第22話 目撃者
「えっ!? 留学」
突然の義孝の言葉に亘は驚きを隠せない。
“相談したいことがある”
そう言われて、講義のあと、亘は義孝を部屋に招いていた。
テーブルには飲みかけのオレンジジュースがある。
「いえ……まずは語学留学です。高校在学中に休学して半年間」
「どこへ……?」
「フランスです。高校を卒業したら、向こうの大学に入学したいんです」
「何を勉強するんだい?」
「現代フランス文学です」
「ふーむ」
亘は腕を組んで考え込んだ。
講義を受けながら、義孝は自分の道を見つけたのだ。
喜ばしいことだが、容易に実現できることではない。
今までは、趣味の一環として学んでいたが、それを本業とするとなると、十分考える必要がある。
しかも、彼は未成年だ。
一瞬、茉莉香の顔が浮かんだが、それは考え過ぎというものだろう。
義孝は勉学に熱心な少年なのだ。
「それで……僕の両親には亘さんからも説得して欲しいんです。語学留学はなんとかなりそうですが、そのあと、本格的に大学に留学することを認めてもらえるかどうかが……」
「ふーむ」
再び考え込む。
義孝の母親。
顔色一つ変えず、一方的に要求を突き付けてくる女性だ。
その玲子が、しがないカフェ店長の言葉に耳を傾けたりするだろうか?
むしろ逆効果な気がする。
「そうだねぇ。まずはいろいろと調べてみよう。できることは手助けするよ。ひとまず語学留学を目指そう。そのあとのことは、それから考えよう」
「ありがとうございます!」
義孝が目を輝かせる。
めったに見られぬ少年らしい笑顔に、亘の頬も緩む。
何とかしてやりたい気はするが……。
「ふーむ」
感情の読み取れない玲子の眼差しが脳裏をよぎり、重い塊を飲まされたような気持になった。
――ピンポーン――
インターフォンが鳴った。
「お客様ですね。僕、迎えに行きます」
「ああ、すまない。今ちょっと、手が離せないんだ」
亘の声を背後に聞きながら、ドアを開ける。
「いらっしゃい……ま……せ……」
招き入れた客を見て息を飲んだ。
亘がいる!
もちろん、そんなことがあり得ないことは分かっている。
それでも、そう思わずにはいられない。
訪問客は亘と瓜二つだった。
亘と同じ顔、背格好……。
だが、何かが明らかに違う。
男は、グレーのスーツを着て、ネクタイを締めている。
どちらも仕立ての良いものだ。
髪は短く刈られ、整えられている。
眼鏡はかけていない。
「君が兄さんの新しい生徒かい? やぁ、はじめまして」
男は親しみ深い笑みを向けてくる。
温かく活力のある笑顔だ。
「は、……はじめまして」
義孝は、ほっと心が緩むのを感じた。
「兄の教え方はどうだい? 分からないことがあったら、どんどん質問した方がいいよ」
「いえ……とても分かりやすいです」
「君は偉いなぁ。僕は兄さんが何を言っているかさっぱりわからないよ」
謙遜しているのか? いや、本心だ。
だが、照れも、羞恥も反感も感じられない。
言葉だけがストレートに伝わり、それが心地よい。
“兄”男はそう言っていた。
兄弟。
それならば、似ていて当然だ。
だが……
「義孝君。突然で驚いたろう? 僕の双子の弟の茂だ」
双子……
義孝は、ようやく事態を理解し始めた。
「君は、とても賢そうだ」
“茂”の言葉が冷静に響く。
これは亘と同じものだと、義孝は思った。
「今日はありがとうございました。僕はこれで失礼します」
「義孝君。そんなに慌てないで。ジュースがまだ残っているよ。それから、スコーンがあるから、持って帰りなさい。今日中に食べるといいよ」
「はい」
義孝は丁寧に礼をすると、帰って行った。
「お茶を淹れるよ」
亘がキッチンへ向かおうとすると、
「あ、俺、コーヒー。インスタントでいいよ。給湯器から出るお湯でいい。沸騰してなくもかまわないよ。 それで……」
茂は、上着を脱ぐとソファーに座った。
「兄さんがまた学校ごっこを始めたって、父さんが心配していたんだ」
「由里さんだね」
亘が諦めたように言う。
亘の生活ぶりは、父に逐一報告されているのだ。
「そうだよ。兄さん。あの人にあまり心配をかけちゃいけない。相当問題ある子を預かっていると聞いた時はびっくりしたよ」
そして、コーヒーを一口飲むと、
「でも、あの子なら大丈夫そうだな。少なくとも以前の取り巻きよりは、ずっとマシだ」
と、言った。
「お前は容赦がないな」
亘が苦笑する。
だが、二人が彼らをよく思わない理由は、亘自身が誰よりも知っていた。
「なんだい。そんなことで?」
茂は忙しい。その程度のことで、わざわざ来るとは考えづらい。
「まぁね。父さんは兄さんのお気に入りだから」
「お前がそれを言うとはね……」
不肖の息子で、気がかりというのならば理解できる。
だが、茂は嫌味で人を不快にさせるような人間ではない。
「そうさ。兄さんは、母さんに似ているからね」
そして、茂は父に似ている。
それは事実だ。
「それにしても、お前は凄いな。あの子は気難しくてね。僕も手を焼いているんだ。それなのに……」
茂は父に似ている。
一瞬にして人を魅了するカリスマ性があるのだ。
「スコーンがあるけど?」
「あれかい!? 粉っぽくて。クリーム? 塗りながら食べるのは面倒だ」
コーヒーを飲み終わると、
「実はね。もっと大事な話があるんだ」
茂は前置きなく話を進める。
「実はね、父さんに泣きつかれて……」
やはり、父か……
亘は思う。
「兄さんの失脚の真相を調べ直しているんだ」
「それはもう……」
過ぎたことだ。
「それはもういい? 兄さん変わったね。俺はね。父さん以上に兄さんの気持ちは分かるつもりだ。双子だからってわけじゃないけど。子どもの頃からずっと一緒だったから。……道をはずれても、自分でやっていける自信があるんだね?」
茂には、一瞬にして人を見抜く力がある。
「でもね。やはり、兄さんは通るべき道がある。兄さんには道が要されているんだ」
「それはお前のことじゃないか……」
自分たちは子どもの頃から別の道を歩んできた。
「わかってないなぁ。兄さんは王道を歩くべき人間なんだ。選ばれた人間だ。脇道は許されない」
「……」
亘が沈黙する。
「まぁ、そういうつもりで。時間はかかるかもしれないけど。俺が絶対に、兄さんを元の道に戻す!」
茂はカップをテーブルに置くと、
「コーヒーごちそうさま」
そう言って、部屋を出た。
「こちらの気持ちなんてお構いなしだな。言いたいことを言って帰って行く。慌ただしい男だ……」
義孝といい、茂といい……。
今日は驚かされることばかりだ。
溜息をつきながら、亘はテーブルの上を片付け始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます