第14話 誕生日プレゼント

 les quatreカトル saisonsセゾンでは、春摘みファーストフラッシュが本格的に売り出されるようになった。アイスティーの試飲のおかげで、茶葉のテイクアウトも増えた。

 また、果物のフレーバーティーも人気で、オレンジや白桃の注文が相次ぐ。



 その朝、夏樹から電話があった。


「茉莉香ちゃん。お誕生日おめでとう」


「ありがとう!」


 夏樹が覚えていてくれたことがうれしい。


「学校はどう?」


「まぁまぁだね。」


「仕事は?」


「そっちもさ」


 夏樹は、パリの建築事務所の仕事を得ている。

 先日、サントノリ通りの設計のアシストを任された。


「よかったわね。いいお仕事が見つかって」


「まぁな。あ、誕生日プレゼント送ったから」


「そんな。お金大丈夫?」


「あのねぇ……」


 気を削がれた夏樹が憮然とする。


「でも、確かになぁ。休みの日は、いろいろ出かけてるからな、なかなか貯まらないんだ。この前は、近郊の街へ行ったよ。」


「そんなことだと思ったわ」


 茉莉香が笑う。


「じゃあ!」


「夜遅いんでしょ。おやすみなさい」


 電話は終わった。



「さー! 私も頑張らなくちゃ!」


 茉莉香は自転車で学校へ向かう。

 三年生からは専門課程がはじまる。そろそろ、何を専攻するかを考えなくてはならない。できれば、将来につながるものがいいと思う。

 そのためには、住居と大学が近いことはありがたい。

 講義が終わると、les quatre saisonsへ行く。

 店は六時で終わるし、毎日ではない。

 学業とのバランスもとれているだろう。

 

 ただ、まだ、何をしたいのかがわからない。フランス語が好きというだけで、学部を選んだだけなのだ。

 

 


「おはよう。沙也加ちゃん」


「おはよう。茉莉香ちゃん」


 二人はそろって教室に入る。


「ねぇ、沙也加ちゃんは卒業したらどうするの?」


「うーん。就職するかな?」


「どんな仕事をしたいの?」


「そこまでは考えてないわ」


「結婚したら?」


「制度があれば利用したいな。でも、無理はしないつもり」


「そうねぇ」


 茉莉香も、少し前までは沙也加と同じだった。いや、今もそう変わらないと思う。ただ、なんとなく流されてしまう不安があるだけだ。


「だって、そのときになってみないとわからないじゃない。私、資格とかはとるつもりないから」


 沙也加らしいと茉莉香は思う。

 とにかく、まだ自分は何も決めていないのだ。


「ねぇ、講義が終わったら、パンケーキ食べにいかない? 由里さんに教えてもらったお店があるの。今日はバイトもお休みだし」


「いいわね」


 沙也加が賛成した。


 二人は、最近できたというパンケーキの店に入った。

 店内は若い女性でにぎわい、会話の花を咲かせている。

 

「私、ホットチョコレートパンケーキ」


 茉莉香は注文をすると、ぱたりとメニューを閉じた。


「私、バナナホイップパンケーキ・チョコレートソースがけ、あと、アイスクリームをトッピングしてください」


 沙也加が注文すると、


「あ、私も、アイスをトッピングしてください」


 茉莉香が慌ててメニューを開き直し、追加注文をする。


 粉砂糖がちりばめられたパンケーキがテーブルに並べられた。

 

「ねぇ、ふわふわよ! アイスクリームと……あと、この上に乗っている丸いのは?」


 沙也加が物珍しそうに白く丸い塊を見ている。


「発酵バター? ……だって」


 再びメニューを開いて茉莉香が言う。


 発酵バターをくずしてまんべんなく塗り、アイスクリームをのせて口に入れる。


「バターの塩気がちょうどいい!」


「温かいパンケーキと冷たいアイスがぴったり! やっぱりアイスを追加してよかったわ!」

 

 茉莉香がアイスクリームの冷たさを楽しむ。


「バナナとパンケーキは合うわね! チョコレートソースがちょっぴり苦いのもいいわ! 美味しいけど太っちゃいそう。 ……でも、残すとお店の人に悪いし……食べちゃお!」


 沙也加がフォークに刺さったパンケーキを頬張る。

 茉莉香は、沙也加は自分が言うほど太ってはいないと思うが、それは口にはしない。沙也加に対し容姿の話がタブーなのは、暗黙の了解となっている。


「ねぇ。茉莉香ちゃん。今日あったんでしょ? 電話!」


 沙也加が探るように言う。

 夏樹のことだ。


「ええ。でも、なんでわかるの?」


「そりゃー。今日の茉莉香ちゃんの様子を見ていれば……ね」


 沙也加が意味ありげに笑っている。


「いやだわ。沙也加ちゃん」


 茉莉香は顔を赤らめた。

 沙也加は普段はおっとりしているが、時折、勘の良さに驚かされる。


「それに、今日は……だものね!」


 そう言いながら、沙也加がカバンの中をごそごそと探り始める。


「お誕生日おめでとう!」


 カバンからリボンのかかった包が現れた。

 茉莉香への誕生日プレゼントだ。

 愛らしい小花をあしらった包装紙に覆われている。


「まぁ! ありがとう! 何かしら?」


 わくわくしながら受け取る。

 心躍る瞬間だ。

 

 だが、包は丁寧に開けなくてはならない。

 綺麗な包装紙が乱れては、せっかくの楽しさが半減してしまう。

 逸る心を抑え、最後の包装を開いた瞬間、


「ハーバリウム!」


 茉莉香は喜びの声をあげた。


 ガラスの小瓶の中で、ミモザが揺れ、表には“Happy Birthday”と書いてある。


「ありがとう、私、ミモザ大好きなの」


「茉莉香ちゃん。一足早く二十歳になったのね」


「うん。これからもっと頑張らないとね」


「そう。茉莉香ちゃんは、もっと大人にならないと」


 沙也加が茉莉香を横目に見ながらクスリと笑う。


「ひどーい」


 二人は声を合わせて笑った。







「あー! 今日は楽しかった! やっぱり沙也加ちゃんて楽しい人!」


 茉莉香は、うきうきと弾む心で帰宅した。


「あら、宅配ボックスに荷物が……まあ、パリから!」


 朝の夏樹の電話を思い出す。

 今日はなんと良い日だろう。

 やはり誕生日だからだろうか?

 

「そういえば、今度はお金を貯めて丈夫なのを買うって言っていたけど……」

 

 いかつい金のチェーンネックレスを想像する。


「いくら丈夫でも、太いネックレスじゃ恥ずかしくてできないわ」


 ひとり笑いながら包を開けた。




 ―― だが……中から現れたのは繊細な金細工のブレスレットだった。

 細い金の鎖が柔らかな光を放ち、心がギュッと掴まれる。

 

 腕に通すと、細い手首にするりと馴染んだ。

 


 水族館の帰り道の思い出がよみがえる。

 

 茉莉香にはあの時の記憶がない。

 覚えているのは夏樹の体の温かさと、頭がぼんやりとして、そのままどこかに流されていくようなふわふわとした気持ちだけだった。


「もし、あのまま……」


 茉莉香はうつむいたまま顔を赤らめた。頬に手を当てると、熱を持ったように熱い。


 ふと、手首に巻き付いたブレスレットに、もう片方の手を添える。


 夏樹がこれを買うのにどれほど苦労したか、自分にはきっと思いもよらないことだろう。

 

「確かに素敵なブレスレットだわ……でも……」


 何よりも嬉しいのは、こうして自分を気にかけてくれていることだ。


「私ったら……寂しがってばかりで……」

 

 夏樹が自分の気持ちを話さないのは、何かきっと理由があるはずだ。

 きっと、自分のことを真剣に考えていてくれるのだろう。

 茉莉香は、心がほんのりと温かくなるのを感じた。


















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