たちのもとに駆け寄る。

 

  …… ブ… …ン ……

  

 蜜蜂の羽音が耳をかすめる。

 

 午前中とは言え、この暑さだ。

 母子がここで遊ぶ時間は短い。

 訪れては帰るのを繰り返し、常に人が入れ替わる。

 

 


「シモン。入れ替わりが激しくて、落ち着いて観察できないな」


 話しかけるが返事がなかった。

 様子がおかしい。


「おい? どうした?」


 見ると、シモンの顔が紅潮し、今にも湯気が立ちそうだ。

 呼吸も荒く、大きな体から大粒の汗が滝のように流れ出ている。


(そうか……こいつは、俺よりも体温が高いのか……)


 しかも帽子をかぶっていない。

 夏樹はフードをかぶり、サングラスをしている。

 シモンは全く紫外線対策をしていないのだ。


 このままでは熱中症になる。

 どこか涼しいところに移動して、水分を補給させなくてはならない。


「おい! シモン! 今日は、これまでにしよう!」


 そう声をかけ、その場を立ち去ろうとしたとき、背後から肩をたたく者がいた。


「君たち……ちょっと、話を聞かせてくれるかな?」


 警官が立っていた。







「不審者扱いされちゃったよ〜。君があんなに子どもたちをじろじろ見るから……」


 何本目かのスポーツドリンクを飲み干しながら、シモンが恨めしそうに言う。


 二人は冷房の効いたショッピングモールで休息をとった。

 涼しい風が心地よい。

 暑さから解放され、ようやく人心地がつく。

 

 夏樹は、


(またボトルを空にしたぜ。これで何本目だ? 確かに水分が多そうだよな。こいつ……)


 そんなことを考えながら、


「まぁ、警察署に行かなくてすんでよかったじゃないか」


 と、だけ言った。



 二人は、公園で子どもを遊ばせていた主婦に通報されたのだった。

 この炎天下、男が二人、幼児を凝視していたのだから無理もないだろう。


 だが、夏樹が自ら学生証を見せ、行動の目的を説明すると、警官たちはそれを信じた。

 そして、 “これからは紛らわしいことはしないように” と、厳重注意を受けた後、解放されたのだ。


 それにしても、そんなおかしな目つきで眺めていただろうか?

 納得がいかない。


 だが……公園で子どもを観察したが得るものはなかった。


「やり方を変えるしかないな」


「どんな……?」


 シモンはすっかり怖気づいている。

 夏樹が再びとんでもないことを思いつくのではと、恐れているようだ。


 夏樹は、


「これから考える」


 と、言った。









 











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