第29話 エメラルドの弱み

 les quatreカトル saisonsセゾンは、年内最終の金曜日が仕事納めとなった。

 その日、茉莉香は一時までバイトをし、成田へ夏樹を迎えに行った。


 空港の地下一階のカフェで待ち合わせることになっている。


「いってらっしゃい。気を付けて。良いお年をね」


 由里は年末年始は家族で過ごす。夫のインド渡航前の貴重な時間だ。

 亘は書斎でのんびりするという。彼にとっては、それが一番性に合うようだ。それに、亘が父親と距離を置いていると耳にしたことがある。


「私はね、劇団のみんなと年越しをするの」

 

 と、未希が言う。

 

 彼女は来年の四月にスタートするドラマの出演が決まっている。クランクインまでに、由里と亘は代わりの従業員を見つけなくてはならい。

 

 



 自分はどう過ごしたらいいのだろうか? 茉莉香は成田への道すがら考えた。

 実家に帰った方がいいだろう。

 それから……

 何か大事なことがあるような気がする。


 待ち合わせ場所のカフェに着くと、ホイップクリームとストロベリーソースがたっぷりかかったラテを注文し、席で夏樹を待った。

 

 夏樹とどんな話をすべきかを考えた。

 撮影旅行の話を聞くのもいいし、彼の留守中の話をするのもいいだろう。

 亘の実家でのクリスマス会の話、未希がレギュラー番組を持った話でもいい。

 

 話はいくらでもあるはずだ。


 だが、それでいいのだろうか?

 


 やがて、夏樹が店に入って来た。

 茉莉香は手を振って、自分の居場所を教える。


「お帰りなさい」

 

 ふいに、茉莉香は夏樹がイタリアに旅立つ日のことを思い出して赤面した。

 あれは、一時の衝動のようなものだったと思う。

 彼の子どもの頃の話を聞いて、何かが胸に込み上げてきたのだ。


「あれ? なんか、すっげーの飲んでるね。大丈夫なのそれ?」


 夏樹がからかうように言う。


「あら、美味しいのよ!」


 茉莉香がむっとして言う。


「待ってて、俺もなんか頼んで来る」


 夏樹は、ブレンドを持って席に着いた。



「クリスマス会ね。亘さんの実家でやったの」


「ああ、画像見たよ。立派な家だね」


「亘さんのお父様もお母様も、とても優しそうな人だったわ」


「へぇ」


「由里さんの子どもたちも、すごくいい子たちなの。旦那様は内気な人みたい」


「由里さんのご主人が内気ってのは、意外だな」


 会話は楽しく弾んだ。

 

「それでね。それで……」


 沈黙が訪れるまで。



 やがて、夏樹は紙包みを鞄から取り出した。


「これ。クリスマスに会えなかったから」


 細長い小さな箱のようだった


 茉莉香は、丁寧に包み紙を開けた。

 ケースの中には、華奢な金のネックレスが入っていた。

 細いチェーンに釣り合わせたかのような小さな緑色の石がついている。


「あっ……」


「それ、小さいけど一応エメラルド。この前の緑の服に合うと思って」


 由里が送った写真を見てパリで選んだと言う。


 茉莉香は戸惑った。父親以外の異性から装飾品を貰うのは初めてだった。

 

 夏樹がじっと様子をうかがっている。





「ありがとう!」


 茉莉香はネックレスの入ったケースを胸元に引き寄せた。

 緊張した夏樹の顔がほっと緩む。


「でも、大丈夫? 借金あるんでしょ?」


 夏樹は、がっかりとしたように


「大丈夫だよ。安いものだし、それぐらいで借金がどうこうならないよ」


 茉莉香は笑った。


「ありがとう。エメラルドはね、私の誕生石なの」


「へぇ! 偶然。そう言えば、茉莉香ちゃんの誕生日知らなかったな」


「うん。五月十五日よ」


「じゃあ、そのころにはもっと、金をためて。それ、ちょっとひっかけたら切れちゃいそうじゃない?」


「そんな。借金が」


「だからさぁ!」


 二人はまた顔を見合わせて笑った。


「とても素敵。大切にするわ」





 

「ねぇ、茉莉香ちゃん。初日の出を見に行かない?」

 

「わぁ! 私も見たかったの。大みそかとお正月は、実家に帰っているから迎えに来てね。両親に紹介したいわ」


「ええっ!?」


 夏樹の慌てる顔を見て茉莉香が笑う。


「じゃ、じゃあ、場所考えておくよ」

 

 


 こうして、二人で初日の出を見に行くことが決まった。





 翌日、茉莉香は実家に帰った。母と一緒に大掃除をし、正月料理を作った。

 大みそかの夜も更けた頃、一台の車が家の前に止まる。

 

 運転席には、荒木、助手席に久美子、後ろに夏樹が座っていた。

 久美子が大げさな身振りで手を振っている。

 

 荒木に大晦日の予定をしつこく聞かれ、初日の出を見に行くことを、つい、漏らしたという。

 

「しょうがないじゃん。一緒に来るって言われちゃって」


 夏樹が言い訳がましく言う。


 何事かと、茉莉香の両親が家から出てきた。


 荒木、久美子、夏樹が挨拶をするために車から降りてくる。


「あ、あの……お友だちを紹介するわね。エンジニアの荒木さんと、銀行にお勤めの川島さん。それと、北山夏樹さんよ。建築のお勉強をしているの」


 母親は三人を交互に見た後、夏樹のところで視線を止めた。


「北山さん?」


「は、はい!」


「これからも茉莉香のお友だちでいてくださいね」


「はい!」


「茉莉香は、普段は明るい子なんですけど、生真面目に考え過ぎてしまうこともあって……」


「ママ! もう、出発しなきゃ!」


「まぁ、ごめんなさいね。初めて会った方に」

 

  

 車は再び走り出した。



 前部座席の久美子と荒木は、話が弾んで楽しそうだが、なにやら騒々しい。

 

 茉莉香は、自分たちの関係を周囲が気遣う中、彼らの無頓着さがむしろありがたかった。


「場所はどこへ?」


 夏樹は、観光地として知られる海岸の名を言った。


「みんなで行くのも楽しいわね」


 茉莉香が言うと、


「ああ」


 夏樹が同意をする。



 四人を乗せた車は、暗闇の中、夜明けの海へと向かった。

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