第12話 糸車は回る

「茉莉香ちゃんちょっと」


 閉店後の掃除をしながら亘が声をかける。


「昨日、北山君となにかあった?」


「えっ」


「なんかようすが変だから」


「わかるんですか? やっぱり亘さんはすごいですね」


 いや、茉莉香がわかりやすすぎるのだ。感情が透けて見えるようだと亘は思う。


「実は……。」


 茉莉香は昨日の夏樹とのことを話し始めた。その中には、夏樹と将太が同じ施設で育ったことも含まれる。


「そんなことがあったんだね……でもね、こういう言い方をすると失礼かもしれないけれど、僕たちが経験のないような苦労をしているだろうし、それに、あの二人にしかわからないことがあるだろうからね。北山君は田中君の面倒をなんだかんだといって見ているようだし」


「あっ……。私ったら、何も知らないのにあんな失礼な態度をとったりして。どうしよう」

 

 うろたえる茉莉香を見て、


「いや、そこまで責任感じる必要は……。初めてのデートでにふさわしい話じゃないよね? まぁ、今度会ったら、いつものように元気に挨拶すればいいじゃない」


「そうでしょうか?」


 亘は穏やかにうなずく。

 茉莉香は安心したような表情で帰って行った。









「いいわねぇ……若いって」


 由里が厨房から顔を出す。彼女はこの店のオーナーだ。

 フェミニンなニットにタイトスカートを身に着け、肩まである髪をゆるく巻いている。

 上品で快活な女性だ。


「“猿の手”なんかで喧嘩する気持ちなんて、もう理解できないわぁ」



 由里は店と同名の紅茶ブランドの社長夫人であり、この店のオーナーであり、亘の従姉である。彼女は、息子の中学受験の準備のため、店を亘に任せた。その子はこの春無事に志望校へ進学した。

 三日前にウヴァティーの買い付けのため、スリランカへ行っていた夫が帰国している。

 

 ウヴァは、世界三大銘茶のひとつだ。適度な渋みと、清涼感と果実味のある香りが魅力である。ミルクティーにも適しているが、旬のものはストレートで飲みたい逸品だ。

 

 由里は店に入荷するこの茶葉のことで打ち合わせに来ている。


「まだ、そういう間柄じゃなさそうですよ」


「でも、苦労人なんでしょ。その子。茉莉香ちゃんはしっかりした人が合うと思うの」


  由里の夫もいわゆる“苦労人”だ。父親を早くに亡くし、高校を卒業後、働きながら大学に通った。彼の職場でバイトとして働く由里と知り合い、由里の卒業を待って結婚すると言い出したときは、一族そろって反対したのを亘は覚えている。


「私が夫に会ったのは、茉莉香ちゃんの年だったのよ。夏樹君も同じくらい。なんか、他人事じゃないわ」


「確かに、しっかりはしているんですけどね」


 問題はそれが過ぎるところだ。妥協することができず、思ったことをそのまま口にしてしまうのはまずい。由里の夫は温厚な人格者でそんな心配は全くない。


「新しい人はどう?」


 未希のことである。


「最近ミスが減りましたよ。ウヴァを今月のオススメにして、未希さんにアピールしてもらうといいかもしれませんね」


  未希の店での人気を考えると、効果が期待できそうだった。



 由里は茉莉香の作った『les quatreカトル saisonsセゾン読本』に目を通した。未希用に作ったマニュアルに手を加えたものを、客の目の付くところに置いてある。


「これ、本当によくできているわね。写真も文章もきれいだわ。わかりやすいし……茉莉香ちゃんこういう才能あったのね」


「ええ。そうですね」


「あのねぇ。私、今度本を出すのだけど、アシスタントが欲しいの。茉莉香ちゃんに手伝ってもらえないかしら?」


 由里の夫の知り合いの編集者から、


「紅茶の本を出してはどうか?」


 と、打診があったという。


 亘は考えた。悪い話ではない。毎日学校と店の往復だけの茉莉香に、新しい経験がきっといい影響を与えるだろう。未希もしっかりしてきたからなんとかなるはずだ。



「いいですよ」


「茉莉香ちゃんのためになるって考えたでしょ?」


 由里が見透かしたように言う。


「もしかして責任感じてる? 附属大学に進学するように説得したこと。あれはベストな選択だったと思うわよ」


 確かにあれが最善だったと亘も思う。あの状況で、新しい決断をするのは無謀だった。だが、いじめの主犯格とは言え、彼女達の同級生が退学し、その父親が投獄されたのだ。

 幼稚園から一緒に育った少女たちの結束は良くも悪くも固い。茉莉香の一家は被害者のはずだが、茉莉香と学友たちの間には溝ができてしまった。


「別に、そんなことじゃないですよ。茉莉香ちゃんには直接言ってください」


「あと、夏樹君もどうかしら? 彼も使えそうだから」


「いえ、彼にはちょっと別の……」


「ふーん」


 



 由里は、なんだかんだといって面倒見のいい亘を、感心と呆れた気持ちの両方を持って見た。


 亘の父親は、言わば婿養子である。由里の母親が学生時代に知り合った恋人と結婚したために、妹である亘の母親が彼と結婚して家を継いだ。

 

 姉妹でありながら、外見も性格も大きく違う。快活で華やかな姉と、穏やかで慎ましい妹だ。二人は現在それぞれ幸せそうである。

 

 由里の母親は、実家で月一回料理を教えている。表立って宣伝はしていないが、口コミで予約の取れない料理教室として評判である。彼女は今でもおしゃれで明るく若々しい。

 

 それに比べ、亘の母親は多忙な夫を支え、家を守ることに毎日を費やしている。必要がなければ、あまり外出もせず、人とも係わらないようだ。

 

 亘は叔母に似ていると思う。ふたりには悪いが、由里には彼らの気持ちが理解できない。自分の人生なのだから、自分で決めた道を好きなように生きればいいのではないかと思う。

 

 由里は亘のことが気がかりだった。








 夏樹がやって来たのは、由里の訪問から間もなくの夏が終わろうとするある日だった。

 

「茉莉香ちゃんは、しばらくお休みだよ」


 亘が、由里が紅茶の本を出す手伝いをするためだと伝えると、


「確かに向いているかもしれませんね」


 予想通り元気がない。

 亘はそんな夏樹に言った。


「実は、北山君に話があったんだ。このマンションを設計した建築事務所がバイトを探しているんだけど、どうかな?」


「えっ!? 俺でいいんですか?」


「うん。君は気が利きそうだからね。一日三時間からでOKだそうだよ」


「ぜひ、お願いします!」


 少し前までしょげ返っていた夏樹が、一気に持ち直す。 


「学生だから、まずは週三くらいでどうかな?」


「えっと……」


 夏樹の返事は煮え切らない。


「何? 少ないの?」


 亘が尋ねる。


「いや、そうじゃなくて……今、ちょっと立て込んでて、しばらくは週一にして欲しいんです」


 もっと、がっつり来るかと思った予想が外れた。


「じゃあ、そうしよう。議事録の作成や、打ち合わせの同行、SNSの更新とかから始めてもらうらしいよ」


「はい! お願いします」


 こうして、夏樹と茉莉香の新しいバイトが決まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る