第6話 雨の日とカモミールティー
茉莉香は、週一回カウンセリングに行く。
今日も広く明るい待合室で、自分の番が来るのを待っていた。
熱帯魚の泳ぐ水槽、手入れの行き届いた観葉植物、スピーカーからは鳥のさえずりや、小川のせせらぎが流れ、来院者が心地よく過ごせる配慮がなされている。窓は大きく日当たりがいいはずだが、ブラインドがあがっているのを茉莉香は見たことがない。
先生はいつも優しく、いろいろな話を聞いてくれる。
でも、茉莉香にはこれ以上何を話したらいいのかわからなかった。
「無理しなくていいのですよ。学校に行けるようになったら、行けばいいですよ。あなたはあなたのままでいいのです」
先週も同じことを言っていたような気がする。
茉莉香はそんな失礼なことを考えていけないと思いながら、体調が良いこと、勉強が順調に進んでいること、ひとりで過ごす時間が充実していること、最近アルバイトを始めたことを話した。
先生はにこにこと笑顔で聞いている。
待合室で会計待ちをしていると、女性の大声が聞こえてきた。
「じゃあ、どうしろっていうの!?」
先生はなだめているようだが、聞こえず、女性の声だけが甲高く響く。
荒々しくドアが開くと小柄な女性が飛び出して来た。
社会人のようだ。
目を合わさないようにあわてて下を向く。
「お会計!!」
受付の人が、順番を待つように言っても聞くようすもない。
「仕事を抜けて来たのよ!」
茉莉香より先に済ませてさっさと帰って行った。
「ごめんなさいねぇ」
受付の人がすまなそうに言う。
「いえいえ……私は時間ありますから」
茉莉香は笑って答えた。
由里の子どもたちの登校日に合わせているのだ。
ブランチに来る勤め人が多く、彼らは少し眠そうな顔で、サンドイッチやトーストを注文してぼんやりと過ごして帰って行く。
「アールグレイをミルクティーで。それからチーズトースト」
ずかずかと入ってきた女性が、どさっとカウンターに座る。
アールグレイはベルガモットの風味付けをしたフレーバーティーだ。
「アールグレイはストレートで召し上がった方が……」
茉莉香が言いかけると、
「いいのよ!」
と、強い返事と共に目が合った。
「あ!!」
同時に声をあげる。
カウンセリング・ルームの待合室で出くわした女性だった。
「あーあなた」
言われて茉莉香はうつむいた。
「気にすることないわよ。今時カウンセリングぐらい。あなたいい子みたいだし、きっと先生にも好かれているわよ」
彼女は ”何にも” 気にしていないようだ。
カウンセリングに通っていることも、
そこでひと悶着起こしたことも……。
「そんなことは……」
「そーよー。大切なのは “ ひ・と・が・ら ” だそうよ! 学校にいくかいかないか、働くか働かないは問題じゃないって、先生の本読んだことないの!?」
と、語気荒く言う。
茉莉香は受付の書棚に並んだ本のことを思い出した。だが、そんなことが本当に書いてあるかは疑問に思う。
「だからねー自業自得だけど、こんな性格で働いて苦労している私なんて、大っ嫌いなのよ。お前なんて社会に出る資格ないって思ってるのよ!」
茉莉香には、その言葉は容易に信じることはできなかった。
なにはともあれ、
まずは注文されたお茶を運ぶ。
カップにたっぷりミルクを入れている姿をそっと見た。
「飲んでみて」彼女はカップを差し出す。
「えっ……でも」
断り切れず、そっとカップを口に運ぶ。
茉莉香の顔に驚きの表情が現れた。
それを見た女性はにっと笑う。
「意外と合うでしょ? ここの茶葉はミルクとも合うの。ブレンドのバランスかしらね? ちょっと癖になる感じというか……」
そう、意外と合う。でも、ミルクのまろやかさと茶のシャープさが、調和せず競い合っているようだ。今しがた交わされた噛み合わない会話を思い出させる。
この女性のイメージにぴったりだ。
彼女は自己紹介をはじめた。名前は
メガバンクで働いている。クリニックには半年前から通っているとのことだった。
久美子は唐突に、勤務先の支店の統廃合、配置転換、増える業務……など、身の上話を、強気の姿勢から一転し、力なく話し始める。ころころ変わる印象に茉莉香は戸惑った。
「眠れないのよね……対人関係も影響していると思う」
「ちょっと待っていてください」
保管棚のところにいくと、お茶をスプーン二杯ほどラップにくるんできた。
「あの、これカモミールです。眠れないときに効きますよ」
と、笑顔で渡した。
カモミールは日本でも愛飲する人の多いハーブのひとつだ。
消化の促進の働きや沈静作用があると言われている。
久美子はしばらく何が起こったのかわからずぽかんとしていたが、
「ありがとう。あなた優しいのね」
にっこり笑って受け取ると、片手を振りながら背を向けて歩きはじめた。
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