第12話 montage ー モンタージュ -
「夏樹。ボスがよんでいるわよ」
顔をあげると、マリエットがすぐそばに立っていた。
夏樹は16区に建設予定の邸宅の模型を作っているところだ。とある金持ちが家を建て直すと聞いている。
16区はパリの二十ある行政区の一つで、市の西部にある高級住宅街として知られている地域だ。
この模型の屋敷は、ブローニュの森を臨む場所に位置している。
二次元の図面を三次元におこすことで、建築後のイメージが容易になり、綿密なシミレーションを可能とする。設計士にとっても、顧客にとっても重要な道具だが、プランの変更のたびに作り直すため、膨大な作業となる。
それを補うため、この工程は建築事務所でバイトをする者の代表的な仕事の一つとなっている。
マリエットは、この事務所の受付嬢だ。
豊かなブロンドに青い瞳、背が高く細身だが、プロポーションは……悪くない。
だが、このところ妙な目つきで自分を見ているような気がして煩わしい。
「わかりました」
感情を表に出さないように返事をすると、夏樹は席を立った。
それにしても……ボスが自分に用とはなんだろう?
ガスパールは忙しく、自分などにかまっている時間はないはずだ。
もしや……夏樹は学校での騒動を思い浮かべた。
だが、自分が悪いわけではないし、ピエールにしてもすでに退職している。
やはり違うだろう。夏樹は思い直した。
ガスパールの事務所には、“所長室”がない。
部下と同じフロアを簡易な壁とドアで区切っているだけだ。来客があった時は、応接室を使う。
部下たちは、いつでもボスの仕事ぶりを外から垣間見ることができる。
「失礼します」
夏樹はドアをノックする。
「入りたまえ」
ガスパールの声が扉の向こうから響く。
低音のよく通る声だ。
夏樹は部屋に入る。
部屋には仕事道具と書類、書物以外は何もない。ただ、机の上に背を向けて写真盾が置いてある。家族のものだろうか。
ガスパール・デュトワは三十代後半の建築家だ。パリの中だけでも彼の設計した建物が数多くあり、どれも彼の名声を高めている。
「失礼します」
「かけなさい」
椅子をすすめられ、夏樹はガスパールと向かい合うように座った。
ガスパールは、濃い栗色の髪と瞳を持つ。縮れた髪は伸び気味だ。険しい顔は男前とは言えないが、背が高く肩幅が広いため、颯爽と歩く姿はモデルのようだ。
フェラーリを乗り回し目立つ存在だが、浮いた噂を聞いた者はいない。
「お話があるとうかがいましたが」
ガスパールと目があった。ピエールは彼の父親が大工だと言っていたが、ガスパールは、やはり大工や職人たちとは違うと夏樹は思う。鋭い眼光は、
「忙しいところ悪かったね。ピエールのことだが……」
やはりそうだったのか?
あれだけの騒ぎを起こしたのだ。ガスパールの耳に入ることもあり得る。
だが、彼がこんなことで呼びつけるとは、夏樹には
「私に関して何か言っていなかったかい?」
「いいえ。別に……」
目線を合わさないようにしながら、ガスパールの質問に答える。
嘘をつくのは嫌だが、どんな形であろうと、あの男には係わり合いたくない。
「そうか……じゃあ、君が彼のことでなにか困っていることはないかい? そのね……私は、あそこで講義もする。知り合いがいるんだよ」
「俺が?! あいつのことで!?」
思わず立ち上がり、声を荒げる。
だがすぐに自分の態度が、礼儀に
「すみません」
夏樹は頭を下げると再び座った。
「なら、いいんだよ」
ガスパールは苦笑を堪えている。
「ところでだ……ここからはプライベートの話だけどいいかな? 雑談だよ」
「はい」
「君には恋人はいるかい?」
「はい」
突然何を聞くのだろうかと
「どんな娘か当ててみよう」
ガスパールはいたずらっぽく笑った。夏樹は彼のこんな顔を見るのは初めてだったし、他にもいないだろうと思う。
「優しくて真面目な子だ。控えめで、シャイで褒められると逃げ出してしまうような……ヤマトナデシコっていうんだろう? 髪が長くて目が大きくてお人形のようにかわいらしい……」
ガスパールの言葉を聞きながら、夏樹は、茉莉香のことを思い浮かべた。
茉莉香は少しでも褒めると恥ずかしそうに、うつむいてしまう。
だから、いつも自分が茉莉香をどう思っているかを伝えることができない。
だが、なぜ……こんな話をするのだろうか?
「図星みたいだね。どうしてわかったかと不思議そうだ。マリエットと反対のタイプを言ってみたんだ」
夏樹が彼女を苦手なことは、彼にはお見通しだったのだ。
彼女に対する態度を改めなくてはならない。
マリエットは、ここの正式な従業員なのだ。
「後半は、イマジネーションだよ。君が好きそうなタイプを想像してみたんだ」
本当に、そうだろうか?自分の好きなタイプを言っているだけなのではないかと思う。机の上の写真盾を覗いてみたい。
「私はね、学生の頃からすでに仕事を始めていた。どうしても二十五歳で結婚したかったから、金と実力が欲しかったんだ。在学中に仕事を任され、事実上の独立をしたよ。卒業は翌年だった」
ガスパールは、じっと夏樹を見つめる。
心を見透かす鷹のような目だ。
「さてと……ここからが本題だ」
やはり、大事な話があったのだ。夏樹は
気を引き締めなくてはならない。
握りしめた手のひらが汗ばむ。
ガスパールはデスクに肘をつき、顔の前で軽く指を組んで話し始めた。
夏樹を見据えたまま、時折、指先が動く。
「君は学校の成績がいいらしいね。この前の『パリ市街地の都市再開発の提案』には教授が感心していたよ。……いささか困惑していたけどね」
ガスパールの口の端が僅かに上がる。
何かを思い出しているのだろうか?
そんなことまで知っているのか。
いや……調べたのだろうか?
“知り合い”と言っていた。
誰なのか。
そんなことは問題ではない。
夏樹はあの面接の日以来、この鷹のような目で見定められていたことを知る。
マリエットのことも茉莉香のことも、そして自分自身のことも、すでに看破されていたのだ。
「バイトも頑張ってくれている」
―― ドクン ――
鼓動が高まる。
夏樹はガスパールの話に全神経を集中させる。
―― ドクン ――
やがて、ガスパールが口を開いた。
「パスカルが、サントノレ通りのブティックの設計をするのだが、アシストに回ってくれないか?」
ブティックは新進気鋭のデザイナーのものだという。
「サントノレ通りの仕事を!? 俺が!?」
あまりのことに容易に信じることができない。
「やってくれるか?」
当然だ! 誰が断るものか!
「はい!」
「頼んだぞ!」
「
夏樹の声が事務所に響き渡る。
ガスパールは腕を組んで、満足そうにうなずいた。
夏樹は勢いよく扉を開けると、足早に部屋を出た。
体が興奮で震える。
「俺がサントノレ通りの仕事を!」
アシスタントとはいえ、大切なキャリアだ。
「夏樹!」
背後からマリエットの声がする。
「なんですか?」
夏樹は気がそがれるのを感じた。
今は喜びに浸っていたいのだ。マリエットの存在が疎ましい。
「あら、いいのかしら? そういう態度とって。大事なものを持ってきたのに」
マリエットが艶めいていう。
「なんでしょうか」
何をもったいぶっているのだろうかと思いながらも、礼儀正しく答える。
「はい。お給料! バイトさんは現金手渡しなの」
「あ、ありがとうございます!」
今日はなんてすばらしい日だろう。マリエットの不快ささえ気にならない。
夏樹は給料袋を持って街に出た。
「いろいろ必要なものはあるけど、まずは何か食べよう。最近、ろくに食ってなかったからな。何にしよう」
ひさしぶりの贅沢に胸が高鳴る。
だが……
来月は茉莉香の誕生日だ。
贈り物を用意したい。
翌日からプレゼントを探し始める。
百貨店のギャラリー・ラファイエット・パリ・オスマンへ行き、ル・ボン・マルシェ・リヴ・ゴーシュへ行った。
「探すとなかなかないものだな」
煌びやかな衣服や装飾品が並ぶ。人混みの中を夏樹は、泳ぐように歩き回る。
その日は土曜日で、夏樹は街を歩き回った。
だが、彼の意に沿う品物は見つからない。
一日がもうすぐ終わろうとする夕暮れに、サンジェルマン・デ・プレの小道にある店に入った。
若い女性でにぎわう店内は、色鮮やかなラインストーンやビーズで作られた手作りのアクセサリーが並ぶ。
「若い女の人が多いな」
気恥ずかしい思いをしながら店内を歩いた。
……が
ここなら何かある。
そんな予感がした。
何かに引き寄せられるように店の奥へと足を運ぶと、きらりと光るものが目に入った。
細い金鎖のブレスレットだ。
ショーウインドーをのぞき込みながら、茉莉香が身に着けた姿を思い浮かべる。
自分の代わりに、これが彼女に寄り添ってくれるような気がした。
「これをください!」
夏樹は店員に声をかけると、代金を払い、日本へ送る手配をした。
店員は笑顔で何か言いながら、手続きをしている。
ブレスレットの代金は、バイト代を上回っていた。
もともと半月も働いていなかったのだから、少し見栄えのいいものを買えば、赤字になるのは当然だろう。
「ああ、また金がなくなった。節約をしなきゃいけないな」
だが、気分は悪くない。
自分が送ったものが海を越え、誰かが受け取る。
それは今までにない経験だった。
┏┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌┌
┏┌
┏┌ ガスパール(Gaspard)の名前の由来ですが、
┏┌ 新約聖書の「東方の三博士」の一人で
┏┌ イエスに没薬を贈った人です。
┏┌ 「宝の守護者」を意味します。
┏┌
┏┌ なんだかステキだな〜と
┏┌ 志戸呂は思いました。☆
┏┌
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