第13話 ストロベリーフィールズ

 連休を控えたある日のことである。


「ねぇ、お休みの日にピクニックしない?」


「行きましょう!」


 由里の提案に茉莉香が賛同する。


 les quatre saisonsでは、平日も含めてすべて連休は休業となる。


「公園にピクニックバスケットを持って、お茶をしましょう。主人が一日だけお休みがとれるから、車を出させるわ」


 由里はワクワクとした様子だが、


「そんな……悪いですよ。前川さんは、今すごく忙しいですよね? それにこれから、もっと忙しくなる。連休明けには、春摘みファーストフラッシュの販売がありますからね。休めるときに休まないと」


 亘が諭す。


「でも……。子どもたちは母とオーストラリアに行ってしまうの。それなのに、私は主人を手伝うために、家を長く開けることができないの。どこにも行けないのよ」


 由里が嘆くと、


「由里さん……」

 

 同情した茉莉香がいたわるようにそっと寄り添う。


 そして二人の女は、もの言いたげに亘を見るのだ。


「……じゃあ、誰か他に車を出せる人を探してみます」


 この二人の前では、亘は折れるしかない。


「本当!」


 由里と茉莉香が同時に歓声をあげる。


「よかったですね! 由里さん!」


「ありがとう! 茉莉香ちゃん!」


 二人は手に手をとって喜び合った。



 しばらくして、亘は自分の言ったことを後悔することになる。


 車は、荒木にでも頼もうかと思っていたが、どこからかぎつけたのか、それを用意したのは彼の父親だった。


「お父さん困りますよ」


 亘は抗議するが、


「そう硬いことを言わないで、楽しんできなさい」


 父がそれを取り合うことはない。





 当日、運転手付きのライトバンがマンションの前に止まった。


 茉莉香は白いフレンチ・スリーブのブラウスに若草色のスカートを身に着けている。ブラウスは張りのある綿で、全体にレースが施されている。袖口から茉莉香の細く長い腕がしなやかなシルエットを描く。

 由里は、ベージュのニットに、襞の入った茶のキュロットスカート。一見シフォンスカートに見えるフェミニンなデザインだ。




 車には、レジャーマット、ちょっとした遊び道具、湯を沸かすコンロやポット、コンパクトグリルも積み込まれている。


「これなら美味しいお茶が淹れられるわ」


 ピクニックバスケットを荷台に積みながら由里が言う。

 彼女はご機嫌だ。

 


 車内は新しく、広々としている。


「楽しいドライブになりそうですね!」


 これからの楽しい時間を思い、笑いさざめく。


 亘が助手席に座り、茉莉香が由里の隣に座った。

 

 出発してから二十分ほどで、目的地の公園に到着する。


 公園の入り口に入ると、三人は薔薇園に迎えられた。


「まぁ! 薔薇の花壇が! 今にも花が咲きそうだわ!」


 茉莉香は思わず駆け寄り、そっと花の蕾に手を添える。


「いい香り……」


 蜜をたたえた薔薇がほのかに香る。


「開花にはちょっと早かったみたいだね」


 亘はぐるりとあたりを見回す。

 見頃は来週末になるだろう。


「あら、蕾も素敵よ」


 由里も花壇に近づいて、蕾を愛でる。


 薔薇園を抜けると、見渡す限り緑豊かな芝生が広がる。

 

「いいお天気でよかったわ」


 茉莉香は、新緑と大地の匂いを含んだ空気を思いきり吸い込む。

 体中に新鮮な風が吹き込むようだ。


 ゆるやかな起伏をなす広場には、随所に樹木が植えられている。木陰に座ると、まるで草原でピクニックをしているような気分だ。

 

 五月の風が心地よい。

 

 枝ぶりのよい樹の下に亘が敷物を敷き、由里が湯を沸かし始めた。


「ステキなピクニックバスケットですね!」


 茉莉香がバスケットを開けると、菓子やサンドイッチ、皿にフォーク、カップが入っていた。

 茉莉香がそれを配る。


「お茶はジャワティーにしたわ。お食事に合わせやすいのよ」


 由里がカップにお茶を注いだ。


「このサンドイッチは、マッシュポテトですか?」


 茉莉香がサンドイッチを口にする。

 コクがあって懐かしいような、それでいて由里らしい洗練された味付けだ。


「マッシュポテトにポークリエットを入れたの。『今日のサンドイッチ』の新しいメニューにしようと思って」


「こっちは、照り焼きチキンと半熟卵ですね」


 亘もバスケットに手を伸ばす。


「この豆とキャベツのサラダもどうぞ、カップに入っているのはキッシュよ」


 由里は張り切って、料理をすすめる。この日のために準備をしてきたのだろう。


 三人は、食事をしながらのんびりと話をしていた。

 会話と笑い声……。

 穏やかな時間がそよ風にのって流れていく。

 





 ――  ピ……ピピッ  ――




 亘の携帯が鳴った。


「えっ? お父さん?……いいえ別に……」


 亘は二人を振り返り、


「ちょっと失礼します。父から電話があって……」


 と、言って席をはずした。






 木陰に座るのは、由里と茉莉香の二人になった。


「いい気持ち」


 風に吹かれて、茉莉香は、ふっと、深呼吸をする。

 

 茉莉香の艶のある黒髪が風になびく。 


「茉莉香ちゃんの髪は本当にきれいね」


 由里が見とれながら言う。


「私はウェーブがあってね。茉莉香ちゃんみたいなストレートに憧れていたのよ」


 由里の手は、今にも茉莉香の髪に触れそうだ。


「そんな……」


 茉莉香が恥ずかしそうに笑う。


「お天気のいい日に外でお茶をするのはいいわね」


「本当に」


 暖かな日差しの中、二人はたわいもない話を続けた。


 茉莉香の胸元で、夏樹から贈られたエメラルドのペンダントがささやかな光を放つ。細く繊細な金鎖と緑の石は、茉莉香の細く白い首によく似合った。

 由里が、茉莉香の胸元をチラリと見ながら言う。


「茉莉香ちゃん。夏樹クンから連絡ある?」


「はい! ……でも、電話代大丈夫かしら」


「いいのよ。そのぐらい払わせちゃいなさい」


 由里が笑う。


「でも、すごく忙しいみたい。お金を稼ぎたいって。仕事もしているんです」


「そうなの?……もしかしたら……」


「えっ……?」


 茉莉香が聞き返す。


「茉莉香ちゃん。彼は日本に帰ってきたら、卒論を書いて卒業して、そのあと、建築士の資格をとるつもりなんじゃないかしら」


 由里が躊躇いがちに続ける。


「そうだと思います」


 茉莉香は由里の意図を慮ろうとする。


「その翌年は、茉莉香ちゃんも卒業よね?」

 

 由里は言葉選びに逡巡しゅんじゅんしているようだ。


「はい……」

 

 由里の思いを図りかねぬまま、茉莉香は返事をする。


「そ、そのね、もしかしたら……彼が今働いているのは、そういうつもりなんじゃないかしら」


 由里は何かを思うところがあるようだ。

 だが、何だろう?


「そういうつもり?」


 茉莉香はしばらく考えこんだが、


「えっ、えぇ!?」


 驚きの声を小さく上げる。

 結婚と言うことだろうか? 夏樹からその言葉を聞いたことはない。

 だが、由里も大学卒業と同時に結婚をしたのだ。


 夏樹の時間は、ものすごく早く流れている。そして自分はそれに巻き込まれようとしているのかもしれない。

 茉莉香の心が騒ぐ。


「あら、ごめんなさい。驚かせちゃったわね。本当のところは本人に聞いてみないとわからないのに……。それより、お茶を淹れなおしましょうか? 今度はストロベリーティーにするわ」


 茉莉香の動揺を察した由里が、気持ちを変えようと茶を淹れ始める。


 湯が沸くのを待つ間、茉莉香は由里の言葉を心の中で思いめぐらせていた。

 茉莉香には夏樹の気持ちがわからない。

 彼はいつも一人で決め、行動するのだ。


 自分はどうしたらいいのだろうか?

 どう行動するべきなのか?

 いつかは決断しなくてはならない。


「茉莉香ちゃん。お茶がはいったわよ」


 由里が、そっとカップを差し出す。

 

「美味しい。甘酸っぱい香りが、外の空気にぴったりですね」


 苺の香りが心を静めてくれる。

 

「でしょう?」


 由里が微笑む。

 茉莉香は、何度もこの笑顔に救われてきたことを思い出す。

 由里は、いつもこうして自分を支えてきてくれていたのだ。

 


「あら、亘さんが戻ってきたわ。スコーンも頂きましょう。グリルがあるから温められるわ。コーテッドクリームとこれ……」


 そう言いながら、小さな瓶を取り出した。

 小さな瓶は赤い宝石のように輝いている。

 

「苺のコンフィチュールよ」


「まぁ、美味しそう。それにきれい!」


「これも手作りなのよ。ストロベリーティーに合うと思うわ」


「今度作り方を教えてください」


 茉莉香はコンフィチュールをパリに送ろうと思う。

 たとえ夏樹の気持ちがどうであれ、今、茉莉香はそうしたいのだ。


 由里は、甘くしたお茶を淹れ直した。








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ジャワティーは、インドネシアジャワ島で栽培される茶葉です。

渋みが少なく、マイルドな口当たりとクセのない風味が特徴です。

ホットにしてもアイスにしても美味しく、

お食事に合わせやすいです。


ここまで読んでいただいてありがとうございました。

 


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