14●どうしてみんな“異世界転生”するのだろう?(1)…ご先祖様は架空戦記?

14●どうしてみんな“異世界転生”するのだろう?(1)…ご先祖様は架空戦記?





 不思議ですね。

 この世で死ぬ。

 あの世で神様に会ってレクチャーとガイダンスを受ける。

 異世界に生まれる。(異世界転生)

 あるいはそのままの姿で異世界に出現する。(異世界転移)

 そして大活躍する。

 多くの場合、物語は終わらない。

   (つまり、いずれ訪れる次なる死は語られない)


 こういったパターンのファンタジーがラノベ世界を席巻してかれこれ十年あまり?

 素朴に不思議に驚きます。

 どうして、読者は飽きないのだろう?


 考えてみました。


 あ、以下は全く私個人の主観に基づく見解です。

 学術的エビデンスはありません。エッセイですので。


      *


 現実とは異なる世界に飛び込んで、そこで、やりたいことを実現する。

 これ、爽快ですね。

 死ぬまで体験できない夢物語と知っているだけに、せめて空想の世界で疑似体験したいと願って、ファンタジーなりSFを読む。

 そこに読者需要が生まれ、さまざまな作品が書かれます。


 古くは……

 『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(マーク・トゥエイン作 1889)

 誰かに殴られて気絶し、目覚めてみれば西暦528年の英国、アーサー王の宮廷にいた……という設定。日本なら飛鳥時代で聖徳太子に会えるようなもの。

 書かれた時代が時代なのでメリハリボディの美少女は出てこないものの、戦争あり陰謀ありの大冒険、そこはさすがに未来人で、地雷、鉄条網や機関銃など近代兵器の発想を持ち込んで八面六臂の活躍を見せます。チートですな。

 で、十九世紀末の“現在”へ帰ってくる方法は、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』や『涼宮ハルヒシリーズ』で過去から現在へ人物や物体を届けるために使われた伝統的な手法、超長期冬眠が先駆的に用いられています。

 凄いなと思うのは、その一冊に200枚以上の挿絵が使われていたということ。

 ビジュアル面もバッチリです。

 てか……これってまんまラノベじゃん!

 行先が中世前期の“騎士と魔法使い”の時代で、ちゃんと魔法も使われているところ、21世紀ニッポンのラノベ条件をきっちり満たしているようです。


 マーク・トゥエイン先生ご自身、その一生はそのままラノベになりそうな波乱万丈ぶり。

 代表作の『トム・ソーヤ―の冒険』を地で行くような、大変好奇心旺盛な方とみえて、米国心霊現象研究協会の支持者に名を連ねています。


       *


 ということで、“異世界転移”に関しては、昔々からそのパターンが完成していたことになりますね。


 これが20世紀ニッポンで、ミリタリーと結びついて結実したのが……

 『戦国自衛隊』(半村良 1971)。

 1970年代当時の自衛隊の一部隊が戦国時代に召喚されるパターンで、パラレル戦国ワールドの歴史改変に挑みます。角川映画の視覚的イメージが強く、すばらしい再現レプリカの61式戦車が印象的ですが、原作は戦車でなくジープや装甲車の類に留められています。ヘリコは双発のデカイのが出てますが。

 戦車を出すと、部隊編成が不自然になること、戦国当時の狭い道は走行困難であろうこと、それにメンテが大変すぎて、とても戦国環境では維持できないだろうと思えます。リアリティはやはり原作の方ですね。

 ただし映画のエンタテイメント性は抜群で、その後、“自衛隊がアッチの世界へ行ってブッ放す”パターンは21世紀のラノベやマンガのお家芸となりました。

 『ゲート 自衛隊彼の地にて……』とか『ジパング』ですね。


 そうなんです。ニッポンの“異世界転移/転生”ものは、ますばミリタリーSF…いわゆる架空戦記…で爆発的に浸透したのです。


 初期作品で個人的に最高だと思うのは……

 『連合艦隊ついに勝つ』(高木彬光 1971)

 物語の構成は実にシンプルで、戦記オタクの主人公が戦艦大和の甲板へ時空転移、山本五十六たちに助言して、太平洋戦争における連合艦隊の“あンときこーしておけばよかった!”と涙と共に悔やまれる場面を是正して、ベストバトルを実現してあげる、というものです。

 ミッドウェーで空母四隻を失うアホバカマヌケ的な油断ミスや、レイテ湾突入作戦で突入寸前にボクやーめたとばかりに反転してしまったコノボケーッ的な痛恨ミスを直してあげて、連合艦隊が無能な作戦指導を排除して本来の戦力を発揮すれば、ここまでやれたんだ! ……と、当時の戦記少年の溜飲を下げてくれる秀作でした。


 このパターンは、後年よく言われる“架空戦記”ではなく、“戦記シミュレーション小説”などと称されて、ジワリと後のブームにつながっていきます。


 1980年代ブームの代表作は、たぶん、マンガの……

 『戦場まんがシリーズ』(松本零士 単行本1974~)

 『戦場ロマン・シリーズ』(新谷かおる 単行本1979~)

 でしょう。

 “架空戦記”というほど史実からブッ飛んではいないものの、新兵器類や作戦行動のIFを効果的に取り込んでシミュレートし、“もしかすると、こんなことがあったかも”と、読者を郷愁と感傷の世界へいざなってくれる作品群でした。

 この二つのシリーズ、21世紀のマンガやラノベを束にしてもかなわないほどの傑作揃いであったと記憶しています。男泣かせの高倉健なムードはいかにも昭和ですが、それがいいんですよね。21世紀の未来作品では味わえないヴィンテージなテイストです。


 そこで“架空戦記”というジャンルです。

 これが20世紀ニッポンの世紀末を席巻します。

 バブル景気に後押しされたのか、1990年代には狂乱怒濤のブームを生み出しました。

 書店の一角に、架空戦記ノベルスの平積み新大陸が出現したのです。


 その牽引車となったのが……

 『紺碧の艦隊シリーズ』(荒巻義雄 1990~)

 続編含めて新書版で21巻におよぶ大作。

 説明するとツッコミに夢中になってきりがありませんので、申し上げたい要点は、昭和18年に戦死した連合艦隊司令長官山本五十六が、パラレルワールドの開戦前の世界に“生まれ変わる”ことです。

 もうひとつ、『孔明の艦隊』(志茂田景樹 1993~)は、諸葛亮孔明はじめ三国志の英傑の魂が連合艦隊司令長官たちに憑依するというもの。これを含めた諸シリーズは、『紺碧の艦隊』と同様にまだ“架空戦記”とは称されず“戦略シミュレーション”と銘打たれていますが、そのハッチャけた妄想膨張ぶりは十分に“架空戦記”と理解してよさそうです。


 どちらの作品も、これはもう“異世界転生”の一バージョンですね。

 いやもう20世紀末以降の架空戦記は何でもあれの百花繚乱で、史実はジャンジャン無視して、ありえない超兵器が続出、売れれば官軍とばかりに書店の棚で領土拡張を続けたのです。


 21世紀の“異世界転生”ラノベの遠縁のご先祖様は、『紺碧の艦隊シリーズ』にあるとみていいのでは……と思います。


      *


 それにしてもこの1990年代の“架空戦記”ブーム、何だったのでしょう。

 90年代にドッと巻き起こり、21世紀に入ると沈静化していきました。

 社会背景として考えられるのは、やはり1990年前後のバブル景気とその崩壊ですね。

 不動産の高騰に裏付けられた果てしない投機熱。転売に転売を重ねて天を衝いた不動産の価値がついに弾けてポシャるまで、金満ニッポンのカネの亡者たちはわが世の春を謳歌したのでした。

 このころのニッポン人、海外からはエコノミックアニマルと蔑まれつつも、ハワイの別荘を買いまくり、ついにはニューヨークのロックフェラーセンターのビルまで手中にし、その経済戦争ぶりは、太平洋戦争の敗戦を半世紀後にリベンジするが如しでした。

 そうだったと思います。

 なんといってもGNPで世界第二位に躍り出たのですから。

 ニッポン人、自信満々だったのです。

 加えて大進化する自衛隊。

 対空ミサイルやヘリコプターを搭載した大型の護衛艦。

 74式戦車を超える90式戦車の開発と配備。

 戦闘機はファントムからイーグルへ改編が完了。

 ……と、世界一流の戦闘力へと脱皮した時期です。


 我々は一流である。

 この根拠薄弱で過大な自信が、架空戦記へのシンパシーを支えていたのではないでしょうか。

 転生した天才が、強大な艦隊を動かして太平洋戦争の恥辱を拭い去り、世界の歴史を作り変えていく。

 これが架空戦記の醍醐味であったのでしょう。

 それはまた、当時の日本人の“気分”でもあったのです、きっと。


 では、現在の“異世界転生”ファンタジーの社会的背景は、何でしょうか。

 “架空戦記”の社会的背景とは真逆の地獄に叩き落とされた、哀しき若者世代が見えてきます。


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