19●ラノベの妖怪、“承認欲求”の呪縛(4)…世間は猿山ディストピア?

19●ラノベの妖怪、“承認欲求”の呪縛(4)…世間は猿山ディストピア?




       *



 それにつけても、21世紀のラノベの主人公たちと、“承認欲求”という心理状態は、思ったよりも強く深く結びついているようですね。

 私もごく最近になって、ようやく自覚して、驚いています。


 ラノベの主人公、とくにラノベ風アニメの主人公たちは、学園なり仲間パーティなり軍隊なりで、自分の役割をつかみ、能力を覚醒させて、頭角を現します。

 そしてグループや組織の頂点に立ち、仲間を代表してラスボスを倒します。

 全世界の敵を滅ぼすことで、主人公が属する集団の目的は達成されます。

 アニメの多くは、そこで1クールか2クールを終えて終幕となります。

 このストーリーにおいて主人公を牽引するのが“承認欲求”です。

 まるで、主人公そして作品に憑りついた妖怪のように。


 世界にあまたあるラノベの多くで“承認欲求”が跋扈しているなら、それは同時に、読者の願望であるはずです。

 読者自身が現実の生活の中で“承認欲求”を満たすことを強く望んでおり、ラノベの主人公は非現実の世界で、読者に成り代わって“承認欲求”を満たすことで、読者を代償します。


 今は、そういう時代のようです。


 私はあまり実感できなかった……というよりも、単ににぶかったのですが、リアル世界の読者の皆様は、じつは、けっこうピリピリするほどに、“承認欲求”の充足を願っておられるようですね。


 大きいのはSNS。

 しかし、あの世界の中で、“いいね”がどうとか、“既読”がどうとか、フォロワーが何万人とかいう一喜一憂の感覚は、私にはわかりません。

 SNS、してませんから。

 単純に、それだけの時間的余裕がないからです。

 カクヨムに書くだけで精一杯ですし。

 ですからSNSでマウンティングすることの意義は、残念ながら理解できません。

 あの世界の中で熾烈な競争があり、しばしば名誉棄損のトラブルにまで発展することはお気の毒としか言いようがないのですが、それほどに真剣勝負の鍔迫つばぜり合いが繰り広げられていることは社会的事実。

 それを踏まえれば、ラノベの世界で“承認欲求”が極めて大きな要素になっていることに、もっと早く気付くべきでした。


 それはつまり……

 社会全体で、個人が所属する集団が幾重にも重なり、細分化され、それぞれの世界で激しい競争があり、人々はそれぞれの集団の中で“承認欲求”を満たすべく日々戦っておられる、ということです。

 学生の場合、クラス、クラブ、地域の子供会やサークル、そしてスマホの向こうのSNS世界。

 大人の場合、職場、社宅とかのご近所、町内会、PTA、育児中の方は公園のママパパ集団、各種サークル、お寺さんとのつきあい、親類縁者のつきあい、そしてスマホの向こうのSNS世界。

 それなりに歳を食って精神がロートル化した私には測りがたいのですが、それぞれの集団で神経をすり減らすマウンティング合戦が日常化しているようです。

 ひとりの個人がいくつもの集団に所属し、いや、所属させられ、それぞれの集団で当然のように競争にさらされる。

 これは疲れますよね。


 五歳の女の子に叱られる心境で日々ボーッと生きている私が不勉強だったのですが、ニッポン全国の目に見えないところでそれこそ無数のすさまじい心理戦が戦われていること、ようやくわかってきたような……


 たとえば町内会。

 もともとの発祥が戦時中に強制的に組織された“隣組”という国民(当時は臣民)の行動と思想の統制が目的でつくられた相互監視集団です。戦時中につき戦争に反対する者を発見すれば特定して官憲にチクれということですね。

 隣組はさまざまな軍事的奉仕活動への“動員”の単位とされ、また物資配給の単位とされました。配給といってもタダではないですよ。もともと少ない物資をお金を出して買わせていただくのです。“買う権利”が配給されているだけなのです。

 このように国家的な動員と統制の組織である隣組は、戦後GHQによって禁止されたらしいのですが、いまだに回覧板などの形で当時のコミュニケーションツールが使われていますし、組織も旧態依然でそのまま健在なようです。ガラケーどころじゃないポンコツな仕組みかもしれません……やれやれ、もう、いつの時代のことなのやら、少なくとも75年以上昔のことですよ……


 当然、このような組織ですから、隣組の会長や役員とか有力者には、それなりに、他人に言えない利得もあったようですね。同じ配給物資でも早い者勝ちなので、同じ値段で先に良いものを選べるとか……。

 となると、マウンティングに大いなる利益があるわけです。

 力の強い者が利得を独占し、弱い者は“村八分”にされるというケース、十分に想定されます。

 隣組、どう考えても戦後の現在は不要の存在であり、それゆえ町内会も無くていい(市役所の窓口もしくは委託企業が直轄で管理するとか。個人情報を守る上でもその方がいいと思う)のですが、これがしっかりと生き残っている地域も多々あって、新参者の転入者に対して、古参組の住人がゴミ置き場の利用を妨害するなどのトラブルがネットに散見されます。

 少なからぬ町内会費を払っているにもかかわらず、ですよ。

 ことほどさように、ちっぽけな集団の中で、みみっちいまでの上下関係に汲々きゅうきゅうとする現象がいまだに……

 これが21世紀のニッポンなのでしょうか、ね。


 職場だけでもパワハラ、セクハラ、マタハラ、各種いじめが存在しているのに、町内会やPTAやその他いろいろまで忖度を重ねて気遣いをしなくてはならないのでは、その人の“承認欲求”なんか、最初からズタズタにされてしまいます。


 エヴァ25-26話のシンジ君の悲痛な叫び、あれを決して他人事に出来ないのが、21世紀人の哀しい現実ということでしょう。


 そのような偏屈な社会環境が、じつは社会のありとあらゆる局面に蔓延しているのかもしれません。

 皆様、多分、なにがしかの心当たりがあるでしょう?

 これがそのままラノベの需要に反映しているように思われます。

 息苦しいマウンティング世界の中で、ラノベやコミックがささやかな息抜きに、あるいはストレスの解消に役立っているのですね。


 “承認欲求”はその人の人格的成長に寄与するはずなのに、周囲からゆがんだ目で見られ、出るくいの如く、寄ってたかって打たれてしまう。

 どうもそれが21世紀の私たちの現実のようです。



      *


 ある集団の中で、自分の“承認欲求”を満たそうとして行動する。

 周囲に認められたくて、目立つ、成果を上げる、成果を誇示する、自慢する。

 しかし他の人たちもみな、自分の“承認欲求”を満たすべく、同じことをしている。

 競争になる。すると互いに足の引っ張り合いも始まる。

 他人よりも目立つために、他人を非難したり、他人の欠点をあげつらったりする。

 他人を自分よりも下におとしめることで、自分の地位が上がると錯覚する。

 弱い立場の者をいじめ、嫌がらせや盗みや暴力が発生する。

 いつのまにかその集団、サル山以下の滅茶苦茶になっているのですが、そのことを誰も指摘できないまま内部抗争にあけくれてしまう……

 21世紀の今の話じゃないですよ。

 今から半世紀の昔、1960年代に行き詰まった学生運動の末路の一パターンです。


 でも、21世紀の今も……たいしてお変わりないのではありませんか?

 “承認欲求”が苛烈に現れるあまり、組織内は“共食い”に陥っていませんか?


 “承認欲求”はある意味、怪物です。

 限られた狭い領域の中で活動する、いわば閉鎖的な集団の中で、だれもが“承認欲求”をあたりかまわず発現させ、肥大化し過激化して暴走すると、集団の秩序が崩壊するでしょう。


 “承認欲求”はその人を積極的に生かす半面、その人を殺しもするのですね。


 たとえば、歩行者天国へ暴走トラックが突っ込んだ事件、あるいはアニメ制作会社が放火された事件は、もしかすると、犯人の心の社会に対する“承認欲求”が悪しきベクトルで無制限に膨張し、悪魔的に爆発したものかもしれません。もちろん許される余地のない凶悪犯罪であり、動機の解明が気にかかります……。



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 ただし一方、昭和の大企業は、社員の“承認欲求”が肥大化し過激化するのを防ぐ、天才的なシステムを構築していました。

 “終身雇用と年功序列”。

 雇用は原則的に直接雇用で正社員のみ。

 会社が潰れないかぎり、悪ささえしなければ定年まで置いてやる。

 年上は敬われ、ある程度、待遇に反映される。

 ……そういう原則です。

 このシステムがどのように素晴らしいかと言うと……

 入社した最初の時点から、基本的な“承認欲求”を会社が満たしてくれたのですね。

 あなたはずっと、わが社の社員である、と。

 永く勤め上げれば十年、二十年単位で永年勤続表彰をもらったり。

 会社は、定年前に物故した社員のための供養塔を建ててあげたり。

 定年まで会社にいるのが原則ですから、社員教育も充実しています。

 福利厚生にも力が入っていたようです。

 これ、“会社は一家、社員はみなファミリー”という発想ですね。

 そうやって、社員一人一人に基本的な“承認”を与え、そのかわり会社への忠誠心を求めるという仕組みです。

 年功序列、ということで、社員同士の無益な足の引っ張り合いは抑制されます。

 一年一年、歳さえ取ればそれなりにリスペクトされ、立場も上がるからです。

 逆に先輩を蹴落とすことで、一足飛びに出世できるというわけではありません。

 仕事の戦闘意欲は外に向けられます。全社一丸となってライバル会社を追い越せ! といった号令がかけられます。

 デメリットはあります。社員は黙々と回る歯車となり、個性の発揮よりも滅私奉公が求められます。

 残業や休日出勤は真っ黒クロスケのブラック並みとなります。

 しかしそれでも会社が発展すれば昇給し出世し、生活の向上に結びつきます。

 良いとも悪いとも言えない面はありますが、ニッポンの高度成長を支えた有効なシステムであったことは間違いないでしょう。

 “承認欲求”に関して、シンジ君みたいに悩むことはなかったようです。


 しかしこのシステム、20世紀末にはもろくも崩れ去りました。

 バブル景気の終わりと、例の労働者派遣法の改正です。

 ハケンの方々が巷に溢れると、終身雇用と年功序列は正社員の不当な特権だとばかりに剥奪され、たちまち消え去ってしまいました。

 悲惨なのは中高年社員で、これまで終身雇用と年功序列ゆえに、滅私奉公でせっせとサービス残業やサービス休日出勤に明け暮れていたところ、突然リストラでハイさようならと肩叩きされてしまったのです。

 その無念やいかばかりか。

 人生の半分をかけた無料奉仕労働はただの人生の無駄遣いと化してしまい、これはこれで心のビョーキの源になったことと思われます。


 ともあれハケンの方々が職場の四割までも占めるようになった現在……

 働く現場の中で、“承認欲求”はより露骨に現れるようになったかと思われます。

 リーマンショックがあり、コロナ禍ありで、事業が拡大しなくなった職場では、周囲に権力を誇示し、弱者を蹴落とすことで、自分のポジションを守らねばならなくなるからです。

 熾烈な内部抗争の時代を迎えていると言えるでしょう。

 “成り上がり”や“下剋上”はラノベ世界のフィクションでなく、日常のリアル事案となったのです。これはもはやディストピアです。


 周囲との摩擦を避けてひっそりと生きようと思っても、職場は容赦なく、個々人に“承認欲求”を強制してくるものです。

 周りに認められるために働くのは当然だ……と言うのですね。

 認められなければ、それだけで職場から排除されます。

 こちらから訊ねてもいないのに「だからお前は周りから無視されるんだ」と蔑む人がいたら、“承認欲求”を強制する傾向が露骨に出てきたと考えていいでしょう。


 いや兎に角、ネットをつらつらと検索するだけで、世の中、ますますギスギス、キリキリしつつあると感じます。

 ラノベの中で、のんびりのどかに異世界のスローライフを楽しむ作風がありますが、21世紀のニッポン人たちは、やはり世間の闘争から離れて、心を癒したいのでしょうね。


 今のところラノベは……

 競争し、闘って勝つことで“承認欲求”を疑似的に満たすか、

 競争せずに、のんびりと平和に“承認欲求”をしばし忘れるか、

 ふたつの路線の商品を読者に提供しているようです。



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