15●どうしてみんな“異世界転生”するのだろう?(2)…“死の恐怖”への回答。

15●どうしてみんな“異世界転生”するのだろう?(2)…“死の恐怖”への回答。





 にしても、物語冒頭でコロッと死んで、あの世経由で異世界へ生まれ変わる主人公、多すぎませんか?


 というより、なぜ、死ぬ必要があるのだろう?


 死んでもどこかの世界に魂が転生するというのは、それ自体、大きな事件イベントであり謎ですよね。

 SF好きの私としては、そこが気にかかります。

 転生って、いかなる現象なのか、説明が欲しいものです。

 そのプロセスと意義を説明できたら、それだけでSFの傑作ができるでしょう。

 転生を語るためには、実に多くの謎を解かねばなりません。

 死とはなにか、“あの世”とはなにか、神様とはなにか、そして自分が一時的に幽霊化しているなら、幽霊とはなにか、そして異世界とはなにか。パラレルワールドとして説明ができるのか……

 そんなめんどくさい説明をスッ飛ばせるから、ラノベなんじゃんか。

 ……そう考えてもいいのですが、しかし……

 最初からこれらの説明をスッ飛ばすつもりなら、そもそも最初から死ななくてもよろしいのではありませんか?

  “ハッと気が付いたら異世界にいた”

  “バナナの皮に滑ってコケたら異世界だった”

  “トンネルを抜けたら異世界だった”

  “トイレのドアを開けたら異世界だった”

  “寝て起きたら異世界だった”

 そんな、ナルニア国行ってきますパターンで十分に通用するのです。


 なにゆえ、わざわざ死ななくてはならないのか?


 楽ではないですよ、死ぬなんて。

 たいてい、痛いし苦しいし気持ち悪いしおぞましいし……

 それでも主人公を死なせるのは……


 “この世から切り離されたい”


 そんな切なる願望を読者が持っていて、共感してくれるということでしょう。

 ナルニア国ツアーのパターンなら、ひょいと行ってしまった異世界から、ひょいと戻って来ることもアリとなります。

 しかし、この世で死んでしまうと片道切符、原則的に出戻りは不可、ですね。

 どうせなら、そうしてほしい……という欲求が、もしかすると読者の心に秘められているのでは?


 では、そんな主人公、生前の世界では、どんなだったでしょう。

 たいていパッとしない、恵まれない人生だったことと思います。

 社会の日陰者、ひっそりと貧困に耐え、能力を伸ばす余裕もなく、その日その日を食いつなぐしかない、切迫した毎日。

 ときには社会階級の最下層に押し込められて、稼いだものは奪われ、侮蔑と嫌悪感だけをぶつけられる受動パッシブヘイトな生活。

 そんな虐げられた主人公像であること、多いのでは?

 この真逆で、親がお金持ちで贅沢放題の境遇にありながら、コンビニ前でトラックにハネられて目出度く転生……というケースは、あったとしてもかなりのレアケースですよね。


 ルサンチマン、の一言で片づけられればそれまでですが、これほどにワンパターンが広まっているのは、金持ちに対する単なるヒガミではなく、それなりに読者の共感を得ていることによると思われます。


 この点、20世紀末の“架空戦記”ブームとの大きな違いです。

 バブル景気でイケイケ気分の架空戦記では、同じ“転生”するにしても、功成り名遂げた偉人か、自分の能力に自信ある俊英が異世界に“出撃”していました。

 ボンビー主人公ではなかったのです。


 なぜ、現代のラノベの主人公は貧しい境遇で死んで転生するのか。

 たぶん“この世”が嫌だからですね。

 生きる価値もないほどに、つまらないから。

 将来に希望を抱けるのならば、異世界転生ラノベなんか読まずに、今の生活を楽しみ、現在の学業や仕事などに邁進するでしょう。そっちの方が、やりがいがありますし、得られる実利が大きいですから。

 しかし現実は、いかなる努力も報われないほどに絶望しているから、その心の癒しとして、異世界転生ラノベが習慣性のあるクスリのような機能を果たしている……のかもしれませんね。


 おそらく現実に、多くの若者読者がボンビーなのです。

 紛争当事国の戦場に生きる子供たちよりは明らかに恵まれていますが……

 精神的に、ボンビーを感じているのです。

 それも、切実に。


 20世紀末のバブル景気時代は、みーんなお金持ち……という共同幻想を抱くことができました。あのバブル時代に貧しさを体感している人は、真打のボンビーパーソンってことになるかもしれません。私もボンビー組でして、あの時代、ちっとも幸せではなかったのですが。

 ともあれバブルははじけ、就職氷河期、ロスジェネの時代がやってきて、21世紀を迎えました。

 ここで貧富の差がくっきりと分かれ始めます。大きな要因は……

 労働者派遣法の度重なる“改正”……いや、実感、悪くなってますね。

 宮澤賢治先生の『オツベルと象』そのままに、段階を踏んでじわじわと、労働者の雇用環境が劣化してきたようです。


 1999年、それまで26種に限定されていた“派遣業種”が大幅に拡大され、“港湾運送・建設・警備・医療・製造”以外の業種は派遣労働オッケーとなりました。

 そして2004年には、“製造業”でも派遣オッケーとなったのです。


 世の中にハケンの人がどっとあふれて……

 “正規雇用”と“非正規雇用”の大きな格差が出現しました。


 私としましては、公共職業安定所というものがあって、そこを通じて就職を斡旋することで正常に回っていた労働市場に、人材派遣会社なるものがのしのしと出張ってくるのが不思議でした。

 なんで、職安ではいけないのか?

 直接雇用でいいじゃないか。

 この点、今も疑問です。

 なんとなれば、それから20年近く過ぎた今ですら、派遣社員が正社員になれる直前に行われる“派遣切り”や“同一労働同一賃金”や、雇用保険や厚生年金など“社会保障制度からの脱落”が大きな問題とされているからです。

 つまり雇用が著しく不安定で、実質的に低賃金で、失業保険や年金の恩恵に乏しい実態は、そのまま、ということですね。

 法改正から20年近く過ぎているのに……ですよ。

 そんな問題にゴチャゴチャと拘ってますます複雑化するのなら、いっそ1999年時点の“派遣は26種に限定”の法制に戻せばいいだけだと思うのですが……

 だいたい、好きで望んで派遣労働している人が、本音のところ、どれだけいるのでしょうか?


 こうして労働格差が拡大するに加えて、リーマンショック(2008)に東日本大震災(2011)です。度重なる消費税の増税もあり、ここへきてコロナ不況が経済環境に決定的な打撃を与えています。

 世の中、本当のところは、ちっとも明るくないのです。

 ボンビーヤングにとって、世界はますます暗くなっていると思われます。


 そのような現実を背景に、ラノベの読者は異世界転生に心の欠落を埋める何かを期待するのでしょう。


 A:死んだらもう戻ってきたくないほどに、この世に希望がない。

 B:異なった世界で、人生をやり直したい。

 C:やり直しのパターンは、

     ①チートで戦い無双する。②のんびりライフを満喫する。……の二傾向。

     いずれも現実の“この世”では実現不可能な生活です。


 そんな思いを物語に書き著したのが、“異世界転生もの”ということでしょう。


 “異世界転生もの”の典型的な成功作として、よくお聞きするのが……

 『リセット』(如月ゆすら 2010~)

 不幸体質の女子高生が、転生した異世界で人生をやり直す物語。

 文字通りの“リセット”です。

 現実の人生は失敗、だから異世界転生で人生リセットしたい。

 読者の潜在的なニーズに、直球で応えた大ヒット作です。

 これはどちらかというと、前記のCの「② のんびりライフ」の方に分類されると思います。


 もうひとつ、“異世界転生もの”の成功作として有名なのは……

 『幼女戦記』(カルロ・ゼン 単行本2013~)

 こちらはCの「① チートで戦い無双する」にあてはまるでしょう。

 ただし主人公はボンビーでなくエリートサラリーマン、とはいえ非業の死を遂げる不幸パターンにはまってしまった点では、ボンビー主人公とほぼ同列でしょう。

 “この世”では発揮しようがなかった能力を、異世界で存分に発揮して暴れ回る……といった感じでしょうか。

 異世界に行ってまで「地獄を作れ!」と無双する主人公、この超個性的な人物像が人気の源泉なんですね。戦場での暴れ方、尋常ではありませんから。


 『リセット』『幼女戦記』ともに、2020年現在、シリーズは継続中です。いつか完結する日に、どのような結末を迎えるのか、一読者として楽しみです。


 異世界で人生をやり直したいのは、若者だけではありませんね。

 歳を取ってわが半生を振り返って、なんてくだらない人生を送ってきたものかと、自分の未来どころか過去にも絶望する中高年は少なくないことでしょう。


 それが、“異世界転生もの”の読者層の厚みを支えているのではないかと思います。


      *


 “死ぬことで、今の生活から切り離されたい”

 そんな読者の潜在心理に訴える。

 これが、“異世界転生もの”の大前提でしょう。


 死んで転生して、向こうの世界で不幸になるパターンは、まずありません。

 たいていの作品で、主人公は異世界で自分なりの幸福をつかみます。


 その前に、神様なり天使なりが介在します。

 そこで不幸への道を用意するのでなく、幸せを得られる異世界人生リセットコースを案内されます。

 死んだ主人公には、“お導き”……すなわちガイダンスがもたらされるのですね。


 面白い現象だと思います。

 死んだら神様が迎えてくれて、幸せを約束してくれるのです。

 何かに似ておりますな。

 そう、宗教です。


 “死んだらどうなる?”

 人類究極のこの疑問に、“異世界転生もの”は、はからずも答えているのです。

 答えの信憑性は別として……

 この世の多くの宗教が信者を導くが如く、“異世界転生ラノベ”は読者に“死後の世界の歩き方”を導いているわけですね。


 なぜ、そんなことが必要なのか?


 “死ぬのが怖い”からですね。


 この世はくだらない、絶望的だ、いっそ死んで生まれ変わりたい。けれど……

 死ぬのは恐い。


 これ、当然の心理ですね。

 この“死への恐怖”を和らげてくれるのが宗教なのですが、残念ながら今のニッポンの若者たちは、宗教をあまり信用していないようです。

 むしろ、信じたくないというか。

 そりゃ死後の世界が天国で、ヨッパライのあの歌のように、死んじまったら綺麗なねーちゃんが一杯で酒池肉林できるならともかく、血の池&針の山の地獄巡りになる確率もかなり高いのですから。

 ボンビーな自分、なにひとつ良いことをせず、功徳を積んでもいないし……


 そんな不安に答えて、皆様を死後の楽しい異世界ライフにいざなう……という役割を、ラノベは果たしているのでしょう。


 “異世界転生”ブームは、若者から中高年までも含めた、漠然とした“死への恐怖”が下敷きになっているように思えます。

 人はいずれ死ぬ。

 これ、鉄則です。

 こればかりは避けようもなく、いつか自分自身が直面し、自分独りで対処せねばならない現象です。

 死、その向こうになにがあるのか?

 この究極の問いに対して、宗教のかわりに仮説のストーリーをお届けする。

 そんな社会的役割もラノベは果たしているようですね。


      *


 宮澤賢治先生の、『雨ニモマケズ』の詩。

 これ有名ですね。

 こんな一節があります。


 “南ニ死ニサウナ人アレバ

   行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ”


 そして最後にこう結ばれます。


  “サウイフモノニ

     ワタシハナリタイ”


 すばらしい詩編です。

 読むたびに思います。

 “サウイフ作品ヲ ワタシハ書キタイ”

 これ、図々しくも遠大な願いですけど、一篇だけでいいから、書けたらどんなにいいかと……まあ、一生に一つの届き得ぬ星アンリーチャブル・スターですね。

 宮澤賢治先生は、生前、親に助けられて恵まれた面もありましたが、健康に恵まれず夭逝ようせいされました。

 今は銀河鉄道で、どこの夜空を旅しておられるのでしょうか。

 もしかすると、異世界に転生しておられるのかもしれませんね。




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