第14話 めぐりあい
ある土曜日、茉莉香と沙也加は、シャルトル大聖堂へ向かった。
モンパルナス駅からTER(フランス国鉄快速列車)に乗って、1時間15分。 二人は、車内でシャルロットが用意したお菓子を食べながら、ガイドブックを開く。
おやつは、ヘーゼルナッツの入ったチョコクッキー。フィナンシェ、マドレーヌ。
バスケットにたっぷり入っている。
「“シャルトル大聖堂はフランスにおける全てのゴシック建築の大聖堂で最も素晴らしいものの中の一つ”……ですって」
「楽しみだわ!」
茉莉香が言うと、
「私も!」
沙也加が賛同する。
二人の乗った列車は、シャルトル駅に到着した。
「歩いて十分くらいだって。あら……みんなが同じ方向に歩いているわ」
周囲を見渡すと、大聖堂目当ての観光客たちが歩いている。
地図を見ながら、彼らと同行するように道を進んだ。
やがて高い二つの尖塔を持つ聖堂にたどり着いく。
「すっごい! 天井が高いわ!」
「十階建てのビルの高さだって」
堂内に入った二人は、天井を見上げて、歓声をあげた。
空間が天に向かって、果てしなく続くように思える。
天井には、交差リブ・ヴォールトによる尖塔アーチが連なる。
身廊壁の外側に、フライング・パットレス(飛び梁)を備えることにより、薄く高い壁で聖堂を覆うことを可能にした。薄い壁は、石造りの建物のもつ重さを感じさせない。
視覚的にも、線状要素と呼ばれる、柱に沿って、いく筋もの細い棒のような垂直の線が、壁の重量感を忘れさせる。
また、壁全体が骨組みのようになる建築方法が、ロマネスクに比べて、格段に大きな窓を作ることを実現させた。
重力から解放された空間は、上昇への感覚を呼び起こし、ステンドグラスの光が神秘的な光を投げかける。
人々がそこに見るのは、外界から遮断された『神の国』であろうか。
「バラ窓がきれい……」
正面入り口に、円形の薔薇窓が見える。
神秘的なステンドグラスの光に漂うように、心が飛翔する。
だが、それは静謐な安らぎへと変わっていくのだ。
「茉莉香ちゃん。どうしたの?」
沙也加が小声で言う。
「え……? 沙也加ちゃんこそ……」
沙也加の瞳から大粒の涙が零れ落ちている。
そして、自分も……。
この聖堂の美しさに心打たれたのだろうか?
あるいは、訪れる人々の敬虔な心が伝わったのか……。
二人の頬に、涙がはらはらと伝わり落ちた。
「茉莉香ちゃん」
「沙也加ちゃん」
茉莉香と沙也加は互いに手を取り、涙を拭うことも忘れ、その場に立ちすくんだ。
「よかったわ。シャルトル! 茉莉香ちゃんのおかげだわ!」
帰りの列車の中で沙也加が言う。
「私も。沙也加ちゃんと一緒に来られて嬉しいわ」
茉莉香が言うと、
「それに……」
沙也加が目を輝かせた。
「……あの人に会えるわ! 茉莉香ちゃんのおかげで!」
「……そんな……。でも、いよいよ明日ね!」
「ええ! 私、実はそれが一番楽しみだったの!」
沙也加が感極まったように言う。
「私も!」
二人は、顔を見合わせて笑った。
翌日、茉莉香と沙也加は何を着ていくか、互いに決められずにいた。
「ねぇ。茉莉香ちゃん。これでいいかしら?」
着替えを繰り返した後、沙也加は、白いリボンタイのブラウスに、ブルーのシフォンスカートに決めた。
「うん。素敵よ。私はどうかしら?」
茉莉香は麻の紺のワンピースに、白いレースのカーディガンを羽織っている。
「茉莉香ちゃんもばっちりよ!」
沙也加が言う。
「お嬢様方! お迎えが来ましたよ!」
シャルロットの声がドアの向こうからする。
「はい!」
二人は、声を揃えて返事をした。
アパートの玄関前に止まった一台の車から、日本人男性が降りてきた。
「はじめまして。浅見さん。白石さん。Jeune Vent編集部の青山です」
二十代半ばの男だ。
Jeune Ventは、茉莉香に翻訳を依頼している雑誌名だ。
「はじめまして」
沙也加と茉莉香が同時に挨拶をする。
「それでは、待ち合わせ場所に行きましょう」
二人は、青山の運転する車に乗り込んだ。
車の中で青山は、自己紹介をする。
入社三年目。昨年からパリ支部に異動になったと言う。
「文芸部では、彼女の小説の版権を獲得しようと躍起になっていますが、なかなか進展しないみたいなんですよ……」
“彼女”とは、これから会いに行く人物だ。
忘れようとしていた緊張感が高まる。
「どうしよう。茉莉香ちゃん。私、ドキドキしてきたわ」
「私も……」
緊張とは、伝染するものなのだろうか?
二人は手を取り合って、興奮を鎮めようとする。
互いの鼓動が聴こえてくるようだ。
そんな二人の様子を見た青山が、
「そんな……大丈夫ですよ。彼女も、あなたたちと同じ二十歳の学生なんですよ。それに、向こうも乗り気らしいですから……」
と、言って笑った。
「普通の女学生ですよ。……ちょっと変わっているけど……」
言葉の最後のトーンが低くなったことが気づくが、これから起こることへの期待に比べれば、そんなことは何の問題もない。
シャンゼリゼ通りを、一本奥に入った道にあるビルの前で車は止まる。
古い石造りの建物だ。
ここにパリ支部がある。
「どうぞ。今日は日曜日で休みですけど……」
青山に案内されて、エレベータで上がり、応接室に案内される。
「ここで、待っていてくださいね。もうすぐ来ますから」
青山は部屋を出て行った。
「どんな人かしら」
沙也加が不安と期待に、入り混じった声で言う。
「さあ。写真では見たことがあるけど……」
茉莉香も沙也加と同様の気持ちだ。
待ち時間は、ひどく長いように感じられたが、実際は十五分程度だった。
足音が響き、それが次第に大きくなる。
やがてドアが開き、青山に連れられた若い女性が入って来た。
青山が紹介する。
「浅見さん。白石さん。ご紹介します。
彼女がクロエ・ミシェーレです」
茉莉香が訳したエッセイの作者、クロエ・ミシェーレが立っていた。
文壇に突如現れた若き女王がそこにいる。
茉莉香がこの滞在中に、最も会いたかった人物だ。
クロエは、白いカット―ソーの上にネイビーのシャツを羽織っている。ミニ丈のギャザスカートに、白いソックス、スニーカーといういで立ちだ。
背は高く、ひどく痩せている。だが、骨格のせいだろうか、堂々として、風格のようなものさえ感じられた。
頭髪は切りっぱなしのボブで、踊るような金色の巻き毛が、顔を縁取っていた。
波打つ豊かな髪が、細いカチューシャで軽く押さえられている。
目は海の底のような深い藍色で、強い輝きを放つ。
見つめられると、一瞬ですべてを見抜かれそうだ。
口元はやさしく、軽い笑みが浮かんでいる。
青山は、自分たちと同じ二十歳の学生だと言った。
確かに見かけは、どこにでもいるパリジェンヌの姿をしている。
だが、なにかが違う。
茉莉香は思った。
「はじめまして」
クロエは、茉莉香と沙也加に、ぐいと近寄ると挨拶をした。
笑顔を浮かべながら、二人をまっすぐと見つめている。
「……はじめまして」
クロエを前に、呆然としていた茉莉香と沙也加がようやく挨拶を返す。
「どちらも、すごくかわいいわ! お人形さんみたい!」
クロエが言う。
「日本人形はどちらかしら?」
茉莉香と沙也加では、顔立ちが違う。
日本人形と言えば、沙也加だろうが、茉莉香はそれを口にしない。
そんな茉莉香の気持ちを察したように、クロエは素早く話題を変えた。
「パリでの生活はいかが?」
「はい。楽しんでいます」
「それはよかったわ」
クロエが悠然と微笑む。
遠方から来た諸侯を労う王族みたい……。
茉莉香は思う。
それにしても、
「憧れのクロエに会うことができたのだわ!」
茉莉香は、気持ちの高まりを鎮められずにいた。
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