第5話 裏切り

「そろそろ俺が話してもいいかー?」


ダラスが声を発した瞬間、母さんはバッと勢いよく振り返り、ウェディングドレスの姿で地に頭を擦り付けて、懇願するように話す。


「どうか、どうかこれ以上息子に酷い事をしないで下さい。私はどうなっても構いませんから。私は何をされても抵抗せず受け入れますから!どうかお願いします!」


それは母さんの心からの叫びなのだろう。

母さんの顔が見えないおれでも分かるぐらい、覚悟を決めた人の、いや、おれにさえ手を出されなければ自分はどうなってもいいという、一種の諦観が垣間見える気がする。

でも母さん、それはおれが望むものじゃない。その母さんの決意は、無駄に終わるはずだ。

どれだけ母さんがそう願っても、相手は母さんを無傷で手に入れたい筈だ。

大事な商品なのだから。


「そいつぁー出来ねぇな。あんたをどうこうすんことは、おれに許されてねぇ。だから乱暴はしねぇし、心配すんなよ」


ダラスはそう、慈愛の篭った目で母さんを見つめながら、言う。


「それは……、それは、息子にも手を出さないと、そういうことでいいんですか……?」


母さんは、疑惑のこもった目と、少しの期待をのせて、ダラスに問う。

…………まぁ十中八九、それはないだろうな。


「いやそれはダメだなぁ、うん。俺はそいつに用があるだけで、あんたには一切手を出さないし、安心してくれと、そう言ったんだが伝わらなかったか?」

「そんな!!」


ダラスは慈愛の篭った目から嘲るような態度へと変わり、母さんもこいつの返答は分かっていたはずだが、希望を摘み取られたからか、甲高い声で叫ぶ。

母さんもやはりこの状況に混乱していたのだろう。さっきまでのおれみたいに、冷静な思考力を奪われている。

今の母さんに何を期待しても無駄だろう。

………だからこそ、おれはここで母さんに、ある事を言わなければならない。


「とりあえずお前はファインツ様のお気に入りになる予定だ。何かあっちゃいけねぇから、自分の檻のなかへ戻ってもらう。……おら、ついて来い」

「いやッ、いやよ離してッ!アースッ!アースを殺したら私も舌を噛み切って死ぬわよ!!それでもいいの!?」

「めんどくせぇな〜、気絶させるくらいならいいか」


母さんが気絶する前に、おれは母さんに向かって言う。

ごめんね、母さん。これから酷いことを言うけど、ちゃんと最後まで聞いてほしい。


「…………気絶させる前に、母さんと少し話させてくれ」


ダラスは一瞬怪訝な顔をしたが、おれの顔を見ると、まるでのおれの思考を読んだように、ニヤリと笑った。


「いいだろう。ただし、お前はそこから一歩も動かずに話せ。この女も俺が拘束して動けないようにする。最後の触れ合いとかはなしだ。それがわかったら、手早く言いたい事をいいな?ガキ」


おれはコクンと頷くことで了承を示し、母さんに一方的に話す。


「アース……!あなたも辛いのよね……!大丈夫、安心して?母さんが必ずなんとかするから………!」


母さんはおれが辛くて、今から助けを懇願すると予想したのだろう。

まぁ、普通の子供だったら涙と鼻水でぐっしょりで、それをするのも分かるが、おれは違う。

おれは子供だが、母さんが思っているほど幼いわけじゃない。

だっておれは、転生者だから。

だから今から言うのも懇願なんかじゃない。

今さら自分が助かろうとも思わない。

おれは前世で家族や友人を不幸にした。

だから、おれが死んでも母さんの負担が軽くなるようにする。

それを、今からする。


「………はぁー。疲れたな〜」

「………………え?」


母さんはおれの第一声が思ってたのと違ったからか、困惑の色が大きくなった。


「あんたさえいなけりゃおれがこんな痛い思いしなくて済んだんだよなー。ホントッ、疫病神にも程があるでしょー。あーキツかったわ〜!今まで演技でいい子ちゃんぶってたけどもう限界!………、おれ、元からあんたのこと嫌いだったんだよね〜」

「え?アース?アー君?何いって」

「それ!そのアー君ってやつ!マジでやめてほしい!おれその呼ばれ方嫌いなんだよ!何がアー君だよ!吐き気しそうなんだよ!バーーカ!」

「……………………………」


母さんは惚けたようにおれの話を聞く。

恐らく普段とおれの態度や口調が違いすぎて、混乱がさらに混乱を呼んでもう放心状態なのだろう。

だが………、まだ足りない。


「大体おれの父親って誰なわけ?母さんどんな男とヤったわけ?冒険者?職員?貴族?…………それともまさかスラム街の奴え?まさかだよね?」

「………!ちッ、ちが」

「うわー、そんなに慌ててるってことはもしかしてスラム?それとも貴族?……いや、もしかして全員とヤったことあんの?だったらクソビッチじゃん!うわ〜ないわー、ホント自分の母親がクソビッチとかないわー」

「アース……?本当に、一体どうしちゃったのよ?」


母さんは拘束されているにも関わらず、豹変したおれに近づこうとする。

何かの間違いであると、そう思いたいのだろう。

これは何かの幻覚であると、もしくはおれの気が狂ったのだと、そう思いたいのだろう。

だが悲しいかな。これは全て現実だ。


「おれに寄るんじゃねぇ!!」

「キャッ!」


おれはダラスが斬った錠を手に取り、それを母さん目掛けて投げつけた。

おれの腕力が足りなかったのか、錠が重かったのかは分からないが、母さんの足元に錠が転がった。


「おいおい、危ねぇじゃねぇかガキ〜。もしそれが当たったらどうすんだよー?傷がついちまうじゃねぇか〜」

「ふん、別にいいだろう。そいつがおれに近づこうとしたんだ。誰でも嫌いなものは見たくないし、触りたくないし、近づかれたくないだろう?真っ当な反応さ。………それよりもお前、もっとしっかりと拘束しろよ!約束だろうが!」

「あーこいつぁー悪かったな。ちょっと緩かったみたいだ。笑って許してくれよ」

「それでいいんだよ。そのブスがこっちに来るのをしっかり防いでくれよ?これ以上近づかれたら、おれも何するか分からないからな」

「はいはいわかりましたよ〜」

「……………………………」


母さんはさっきから一言も喋らない。

もうホントに頭がパニック状態なんだろう。これ以上母さんに何か言ったら、もしかしたら母さんの心は本当に折れるかもしれない。

だが、まだだ。

最後にもう一言言って、この三流の悲劇を終わらせよう。


「その女に、別れの最後に言っておきたいことがある。………おれはさっきまで嘘をついていた。あんたが嫌いだって言ってたとこだ。この部分の訂正をしよう」

「!!!!」


母さんはバッと顔を上げ、期待を込めておれを見る。

最後にあれらは全部嘘だった。本当は大好きだよ、とでもおれが言うと期待してるんだろう。

そう考えたくなるよな?

そうなるような言い回しを、おれがしたんだからな。

おれは瞳から涙が垂れた。


「………ぉ、お前のこと!大嫌いなんだよ!前から!産まれた時から!ずっとそうさ!おれはお前が大嫌いだけど育ててくれるから、金をくれるから今まで何にも言ってこなかっただけさ!おれが一人で旅立つ日には最後にこれを言おうと前から考えてたんだ!!ハッハッハー!最高の気分だぜ〜!!」


おれは無理やり笑みを作り、涙を誤魔化し、大きく口を開けることでまた痛くなる目に、今は、今だけは感謝した。

これで自分の気持ちを誤魔化して、痛みのせいで狂ったように、側から見ると、涙するほど感動しているように、笑った。


「……………………………ぁ、ぁぁあ」


………もう母さんも限界だろう。


「ハ〜!笑った笑った。……おい、もうそいつ連れて行っていいぞ。長年言いたかったことも言えたし、おれはスッキリした。というか、もうそいつの顔は見たくない。早く連れて行ってくれ」


おれはもう、まるで興味を失ったようにそう答えると、ダラスは笑って言った。


「ガッハッハッハッハッ!ひっでぇガキだ!実の母親に向かってそんなこと言うやつは初めて見たぜおれぁー!こんなクズ野郎だったとはな!見直したぜお前!!」

「もういいからさっさと連れていけ。さっきまでは楽しかったが、そいつには興味もない。そいつはおれの母親だが、それだけだ。おれはそいつに親愛など持ったことはなかったし、そいつもおれにそんなもの持っていなかっただろう。……いや、仮に持っていたとしてもどうでもいい。おれには関係ないからな」

「ブフッ!………ああ、分かった。こいつを連れて行く。お前もこの部屋から出るなよ?……まぁ仮に出たとしても、逃げる事は不可能だがな〜」

「そんなこと言われずとも理解している。おれの錠を外した理由は、おれがここから出られないと知っているからだろう。じゃなきゃおれの錠も一緒に斬ったりしないもんな?」

「理解が早くて助かるよ……、では、連れて行くぞ」


母さんはダラスの為すがままにされている。

そのまま後ろの扉を開き、出て行こうとし、扉を閉める直前、母さんと目が合った。

………こういう時、嫌われ役をやった者は、大抵最後にボロを出して、相手にいろいろ察せられてしまうというのがお約束だ。

おれもそうなのだろうか?

おれは母さんを観察して、安堵した。

ああ、どうやらしっかり騙されてくれている、と。

母さんは絶望したような目をおれに向け、やがて扉が閉まった。

………最後まで母さんはおれに期待していた。

どれだけ絶望しても、一縷の望みがないと分かっても、それでも、願わずにはいられなかったのだろう。

おれは母さんに愛されているという自覚がある。

だからこそ、『愛している息子』が自分のせいで殺されたという、十字架は持って欲しくなかった。

だからこそ、それを変えた。

おれと母さんはお互いに大好きだと、愛しているのだと、その根底を壊して。


おれは暫く、その場から身動きが取れなかった。

………おれは母さんを裏切った。

あれだけおれを愛してくれた母さんを、優しかった母さんを、甘えてくる母さんを、おれは………。

おれは!!


「間違ってない………!これが最善だ、もしかしたら助けがくるかもしれない。その時に母さんを助けて貰えるかもしれない。その時間稼ぎなんだ、これは。おれは何も間違えてない。大丈夫だ。母さんに嫌われるのも間違えてない。何もしないでおれが殺されたら、あの人は間違いなく罪の意識でその心が壊れる。だからその前におれが壊して、その意識から目を逸させる。それも目的なんだ。………そうだ、全部予定通り、なにも間違ってない。おれは正しい選択を、このくそったれな状況下でやったんだ。……ハハッ、すごいぞおれ!そうだ!おれはやればできる子なんだ!ざまぁみろ!!お前らは全部おれの手の中で泳ぎ回ってただけなんだよ!ざまぁ……ゥ、う、うゥウェええええええ!ッカハッ!………ハァ……ハァ……ハァ」


…………吐いた。

なんかいきなり吐き気がして、気持ち悪くなった。なんでだろう。意味が分からない。

ああ、いや、そうか。あんなわけの分からない状況であれだけ即興で立ち回ったんだ。知らず知らずのうちに体に負担をかけていた。

きっとそうだ。そうなんだ……。他の理由なんて知らないし、知りたくもない。


後悔はしない。おれは、なにも間違ってないんだから。

そうだ。それにまだ終わってない。

ダラスの目的は依然、まだはっきりとはわからないのだから。

まずはその考察しっかりしろ、おれ。

無駄なことを考える前に、もっと時間を稼ぐことだけを考えるんだ。

そうだ。おれはそのために行動してるんだ。落ち着け。


ダラスの表向きの目的としては、おれをいたぶるつもりだろう。

これはわかる。

だからこれの時間稼ぎの方法としては、ただ耐える。これが正解だ。

これだけが理由ならいいが、もっと他に何かある気がする。

勘でしかないが、これも考えないよりはマシだ。

もしこれ以外の目的があるのだとしたら、それは何だ?

身代金?違うな、これはない。

ペットとして飼う?これはまだありそうだ。奴は何か不思議な力でファインツ男爵たちを従わせる力を持っている、もしくは魔道具を持っている。いきなり計画を変更しても、その力でどうにでもなるしな。相手に無理やり納得させるとか。

だがそうなると、なぜあいつはもっと力を使わない?あれさえあれば、何でも思い通りにできるはずだ。

何か条件がある?それは一体……、て思考が脱線してる。

あいつの目的だ!

あいつの目的が明確にならないと、対策のしようが


「待たせたなーガキ〜。そろそろお前を調理する番だぜ〜」

「……!」


しまった。まだなにも案が浮かんでないのに!

………いや、いい。あいつに喋らせろ。

そして喋りながら思考しろ。おれなら出来るはずだ。

やれる、やれるッ、やれる!!


「……調理?一体何をしてくれるんだよ?」

「これだよ」


ガキンッ!


ダラスは出て行く前は持っていなかった小さめの剣を、おれに投げてきた。

………は?

なんだ?一体どういうことだ?


「お?こういうところは察しが悪いな。『俺と戦え』ってことだよ」

「………は?」


ますます意味が分からない。

おれと戦ったところで結果なんて分かりきっている。

それをどうしてわざわざ剣まで寄越しておれと戦おうとする?

戦いが好き?それだったらもっと強いやつとやるだろう。

てことは、弱い者いじめが好きなのか?それでもやはりおかしな点がいくつか見受けられる。例えば


ザシュッ


「お前、戦いに関しちゃ点でダメだな。素人以下だ」

「え?………あ」


気づけば奴はおれの懐に潜り込んでいた。

全く気づかなかった!早い!

おれの体が一瞬で緊張し、ワンテンポ遅れる。


「お前の今までの行動を観察したが、頭がいいのと意地があるとこ以外全然ダメだな。敵が生殺与奪を有しているというのに、時間稼ぎが出来ると楽観しているところ。俺が態々戦いだ、と言ったのにそれについてどういう意味かを思案し敵から視線を外すとこ。そして俺が懐に潜り込むとやっと戦っていると実感し、体を硬直させたとこ。ダメダメな点だらけだな」


ダラスはおれに何も攻撃をしないまま説教を垂れている。

くそ!こいつの行動原理は謎だ!訳わからん!

それよりおれも早く剣をとって応戦しなきゃ


「だが、一つ評価に値するのは、その鈍感さだ。戦闘においてそれは致命的な隙と言われているが、お前の鈍感さはいい方だ。なんせ、も冷静に思考出来るやつは、よっぽどだからな〜。その点お前は才能あるぜ〜?」


おれは剣を取ろうとしてやっと気づいた。

自分のことに。

おれは呆然とする。


「は?」


腕がないことに、ではない。

そういう突飛なことはさっきも経験したので、おれはその程度で止まったりはしない。

………痛みが無いのだ。全く。

目を切られた時はあったあの激痛が、全くない。

だからおれは少し夢のような、現実味のない感じで、少し呆然としてしまった。

血は出ているし、なにより斬られた生々しい腕が目の前にあるのに、痛みが無いせいで実感しづらい。


「ほらほら、戦いの最中に戦い以外のこと考えてんじゃねぇよ!」

「ボフッ!」


おれは腹に膝蹴りを入れられ、に蹲りそうになったがなんとか耐えた。

そうだ!今は戦闘中だ!相手のこと以外考えるな!!


「フーッフーッフーッ」

「よし、それでいい。相手のことだけ考えろ。それ以外の思考は捨てるんだ。邪魔な感情も捨てろ。憎悪、怒り、それらは戦闘において邪魔でしかない。頭は冷静に相手を分析することだけに使え。利き腕が使えなくなっても自棄にならず、今の自分が出来る最善手をうて、いいな?」


奴はまるでおれの教師のようにおれに説教をする。

あいつの言うことは正しい。

だが、正しいからこそイライラする。

おれに説教をしていると思ってるのも気に入らない。

あいつの全てが気に入らない!

あの野郎、絶対


「ぶっ殺してやる!!!!あああぁぁぁああ!!!!」


おれが向かってくると、奴はニヤリと不気味に笑って、おれが聞こえないほど小さい音量でこう呟いた。






「……順調順調、クフッ」












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