第20話 食卓を囲んで
時計の針は、六時を指していた。
「さぁさぁ。お夕食の時間ですよ。クロエさんの分も用意してありますからね」
そして、夏樹の方をチラリと見ると、
「召し上がりますか?」
と、事務的に言った。
「!」
夏樹が憮然とする。
「あ、あの……シャルロット。夏樹さんにもお願いします」
夏樹が気分を害したのを察して、茉莉香が中に入る。
ひやひやする。
この二人は相性が悪いようだ。
「今日は、サーモンのローズマリー風味ですよ。デザートも用意してありますからね」
四人は食卓を囲んで夕食を食べ始めた。
「でも、びっくりしたわぁ。突然、“ミシェーレさんですか?”って耳元でささやかれた時は! あなた探偵のバイトでもしたことあるの?」
クロエが興味深げに夏樹を見ている。作家としての好奇心だろうか?
「あるわけないだろ。ちょっと頭を働かせればわかるさ」
夏樹は、食事から目を離さないままで答える。
沙也加が夏樹をまじまじと見ながら、
「でも、凄く勘がいいのね。そう簡単には見つからないわ。そういえば……」
何かを思い出しているようだ。
「茉莉香ちゃんと、les quatre saisonsで会ったのって、偶然?」
夏樹の食事の手が止まった。
息を殺したように、じっと下を向いている。
「ええ……でも……そう言われてみれば、すごい偶然よね?」
茉莉香は、夏樹の様子がおかしいことに気づいた。
そして考えた。les quatre saisonは、住宅街にある小さな店だ。誰もが訪れるような場所ではない。
「あ――!! そう言えばぁ!」
突然、クロエが大声をあげると、視線が彼女に集中する。
「帰国の直前に、オペラ座に行くって言っていたわよね?」
オペラ座の八月は休場となっていて、九月の初旬から、徐々に公演がはじまる。
「ええ。ガルニエ宮へ。ぎりぎりオペラを観ることができるの」
「ちょっとチケット見せて」
待っていて。と、言って、茉莉香が引き出しから、チケットを持ってきた。
「はい」
クロエは、それを見ると、
「ひっどーい!! こんな席で見るつもり?」
嘆くように言った。
「でも、それしかとれなくて……」
「まかせておいて。もっといいチケットを用意させるわ」
「まぁ!」
茉莉香と沙也加が手を取り合って、歓声をあげる。
「それから、そこの彼! あなたの分も取っておくわ」
「えっ? 俺? 帰国するよ……」
「宿がないの? Jeune Ventに仮眠室があったはずよ。宿泊費も浮くからちょうどいいじゃない。少しは、恋人孝行しなさいよ!」
クロエが青山に連絡を入れると、飛ぶようにやって来た。
「クロエ。心配しましたよ。出版社の方へは僕から連絡しておきました。締切り間に合わせてくださいね」
息も絶え絶えに言う。
その姿は、あまりにも痛々しい。
『睡蓮』の版権を得るために、出版社との縁を繋ぎたいのだろう。
クロエは、夏樹が編集部の仮眠室に泊れるように青山に交渉した。
青山がそれを拒絶するはずもない。
交渉成立だ。
「じゃあ、茉莉香ちゃん。おやすみ」
「夏樹さんも。疲れたでしょ。ゆっくり休んでね」
声をかけあう。
心がほんのりと温かくなるようだ。
「じゃあ。私も、これで。玄関まで一緒に行きましょう」
夏樹は青山の車に乗り、クロエにはタクシーを呼んだ。
夏樹と青山は、タクシーが来るまで、外で待っていた。
やがて、やって来たタクシーにクロエが乗り込むとき、
「夏樹? 偶然じゃないわよね?」
いたずらっぽく笑いながら言った。
夏樹が顔を赤らめうつむく。
「大丈夫。 黙っておいてあげる。でも、いつかは話さないと。自分の口から言った方がいいわ」
クロエを乗せた車を、夏樹は見送った。
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