第27話 待降節

 由里の執筆した『あなたと紅茶』が書店に並ぶ日が来た。les quatreカトル saisonsセゾンのカウンターにも置かれ、常連客達が会計の際に買っていく。


 一般に販売される前に、本を渡された時の感激を茉莉香は忘れないだろう。


「キャー!」


 思わず歓声をあげた。


「ステキな本。それに、私の写真が……」


 全体の中ではごく一部であるが、茉莉香にとっては大きな喜びであった。


 書店で見かけるたびに、何度も嬉しさが込み上げてくる。

 大々的に宣伝をしていない割には、売上もまずまずだという。

 茉莉香は、食品コーナーの片隅にひっそりとディスプレイされている本を見かけると、つい目立つところに置きなおしてしまう。すぐ元に戻されるとわかっていながらも、そうせずにはいられない。



(素敵な本なのだから、もっとたくさんの人に読んでもらいたい)


 茉莉香は思った。そして、手始めに学校の友人たちにすすめる。

 何人かが興味を持って買ってくれた。

 

 その中には、一足早く社会人の仲間入りをした茉莉香を応援したいという者も現れた。


「へぇ! 浅見さんて、編集やってたんだ」

 

 長身で浅黒く日焼けした学生が興味津々に本を眺めている。

 テニス部の部長で、彼女を慕う学生は多い。


「いえ、私は少しお手伝いしただけで……」


 思わぬ反応に茉莉香はたじろぐ。


「あら! 夢に一歩近づいたのよ! 私そういう人を応援してあげたいの。部員にも薦めるからから十冊頂戴!」


 腹の底から響くような、明るく力強い声で言う。

 

「あ! ありがとうございます!」


 茉莉香は深々と頭を下げた。


 テニス部部長は、うん。うん。と周りを明るく照らすような笑顔でうなずきながら、ぎこちなく頭を下げる茉莉香を見つめた。


 羨望の眼差し茉莉香を見る者もいる。


「頑張ってね。今度いろいろとお話を聞かせて」


 彼女たちは、そんな言葉を茉莉香にかけてきた。





 とにかく、茉莉香は自分の想像以上に本を売ることができた。

 

 電話で夏樹に報告をすると、


「茉莉香ちゃんが営業? 嘘っ!!」

 

 心底驚いている様子だった。


「でもね、あんまり目立っちゃいけないから、こっそりと……ね。」


「ふーん。そういう心遣いできるんだ」


「あっ! ひっどーい」


 何のことはない会話である。







 ある日、茉莉香は校内で女学生の一群に遭遇する。

 かつてのクラスメイトたちだった。知佳と沙也加を除いて、茉莉香がいつも一緒に行動したメンバーは、ほぼそのまま残っている。

 沙也加は茉莉香の休学した頃から、彼女たちと距離を置いていた。

 

 クラスメイトたちが茉莉香の抱えた本を見ている。

 茉莉香は声をかけるべきか、そのまま通り過ぎるべきか迷った。


(ううん。由里さんの本を一冊でも多く売ろう!)


 勇気を出して彼女たちに話しかけた。

 

「あの! 読んでもらいたい本があるんだけど」

 

 一瞬の沈黙のあと、一人が控えめにそれを破る。


「その本、茉莉香ちゃんが編集にかかわっているのよね。私、前から読んでみたかったの」


 それに続くように、


「うらやましいわ。出版や飲食の仕事に就きたいと思っている人は、学内にもたくさんいるのよ」


 と、言う者がいた。


 茉莉香は、自分が周囲からいないがごとく扱われていたと思っていたので、彼女たちの反応を意外に思う。

 

 手持ちの本は、あっという間に売り切れ、足りない分は予約としてとりつけた。プレゼント用にもう一冊買おうとする者には、ギフト用の包装を施し、後で渡す約束をする。


 だが、茉莉香は彼女たちのもの言いたげな表情を見て、本当に求めているのは本ではないことを悟った。


 口には出さないが、何かを乞うようにこちらを見つめている。


 茉莉香は、高校最後の年に起こったことを思い出すと、苦い気持ちがこみあげてくる。こうして取り囲まれていると息が詰まりそうだ。


 だが、今、自分がなすべきことがあることを察知する。しかも、それは、“今”でなくてはならないのだ。


 

 やがて、いつもの小さな弾むような声で、目の前の級友クラスメイトに語りかける。


「今度、les quatre saisonsに遊びに来てね。お茶の種類がたくさんあって、迷っちゃうと思うから、一緒に探すわ」


 そして続けた。


「おススメは『今日のサンドイッチ』なんだけど、すっごく評判がいいから、みんなが来る頃には売れ切れちゃうかな?」


「そのかわり、ケーキや焼き菓子が美味しいから、ぜひ食べてもらいたいの」


 自分たちの知っている、以前の明るく優しい茉莉香を見て、周囲が安堵の空気で満たされていく。


「うん。絶対に行くわ! 前から行きたかったの。でも、高いの?」


 いくら家庭が裕福であっても、学生の身では自由になる金額は限られている。


「ものによってはちょっとだけ。……ね」


 茉莉香はいたずらっぽく笑う。


 茉莉香は店の営業時間やメニューの説明を簡単にした。


「今度、必ずいくから」


 皆が口々に言う。


 茉莉香は気持ちが安らいでいくのを感じた。

 だが、クラスメイトたちと和解できたことに対する喜びとは違うような気がする。

 茉莉香の心はすでに別の方に向かっていた。


「絶対に来てね。約束よ」


 親愛の情を込めて、茉莉香は別れの挨拶をした。







 その夜、茉莉香は一人自室で過ごした。


 外では、年末の慌ただしさに皆が忙しく動きまわる中、茉莉香は静かに時の流れていくのを感じていた。


 目を閉じると、パリで夏樹と出会った日のことが、ありありと思い出される。

 les quatre saisonsが再開され、未希と出会い、本の出版に係わった。

 様々な出来事のあった一年を、一つ一つ振り返る。


 (次は何が起こるのかしら?誰と会うのかしら?)



 街がクリスマスのイルミネーションに彩られる中、茉莉香は何かを予感しながら、それを静かに待つのであった。









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