第28話 クリスマスの夜に鐘は鳴る
本田と夏樹はパリに移動した。
パリのクリスマスマーケットを撮影した画像が茉莉香のもとに送られてきた。また、初めて会った時のカフェを撮影したものもあり、そこで、あの時のギャルソンと旧知のように夏樹は肩を組んでいた。
彼は子供のようで、日本にいる時よりも生き生きとして見える。
「クリスマス会の場所決まったわよ! 亘さんの実家に決定!」
亘は由里にセッティングを任せきりにしたことを後悔する。
確かに場所としては悪くない。
だが、彼の父親はこの時期忙しいはずである。しかも、招くべき客は他にいくらでもいるはずだ。
それを敢えて引き受けるには、何か魂胆があるからだろう。
おそらく茉莉香に会うためだ。パーティーのホストとしてならば、じっくり話せると考えたのだ。
そんな彼の思惑を知らない茉莉香と未希がはしゃいでいる。
「亘さんの実家って、すっごいんですって」
「え! 行ってみた〜い」
「プールあるのかしら?」
「池じゃない? 錦鯉が泳いでるの!」
「何百万もするのよね!」
亘は二人の想像が膨らませるのを放っておいた。それよりも、当日は極力茉莉香を父親に近づけないようにするしかない。
クリスマス会は二十四日の正午にスタートする。
年末の平日とはかなり強行なスケジュールだ。仕事のある者は、解散と同時に職場にとんぼ返りをする。
クリスマス前の最後の日曜日という案もあったが、その日は亘の父親がどうしても抜けられないと言う。
(それなら無理をしなくても)
と、思うが、主催者の思惑が絡んでいるために、そうはいかない。
当日、茉莉香は濃緑色のワンピースを着た。大きな白い襟の間から黒いリボンタイがのぞく。頭には、服と同色のリボンが結ばれている。
茉莉香の母親は、慎ましくそれでいて華やかさを失わないワンピース。父親は仕立てのよいグレーのスーツを着てきた。
高い塀に覆われた門をくぐると眼前に広い芝生が広がっていた。
「ステキ……」
茉莉香は思わず感嘆の声を上げる。
ところどころに木が植えられ、茂みがあった。プールはなかったが、庭の片隅にあるあずまやの脇から流れる小川が池に続いている。
屋敷が薔薇の花壇に囲まれるようにあった。
以前由里から聞いた話から、茉莉香は重要文化財のような古めかしい豪邸を思い浮かべていたが、目の前のそれはシンプルでモダンなものだった。
鉄筋コンクリートと木造を合わせた建築物で、木製の窓枠やコロニアル風の屋根が温かみを感じさせる。訪れるものを優しく迎えるようなフォルムが印象的だ。
ポーチには、階段と緩やかなスロープの両方がついている。
中に入ると、廊下はゆったりとしいて、調度品がほどよく配置されていた。それがあまりにも自然に空間と一体になっているために、つい見落としてしまうが、近寄ってみると有名画家のものであることがわかる。
ひとつひとつが強い主張をすることなく、家全体がひとつ作品のようだ。
由里の家も格式の高い客間を有するが、あくまでも個人のスペースであるのに比べ、亘の家は公的な要素を考慮されていることがわかる。
茉莉香はクリスマス会の行われる居間に案内された。
明るい陽光の差し込む広い部屋からは、美しい庭が見渡せた。
「ここね、暖かい季節ならばお庭でパーティーもできるのよ」
と、由里が言った。
彼女はブラウンのニットに同色のシフォンスカートを身に着けていた。
「十年くらい前に建て直した家なの。ステキでしょ。設計からインテリアまで、全部、伯母さまがかかわったのよ」
茉莉香は話題の
「はじめまして。あなたが茉莉香ちゃん? かわいらしいかたね」
ベージュのワンピースを着た優しげな姿は、この家そのもののようだと茉莉香は思った。
「はじめまして。お招きいただきましてありがとうございます」
茉莉香と真理子は、一目で互いに好意を持った。
「お父さん。茂はどうしました?」
亘は父、岸田康彦に尋ねた、
茂は亘の双子の弟ので、父の後を継ぐべく働いている。
「あれは、抜けられない仕事があってね」
抜けられなくなったのは、康彦のせいでないのだろうか? 本来はこの父親がすべき仕事だったのではないだろうか? そう
亘は、父親から目を離さないようにしていたが、いつの間にか茉莉香の横にいる。
「はじめまして」
「はじめまして。いつも亘さんにはお世話になっています」
康彦は、茉莉香をまじまじと見つめると、にこにこと笑いながら、うん。うん。と頷いた。
彼は茉莉香を一目見るなり気に入った。明るさ、優しさ、すべてが由里から聞いたとおりだった。なによりも体中からあふれる健やかさがいい。
「茉莉香ちゃんは大学生なんだってね。誰か大切なお友だちはいるのかね?」
茉莉香が
「うん。うん。いいんだよ。だけどね、友だち選びは慎重にしなくちゃいけない。性格が温厚な人間がいい。口の悪い者にろくな奴はいない。年も少し上の方が茉莉香ちゃんには合うと思うよ。それから、経済力も大切だ。借金があるなんてもってのほかだ」
康彦は、優しく諭すように言った。
社会的に高い地位的にあることを感じさせない、親しみやすい語り口と表情である。
「お父さん。なにやっているんですか!?」
亘が二人の会話を遮るように間に入る。
「いやその……」
康彦が言葉を濁らせた。
だが、康彦は今度は茉莉香の父親のもとに行き、茉莉香に言ったことと同じことを言った。
彼は父親を見れば、その娘の性格がわかると信じている。
そして、茉莉香の父親は合格のようで、やはり、うん。うん。と一人頷いているのであった。
真理子は、困ったように夫を眺め、気の早過ぎる父に困惑する亘を見つめた。
「お父さんあなたが心配なのよ」
そして、
「でも、よかったわ。あなた、元気そうだもの」
と、優しく言った。
茉莉香は会場で未希に会う。彼女は白いモヘアのニットにマーメードラインの黒いスカートを履いている。未希にしては珍しいフォーマルなスタイルだが、彼女をよりすらりと見せていた。
久美子も荒木もいる。将太が親方と一緒に現れた。
食事は立食式だった。
明るく気持ちの良い部屋のせいか、話がいっそう弾む。
茉莉香は親方を見た。
彼の皿は料理が少しずつ綺麗に盛り付けられていて、パスタをフォークで器用に巻き取りスマートに食べている。
目が合うと、話題は自然と夏樹のことになった。
親方のところにもパリの画像が送られてくると言う。
「あいつはなぁ、いずれ俺の手の届かないところに行っちまうなぁ」
そして言った。
「その時は、嬢ちゃん。一緒に行ってくれんか?」
「えっ?」
思いもよらぬ問いかけだ。
「いやいや。そんな先の話だったな」
親方はからからと笑い、茉莉香もつられて笑った。
由里は家族を紹介した。二人の子どもたちはどちらも賢そうで、礼儀正しく挨拶をする。
前川氏は内気な性格に見られた。あまり社交的ではないようで、口数が少ない。この人物が紅茶ブランドを立ち上げ、買い付けの為に世界中を飛び回っていることが意外に思われる。
由里は、
「茉莉香ちゃん! 記念撮影!」
と言って、スマートフォンを向ける。
「せっかくの茉莉香ちゃんの正装だもの。彼に送ってあげるわ!」
「そんな……」
茉莉香は恥ずかしがって由里から逃げだした。
由里から逃れた茉莉香がテーブルの飲み物に手をかけたとき、
「茉莉香ちゃん」
茉莉香の母親が話しかけてきた。
「あの人。亘さんのお父さんと話していたの」
康彦は茉莉香の母親もマークしていた。
「優しそうな人ね。亘さんに似ているわ」
茉莉香が言う。
母親は、茉莉香を眩しそうに見た。娘は家を出た時とは別人のようだ。
あの頃は、細い小枝のようにぽきりと折れてしまいそうな危うさがあったが、目の前の娘はしなやかな美しさに満ちていた。
母親として、自分がその成長に立ち会えなかったことを心残りに思う。
それにしても、亘の父親の言葉にある『大切な友だち』とは、誰のことだろうかと考えた。
そのとき、逃げる茉莉香に追いついた由里が、はじめましてと、茉莉香の母親と挨拶を交わす。
「召し上がってます?」
由里がたずねた。
「あ、ええ。どれも美味しくて……」
「この何品かは、私の母が作ったんですよ。今、召し上がっているのもそうです。母は自宅でお料理教室を開いていますの」
「まぁ、ステキ! 私も行ってみたいわ」
何気なく口にすると、
「ママ! 由里さんのお母様のお料理教室は、何か月も予約がとれないのよ」
会話を聞いていた娘が、母をたしなめるように言う。
「まぁ、私ったら何も知らなくて。失礼いたしました」
由里は生真面目な母子を見ながら、
「あら、茉莉香ちゃんのお母さん一人ぐらいならなんとでもなりますわよ。ぜひ、いらしてください。みな、気持ちの良い方ばかりですから、きっと楽しいですよ」
と、茉莉香の母を誘った。
亘は父が余計なことを言わないように、フォローして回った為に、くたくただった。
だが、それが一段落し、部屋の片隅で一息ついていると、未希がそばに来て、しばらく迷ったあと、
「あの、来年の春から、連続ドラマに出ることになったんです。端役ですけど、毎週出演場面があるんです」
「ほう。よかったじゃない。おめでとう!」
「でも、そうすると、バイトが今までのようには続けられないんです」
「あっ……」
亘は未希の幸運を喜びながらも、頭を抱えた。
また、人を探さなくてはならない。未希は店でも人気があり、仕事もできるようになったばかりだった。
「すみません」
「そんなこといいんだよ。それよりも頑張って!」
「みんな集まって! いい知らせがある!」
何事かと、皆が亘の話を聞き寄ってくる。
「ステキ!」
茉莉香は歓声をあげ、未希に抱き着いた。
「おめでとう!」
「よかったね!」
荒木も久美子も喜んでいる。
クリスマス会は、未希の新しい門出を祝福する明るさで満たされた。
未希の笑顔は希望に輝いている。
そんな中、由里はやや寂しそうだった。
「そう。みんなそうなのよね。自分のやりたい事を見つけると、去って行ってしまうの」
だが、すぐにいつもの快活を取り戻し、
「でも、それでいいのよ」
「亘さん。私ね。いずれ店に戻るわ。下の子が大学受験、もしかしたら高校受験が終わったら、そうするつもりなの」
「だって、
「だからね。それまでにはあなたも自分のすべきことを見つけてね」
由里はにっこりと笑った。
亘だけではない。
茉莉香も自分の道を探さなくてはならない。
les quatre saisonsでは、少しだけ時間がゆっくりと流れている。
リラの精に守られたられた眠り姫のお城のように。
だが、ひとたび目が覚めたら歩きださなくてはいけないのだ。
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その夜、夏樹から動画が届いた。パリのシテ島を撮影したものだ。
ノートルダム大聖堂が映っている。
すぐに電話がかかってきた。パリは今、正午くらいだろう。
「今、トゥルネル橋にいるんだよ」
今では、聖堂に一般人は立ち入ることができないという。
「日本人の観光客は、ほとんど聖堂を見るためには来ないなぁ」
地元の人も日常の風景として眺めているだけだと言う。
茉莉香は、この壮麗な聖堂で祈ったことを思い出した。
「夏樹さん。そこでお祈りして欲しいの」
「はぁ!?」
あまりに唐突な話で、わけがわからないという様子だ。
「ここでって、橋の上だぜ。ない。ない。ないよ!」
「お願い」
「祈るって、何をだよ?」
「みんなが幸せになれるように」
「……」
夏樹の嫌がる顔が目に浮かぶ。
「お願い」
「あぁ、わかった。わかった。祈りゃいいんだろ」
いつものぶっきらぼうな調子だが、茉莉香は安心して任せることができた。
こうして茉莉香の願いは、夏樹に引き継がれた。
パリでは、クリスマスはすべての店が閉められ、人々は夜のミサのあと、家族で豪華な晩餐会をする。それは翌日のお昼まで続くという。
夏樹はどこかの教会の鐘の音を聞きながら、夜を過ごすのかもしれない。
それを思い浮かべながら茉莉香は眠りに就いた。
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