第7話 ウォーミングアップなんて言うな!

 夏摘みセカンドフラシュッの茶葉を求め、夏樹はles quatre saisonsパリ支店へ向かった。


 サンジェルマン=デ=プレ教会近くの支店は、茶葉の販売のみを行っている。

 建物の外観は古く、伝統と趣のある街並みに溶け込んでいた。

 

 だが店内に入ると、それは一変する。

 

 木目調の壁にフローリングの床。生成きなりの麻のカーテンから透ける陽が、室内をほんのりと照らす。入り口に配置された、子どもの背丈ほどのパーラーパームの観葉植物。

 東南アジアのリゾートホテルをイメージした内装は、フランス植民地時代の富裕層の生活を彷彿とさせた。


 壁際に沿って茶葉の缶が並んでいる。

 中央にガラスのテーブルがあり、ガラス越しに茶葉の見本が眺められるようになっている。

 テーブルにはカーテンと同色のソファーが添えてあり、客たちはここで、品物の会計が終わるのを待ったり、試飲をしたりするのだ。


 夏樹が店内に入ると、


「いらっしゃいませ。今日は何になさいます?」


 内装は変わっても、この温かい出迎えは日本と変わらない。

 

「あの……夏摘みをお願いします。二十グラム」


「少々お待ちください」


 店内は、店長と売り子の三人体制だ。

 男性はスーツ、女性はブラウスにベストとスカート。

 ホテルのスタッフというコンセプトだろうか?

 

 それほど混んでいないので、ゆっくりと茶葉を選んで買うことができる。


 椅子に座って梱包が済むのを待つ間、


「まだ、暑いですね。こちらをどうぞ……」


 春摘みファーストフラッシュの水出しアイスティーを小さなカップで差し出される。

 金色の水色すいしょくが美しい。


「ありがとうございます」


 そう言って、一気に飲み干した。

 冷たい液体が喉を潤し、外の暑さを忘れさせる。


「お待たせいたしました」


 店員の声で我に返る。


「いつもありがとうございます。今日は、スコーンをサービスでお入れしました。早めにお召し上がりになってくださいね」


 と、笑顔で言う。


「ありがとうございます」


 店員に見送られ、店を出た。


「それにしても高いな。二十グラムでこの値段とは……」


 それでも来ずにはいなれない。


 夏樹はここに来るたびに、目で追うものがある。


 maricaマリカの茶缶だ。


 茉莉香ジャスミンの花輪の中に描かれた少女の横顔は、初めてであった頃の茉莉香を思い出させる。あどけなさが残る、高校生だった茉莉香だ。


 由里から送られた茉莉香の画像を思い起こす。

 上質の新しい制服を着た茉莉香は、はじめてあったころよりも、ずっと美しくなり、しっとりとした落ち着きを薄いヴェールの様にまとっていた。

 艶やかな黒髪が肩から背中にかけて流れ、長いまつ毛に縁どられた瞳が優し気な光を湛えていた。

 まるで夜の湖のように。

 

 その優しさは、いつまで茉莉香の中で守られるのだろうか。

 いつまで自分に優しい微笑みを向けてくれるのだろうか。

 待つことの辛さが、彼女を変えてしまうかもしれない。

 

 このまま……。

 待たせたまま……。 


 茉莉香は日々変わっていく。自分も。

 あの優しい瞳が、誰か他の人に向けられるかもしれない。


 嫌だ。

 そんなことは、絶対に嫌だ。


 距離が、会えない時間が自分たちを隔てていく。

 早く一人前になりたい。

 時折、気持ちばかりが焦る日がある。


 茉莉香に会いたい。

 会って、確かめて、伝えて、守りたい。

 あの優しい光を……。

 

 だが……


「費用がなぁ」


 収支は給付型の奨学金と、バイト代、それから親方からの借金。

 それを回しながらやりくりしている。

 近頃は、近郊への旅行も控えている。

 日本への渡航費用などは、捻出できるはずもない。


 茉莉香が、父親の反対を押し切って会いに来ることは難しいだろう。

 夏樹は、茉莉香の父、耕平との約束を思い出した。








「はい。メカジキのオーブン焼きに、牛すね肉とキャベツのスープよ!」


 シモンの叔母が、夏樹とシモンの前に料理を並べる。

 二人はシモンの叔母の経営する食堂にいる。叔母はシモンに似ている。大柄で人が好さそうだ。

 二人は時折、こうして食事をすることがある。


「いただきます!」


 二人は同時に食事に取り掛かった。


「メカジキ美味いな! 表面にパン粉が降ってあるのかな。カリカリしてる。で、身はしっとり……。脂がのってんだな!」


 夏樹は、フォークで刺した魚を口に放り込む。


「ここはね。魚介もイケるんだ。今度、スミイカのいいのが入ったら、連絡もらうようにするよ。あれも美味いんだ!」


 シモンがスープを口に運びながら言う。


 やがて食事が落ち着き、デザートとコーヒーが出た頃、




「ねぇ、夏樹」




 シモンが声を潜めて話しを始めた。


「なんだよ? やっぱり話があったんだな」

 

 夏樹はシモンを一瞥すると、ミルクに手を伸ばす。


「ああ、でも、きっと君も興味を持つと思うよ」


「?」


 コーヒーのミルクは慎重に入れなくてはならない。

 適量のミルクは、コーヒーの味を引き立ててくれるのだから。


「学生コンペに参加しないか?」


「なんだよそれ?」


 デザートを口に運びながら言う。


「ほら4区のショッピングセンターがあるだろ? あそこのキッズルームを今度改装するんだけど、学生を対象にして、コンペ形式でアイディアを募集しているんだ」


 

「……」




 夏樹がシモンを見た。




「建築というよりは、インテリアデザインに近くて、対象にしている学生の範囲も広いんだ。工芸や美術を学んでいる学生が参加してもいい。もちろん建築学科も。表現の方法は自由なんだ。図面でも模型でも、イラストでも。なんでもいいんだ」


 聞き洩らしてはならない。シモンの方へ身を乗り出す。

 

 チャンスはいつも、身近なところに隠れ、ある日突然姿を現す。

 だから、常に身構えて備えなくてはならない。


「君はガスパールの事務所でバイトをしていて、今まで、そういうことに関心を持たなかったかもしれないけど、こういった学生向けのコンペで実績を積んでいる学生もいるんだよ」


「……」


「本格的なコンペは、ベテランや中堅どころがターゲットのものが多い。けど、これは学生に限られている。入賞しなかったとしても、将来大きなコンペを狙うためのウォーミングアップと考えてもいいだろう? それに、少額だけど賞金も出るよ」


「……お前は……」


 夏樹がようやく口を開いた。


「仮にもコンペだろ? ウォーミングアップなんて言葉を使うなよ!」


 夏樹が語気荒く言うと、


「じゃあ!?」


 シモンの顔がぱっと明るくなった。


「ああ。やってやろうじゃないか。入賞。いや、優勝するんだ!」


 まず、何から始めよう?

 夏樹は、アイディアを探し始めていた。

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