第10話 デート(?)

 夏樹はうきうきとシャツを選ぶ。といっても、少ない着回しの中から、少しでもましなものを選ぶだけなのだが……。


 親方が現れた夜のお茶会の帰り際に、茉莉香に相談したいことがあると声をかけられたのだ。相談とはなんだろうかと思うが、店の外で会うのは初めてである。


 待ち合わせはオープンテラスのカフェだった。夏樹は約束の1時間前からここで茉莉香を待った。

 やがてパステルイエローのアンサンブルに、オリーブグリーンのチュールスカートを履いた茉莉香が現れた。

 

 バイトの時は束ねている髪が、今日は結ばれていない。

 流れるようなストレートの髪が背中まで伸びていた。

 艶のある黒髪が、風にのってそよぐ。


 夏樹を見つけると、にっこり笑いながら小さく手を振る。軽やかな足取りでテーブルにつくと、椅子を引くウエイターに礼を言い、いつもそうしているのだろう、服が皺にならないように気を配りながら、膝を揃えて座った。


 姿勢を正し、夏樹に向き合うと、


「ごめんなさい。待たせてしまいましたか?」


 と、尋ねてきた。


 すべてが自然に流れるように行われ、まるで神聖な儀式のようである。

 思わず見とれたが、我に返ると、

 

「いや。今来たところ。茉莉香ちゃん丁度待ち時間に来たから」


 と、慌てていった。

 

 二人は、パスタセットを注文する。


「相談事ってなに?」


「あの……相談したいと言うより、お話が聞きたくて。夏樹さんて、高校行かないで大学受験したんですよね」


「うん」


「そ、その……不安とかなかったですか? 実は、私、附属の高校から大学へ進学しないで別の大学へ行こうとしたんですけど、諦めてしまったんです」


「どうして別の大学に進学しようとしたの?」


 茉莉香は自分が一時不登校になったことがあり、それを機に、将来について考えるようになったと言う。


「ふーん。そんなことがあったんだ」

 

 これは、夏樹が初めて知った、彼が茉莉香に出会う前の出来事だった。少しだけ距離が縮まったようで、辛い思いをしたであろう茉莉香には悪いと思いながらも嬉しかった。


「夏樹さんは将来についてきちんと考えているんですよね」


「うーん。まずは建築士の資格を取ろうと考えているけど、どうかかわっていくかは、まだわからないなぁ。でも、やっぱり、なんかでっかい仕事がしたいな」


 茉莉香に熱のこもった瞳を向けられて、照れながらこたえる。


「すごい! 夢があるんですね。いいなぁ。夏樹さんも未希さんもちゃんと将来のこと考えているんですね」


 未希と一緒にされることは面白くないが、この気分の良さに比べればどうということはない。

 

「でも、俺も大学受験はたまたまだよ。ほら、あの親方に命令されて断れなかったんだ」


 茉莉香がクスリと笑った。


「そうね。断りづらいですよね」


 言葉通り、『相談』だった。周囲を見渡すと、何組かのふたり連れが楽しそうに話をしている。他人から見て、自分たちは彼らと比べて何の遜色そんしょくもないように思われる。少なくとも見た目だけは……。

 

「案外、偶然の力って大きいんだよ。あとは……」



 しゃべり過ぎてはいないだろうか? 夏樹は言葉を止めて茉莉香を見る。

 茉莉香は小さな唇をカップに近づけているところだった。


 目を伏せると、まつ毛が一層長く感じられた。白い肌、細く長い首が華奢な肩につづく。

 これほど間近に茉莉香を見るのは初めてだった。


 パスタが運ばれてくる。


「いただきます」


 すぐに、夏樹は自分のとった行動にひやりとした。

 

 無意識に十字を切っていたのだ。


 仕事の先輩たちにからかわれて、封印したはずの習慣だった。なぜ、こんな時に現れたのか? 自分を呪いたくなる。


 茉莉香が黙って自分を見ている。


「俺、キリスト教系の養護施設で育ったんだ」

 

 夏樹は茉莉香の意図が測れないまま、言葉を続けた。

 

「今まで言わなくてごめん。隠していたわけじゃないけど」


 茉莉香がにっこりと笑う。


「それほど親しいわけではなかったですからね。でも、話してくれてうれしいです。なんか夏樹さん、私たちを警戒していませんでしたか?」


 夏樹は施設育ちであることを話すことができてほっとした。


「私、夏樹さんってすごくいい人だと思って、親しくなりたかったんです。パリでお財布取りに帰った時、あんなに慌てなくてもいいのに。無理したんじゃないですか?」


 茉莉香が自分に好印象を持っていてくれたことが嬉しい。


 だが、話していないことは、まだいろいろと残っている。


 たとえば……父親のみじめな死にざまについて話せる日が来るのだろうかと考えた。

 

 感傷を振り払う。

 ここのところの自分は無意味な思考に取りつかれやすいようだ。



「クリスチャンなんですか?」


 夏樹のとりとめもない考えは、茉莉香の言葉で終わった。


「いんや」


 現実に戻ってこたえる。


「でも、すごいわ。ついお祈りしちゃうなんて。私の学校もキリスト教系だけど お祈りなんてしたことないもの」


「俺も食前の決まりで祈らされてただけだよ。でも、将太はよく祈っていたな」


 それを聞いた茉莉香が小さくクスリと笑った。何かを想像しているようだが、夏樹には何ががおかしいのかがさっぱりわからない。だが、それは嫌な感じではない。ふたりの会話は、とりとめもなく続き、時折、茉莉香がこぼれるように笑う。

 

 だが、それは夏樹の視線にあるものが入ることで終わった。

 

 茉莉香が夏樹の様子がおかしいことに気づき話を止める。


 彼の視線の先には、一組の男女が座って親しげに話していた。

 

「あれ、将太さんですよね」


「ああ」


 苦虫を噛み潰したような表情で夏樹がこたえる。


「一緒にいる人は?」


「お袋さんだよ」


「えっ? 若い」


 将太の母親は、彼の姉と言っても不自然でないほど若々しい。


 黙り込んでいたが、やがて夏樹は口を開いた。


「将太はね、いつも“お母さんと暮らせますように”って祈ってたよ」


「えっ? よかったじゃないですか。将太さん。お母さんに会えたんですよね?」


 茉莉香は、様子がおかしいと感じているようだ。


「ねぇ、茉莉香ちゃん“猿の手”って知ってる?」


 夏樹にそのつもりはなかったが、口調はかなり意地の悪いものになっていた。


「いいえ?」


 おそるおそる、茉莉香がこたえる。


 『猿の手』はイギリスの作家ジェイコブズの小説だ。


 ある老夫婦が、一人息子と三人で暮らしていた。彼らは、持ち主の望みを三つ叶えるという猿の手を受け取る。家の残金を払うのに200ポンドが欲しいと願った翌日、勤務先の工場で息子が機械に挟まれて死んだ。勤務先は“200ポンド”を夫妻に支払った。


 妻は夫に、猿の手で息子を生き返らせるように願う。息子の酷い死に様を見た父親は彼女を説得するが、結局、二つ目の願いをかけた。しばらくして、夫妻は家のドアを誰かが叩く音に気付く。結果を恐れた父親は猿の手に最後の願いをかける。

 

 扉の向こうには誰もいなかった。



 と、いう話である。



「ゾンビなんか帰ってきたらお袋さんは卒倒しちまうよ。しかも機械に挟まれて死んだんだぜ!」


 夏樹は吐き捨てるように言う。



「えっ? なんでそんな話をするんですか?」


 茉莉香の声からいつもの明るさが消え、とがめるような口調になった。


「叶わない方がいい願いもあるんだよ。猿の手の方がキャンセルできただけ、まだましだ!」


 と、怒りをぶつけるように言った。


「おかしいです! そんなこと言うなんて!」


 茉莉香は顔がみるみるうちに紅潮していく。あきらかに怒りの為であろう。


「……」



 二人の間に気まずい沈黙が流れた。

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