第12話 これから大切な話をしよう-1

 日曜日で、亘の都合の良い日。月2〜3回。

 les quatre saisonsでは、勉強会が行われた。

 生徒は、義孝と夏樹。

 義孝と口を利くことはないが、常に態度が勘に障る。

 相性が悪いとはこういうことなのだろう。

 

 だが、義孝自身にも人を苛立たせる要素が過分にあるのだ。

 高い知力を持ちながらも、情緒の発達がそれに追いついていないちぐはぐな様。劣ったものに対する不寛容な態度。そして、自分が認めたもの以外には心を開こうとしない頑なさ。


(……もしかして……俺も、人から見るとこんな風なのかな?)


 と、一瞬、懸念するが、


(ばかばかしい! 人の思惑を図るなんて無意味だ!)


 すぐさまそれを振り払う。

 

 あの後、義孝のことは、茉莉香から聞いた。

 由里との間に、確執があることも聞いている。

 それでも、茉莉香にとって義孝は可愛い子どもで、しかも彼の境遇を不憫に思っているようだった。


(とんでもない!)

 

 夏樹にとって、義孝は忌々しい子どもでしかない。

 学校が登校を拒んだのも妥当だろう。由里が疎んじるのも当然だ。


 ……それに……憐憫の情というものは、自分より劣ったものに向けるものだ。

 

 ここでは自分の方が格下なのだ!


(面白くない)


 抑えていた苛立ちが、ふつふつと湧き上がる。

 

(いけない。講義に集中しなくちゃ)


 夏樹は意識を再び講義に向ける。


 亘の講義は、いわゆる思想史だ。

 今日のテーマは、三世紀に書かれた著作だ。中世までには、まだ間がある。

 時代の流れに沿って展開していくようだ。


 夏樹には、亘が多くの人間と係わりながら学んできたのがわかる。

 横並びからはじまり、競争を勝ち抜いてきたのだ。

 本人に、その自覚があるかどうか……。

 あるいは、周囲はスタート時点から、彼を選んでいたのかもしれない。


 それにしても、どうして店長なんかやっているのだろうか。


 “妬み”


 恐ろしいほど素早く、言葉が浮かぶ。


 狭い世界で数少ないポストを争うのだ。

 足を引っ張る者がいたとしても、不思議ではない。


「今日はこの辺にしておこう」


 亘が言った。


「北山君。慣れたかい?」


「はい。系統立てて勉強するっていいですね」


「そうかい? そう言ってくれると嬉しいよ」


 講義の内容で興味深いのは、先人たちが、常に過去を遡りながら新しい発見を探る姿勢だ。


「今日のところですけど、新プラトン主義とプラトンの思想は別物と考えてもいいですか?」


「創始者のプロティノスは、そうは考えていなかったけれどね……。アリストテレスやストア学派の影響も受けているし、彼のオリジナルもかなり含まれている。だけどね。プラトンも行き過ぎたところがあったんだよ。思想家たちは、過度に異質なものは批判し、折り合いをつけることを試みるんだ。もちろん伝統は尊重する。そうやって、時代にそった思想を模索していくんだ」


 亘は学ぶということを夏樹に考えさせる。

 

「建築でも通ずるところがあるんじゃないかな?」


 確かに……。

 パリには古代、ロマネスクから現代まで、あらゆる時代の建築物が建てられている。留学中にそれらをつぶさに見て、建築家たちが受け継いできたものを感じたのではないか?

 そして、自分も彼らに名を連ねたいと切望したのではないか。

 

 そうなのだ。

 自分がパリに惹かれるのは、そのためなのだ。


 亘の講義は、自分の知らない欲求をあぶりだす。




 その時、


「やっぱり! お店の方にいたのね! 勉強会をやっていると聞いて、差し入れに来たの!」


 快活な声が響く。


 由里だ。


(なにごと?)


 場に張り詰める緊張感。


 思わず身構える。

 彼女は、最近の自分をよく思っていない。



 由里が包を持って、颯爽と店に入って来る。



  ―― 風だ――



 突如吹き込む一陣の風。

 

 これから何かが起ころうとしている。

 

 夏樹はそんな予感を抱いた。


 絨毯が靴音を吸い込んでいく。

 

 スローモーションを見るように、夏樹は由里が近づいてくるのを眺めた。



「杏のタルトを焼いてきたのよ」



 由里が笑顔で言う。


「そうですか。今終わったところなんです。お茶にしましょう」


 亘は突然の来訪を驚き、訝っているようだ。


「夏樹クン。えらいわ。日曜日にお勉強?」


 そう言いながら、夏樹の隣に素早く席をとった。


 義孝が無言で厨房に入り、湯を沸かし始める。


「あ……俺も手伝います」


 席を立とうとすると、



「いーの!!」



 由里に肩を押さえつけられ、椅子に引き戻された。


「あの子に任せておきなさい。あなたはここに座っていればいいわ」

 

 由里の瞳が熱を持ったように自分を見据え、不穏な気配が漂う。


「また留学するんですって? 偉いわぁ〜。お勉強熱心なのね!」


「いえ……まだ、決まっていません」


 一応ほめ言葉だが、真に受けない方がいいだろう。ついこの前まで、自分の顔を見ると顔をしかめて、背けていたのだ。


「由里さん。気が早いですよ」


 亘がたしなめるように言うが、


「あんまり、この人と係わっちゃダメよ!」


 亘の言葉をピシャリとはねつけた。


「由里さん?」


 亘が憮然とする。


「あらー! この子はね。一生懸命勉強して、働いているのよ。あなたなんかと違うの!」


 由里は亘を歯牙にもかけない。

 夏樹は由里の様子にただならぬものを感じた。

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