第7話 訪問者

 les quatre saisonsの主な客は、近くに住む主婦たちである。彼女たちは、家族が家にいる土曜日は来店しない。その代わりに勤め人たちがやってくるのだが、雨の日にはその数も少なくなる。今日は朝から雨が降っている。


 そんなわけで、その日の客は亘と久美子だけだった。

 亘はテーブル席で静かに茶を飲み、久美子はカウンターでとりとめもなく話をしている。今日のように暇なときは、由里や茉莉香が相手をすることは珍しくはない。今日の相手は茉莉香だった。


「ねぇ、吉岡さんって知ってる?」


「誰ですか?」


 茉莉香が恐る恐る聞き返す。


 誰もいないせいか、あるいはもともとそういうことを気にしない性格なのか、

 これからの話がいかに不穏なものかを予感させる物言いだったからだ。


「あのカウンセリングルームに三十年以上通っている人なの」


  亘は誰もいないかのごとく、平然と茶を飲んでいる。


「久美子さん。いくら誰もいないからって、そういう話はねぇ」

 

 由里の機嫌が悪い。茉莉香は、久美子の話を止めさせたかった。が、久美子はなかなかしつこい。


 茉莉香は以前、久美子が優秀な人材として目をかけられているという話を、客の誰かから聞いたことがあった。その彼女が、これほど聞きわけがないことが理解できない。 

 



 そのとき、一人の客が来店した。


 やっと話題が変えられる。茉莉香はほっとして客を迎えた。


「いらっしゃいませ! お好きなお席にお座りください。メニューをどうぞ」


「なにかおススメはありますか?」


 客は、自分がひどく歓迎を受けていることを感じているようだった。


「ウバティなどはミルクを入れると飲みやすいですし、白桃はストレートでさっぱり召し上がれます」


「じゃあ、ウバティお願いします」


 彼は、きょろきょろとあたりを見回したのち、標的を見つけたようだ。


「岸田さん。ご無沙汰しております」


「やあ、荒木君。ひさしぶり」


 荒木の表情は、久しぶりに会えた嬉しさに満ちている。


 だが、すぐに顔に緊張感が走る。


「岸田さんのお耳に入れたいことがあって来ました」

 

「大事な話みたいだね。続きは僕の部屋でしないか?」


 茉莉香は店を出る二人を見送った。








 荒木は亘の父親の会社の傘下にある、岸田ソリューションに勤務している。


「で、話って何だい?」


「実は、勤務先のことで……」


 躊躇ったのち、腹をくくったのか一気に話し出した。


「架空取引があるようなんです」


「?」


 話は続く。

 北星ほくせい銀行の発注したシステム開発を下条エンジニアリングが受注し、業務の一部を岸田ソリューションが請け負っていることになっている。だが実際には業務は執り行われていないということだった。


「なんでそれを君が気づいたんだい?」


「たまたま総務に保管されていた勤怠表を見たら、俺が北星銀行に出向していることになっていたんです。ほかに五人いました」


  それで経理に探りを入れてみたところ、下条と岸田の間で金銭の授受があることが判明した。現時点で、経理課と総務課の間では、エンジニア六人の出向の情報は共有されていないらしい。


「このままじゃ、俺が片棒かついだことになりませんか?」


「いや、それはさすがに大丈夫だろう」


 いくら何でも本人自ら出向をでっちあげるなんて考える者はいないだろう。

 そうは言っても、絶対とは言い切れない。荒木が上長に相談することを、躊躇ためらったのもわからないでもない。


「でも、なぜ僕にこの話を?」


「あ、あの他に相談できる人がいなくて」


 買いかぶられたものだ。亘には全く権限がない。すべては父を役員としてサポートする双子の弟の茂にゆだねられている。


「ひとまずは、よく話してくれたね。どうするか考えてみよう。下条エンジニアリングにも手引きした人間がいるはずだ。いや、おそらく下条が主犯だろう」


 下条エンジニアリングと岸田ソリューションでは、規模は下条の方が各段上だ。


「ありがとうございます。やっぱり岸田さんに相談して正解でした。岸田さんは俺の恩人です。研究会に紹介頂いたときは本当にうれしかったです」

 

 亘には誘った覚えがない。そういえば、父親の会社のイベントで会ったときに、社交辞令でなにか言ったかもしれないが、それすらも記憶にない。


 それにしても気になるのは、下条エンジニアリングのことだ。

 入居申込書に書かれた、茉莉香の父親の勤務先だ。


 亘は早急に連絡するから、それまで内密にするよう言い聞かせて帰らせた。

 


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