第10話 パリのアパート
茉莉香と沙也加は早朝のドゴール空港に着いた。
タクシーで宿泊先に向かう。
二人がこれからの一か月半を過ごすアパートは、セーヌ川沿い、ポンヌフ駅の近く、1区のレアールにある。
「素敵なお部屋!」
茉莉香が部屋を見渡す。
「部屋が三つに、リビングとダイニングとキッチン。どの部屋の窓も庭に面していて明るいわ。それに新しいのね」
「でしょ。パパの会社の人が仕事で来た時に宿泊する部屋なのだけれど、私たちも使っているのよ。壁紙も白くて綺麗でしょ?」
沙也加が言う。
「
二人の背後から鈴のような声が響く。
声の主は、二人分の荷物を軽々と運んできた。
「まぁ! ごめんなさい。運ばせてしまって! つい、お部屋に見とれてしまって……」
茉莉香が駆け寄る。
「いいえ。お気になさらないでください」
朗らかな澄んだ声。
荷物を運んできた女性は、グレーのメイド服を着ている。
栗色の髪を頭の上で一つにまとめ、血色の良い頬に表情豊かな口元。
明るい茶の瞳は、快活そうに動く。
「パパが私たちのために、雇ってくれたメイドさんよ」
沙也加が言う。
「シャルロットと申します。お嬢様方のお世話をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。お食事の支度や、お掃除をさせていただきます」
メイドはぺこりと頭を下げた。
三つある部屋は、沙也加と茉莉香にそれぞれ一部屋、もう一室を彼女が使うと言う。
「それとね……」
沙也加がそっと、茉莉香に耳打ちをする。
「私たちのお目付け役よ」
「!」
茉莉香は唖然とした。
「沙也加ちゃんのパパって、すごいのね。私のパパより、ずっと……」
だが、目の前の女性は可愛らしく、自分たちよりも年下に見える。
それを沙也加に告げると、
「彼女、ああ見えても、私たちよりも三つ上だから」
そして再び沙也加が茉莉香に耳打ちする。
「もしかしたら……日本語もわかるかも……? よ。気を付けてね」
「!」
沙也加は決して、無茶をするような娘ではないのに。
本当に、父親たちはどうして、こう心配性なのか……。
茉莉香には理解できない。
「お食事は朝と夜ご用意いたします。要らない時は、おっしゃってください」
外食は認めてくれているようだ。
窮屈な気もするが、異国で安心して暮らせるのはありがたい。
「茉莉香ちゃん。ランチにいかない? 私、お腹すいちゃった」
「私も」
二人はシャルロットに声をかけると、パリの街へ出かけた。
「どこにする?」
「そうねぇ。サンジェルマン・デ・プレが近いわよね」
「お天気がいいから、歩いていきましょう」
二人は、シテ島を通り、サンミシェル橋を渡って目的地に向かう。
「ここのカフェはお食事もできるわ」
オープン席のあるカフェに入る。
「コーヒーと、クロワッサンとオムレツね」
「私も」
ギャルソンに注文をする。
「明日から学校ね」
「わくわくするわ!」
「空いた時間で、街を周りましょうね」
「美術館も」
「ええ」
「オペラ座に行きたかったけど……」
オペラ座の八月は休業である。
「でも、ぎりぎり九月に見ることができるわ。チケットの予約もしてあるし」
「そうね!」
「日帰りでどこかに行きましょう」
「ええ。イル・ド・フランスがいいわ。列車でいけるから!」
「賛成!」
沙也加とは、本当に気が合うと思う。
何の摩擦もなく、話がどんどん進んでいくのが不思議なくらいだ。
茉莉香は一度、語学留学の経験がある。
おそらく自分も沙也加も、余裕をもって勉強にあたれるだろう。
そうとなれば……
「ヴェルサイユ? フォンテーヌブロー? シャンティ?」
二人はガイドブックを開いて相談を始めた。
「私、何回か来たことがあるから……」
沙也加が言う。
「私、二回来ているけど、イルド・フランスは……?」
茉莉香が言うと、
「じゃあ、茉莉香ちゃんが一番行きたいところにしない?」
「うーん? シャルトル……かしら……」
「あら! そう言えば、私、シャルトルは行ったことがないわ! そこにしましょう」
何と気が合うのだろうか?
茉莉香は思う。
二人は帰宅すると、シャルロットの作った夕食を食べた。
豚ヒレ肉のローストにマッシュポテトにスープにサラダとパン。
「お夕飯が待っているなんて、久しぶりだわ」
おしゃべりをしながら、沙也加と食事をする。
シャルロットは、お目付け役だというが、気配を殺したかのように、全く気にならない。
まるで、存在しないかのようだ。
食事が終わると二人は自室に戻る。
「沙也加ちゃんといると時間を忘れちゃうわ」
話をいくらしても、終わらないような気がする。
茉莉香は明日の準備をすると眠りに就いた。
翌朝、外が明るくなっているのに気づいて、茉莉香は目が覚めた。
「いっけない! 朝ごはんの支度をしなきゃ!」
あわててキッチンへ行くと
「おはようございます。食堂でお待ちください」
シャルロットに迎えられる。
沙也加はテーブルについていて、
「茉莉香ちゃん。なに慌てているの? ご飯は逃げないわよ」
と、言って笑った。
テーブルの上には、クロワッサンとサラダとオムレツがあった。
オムレツは出来立てで、クロワッサンは温めてある。
「昨日、ブーランジュリー・ボーで買っておきました。ブリオッシュもありますから、学校から戻ったら召し上がるといいですよ」
シャルロットが血色のいい顔に笑顔を浮かべて言った。
「カフェオレでよろしいですか?」
「はい!」
二人は声を揃えて返事をする。
「なんか、ホテルよりすごいわ」
茉莉香が沙也加の耳元でささやく。
「そう?」
沙也加は、おっとりと構えている。
まるでお姫様になったようだ。
茉莉香と沙也加の留学生活はこんな風にはじまった。
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