10●チート国とチープ国の物語。貧しき市場への戦略とは?
10●チート国とチープ国の物語。貧しき市場への戦略とは?
ちょっと横道に逸れますが……
そもそもいったいなぜ、ここ20年で本屋さんが半減したのでしょう?
それはもちろん、本屋さんへ出掛けて本を買うお客様が減ったからです。
当然ですね。千客万来で繁盛していたら、本屋さんは増えているはずです。
しかし過去20年で、お客様が半分亡くなられたのではありません。
お客様は生きておられるのに、本屋に来られなくなったのです。
なぜ、客足が遠のいたのか。
色々と理由はありますが……
たとえば、ゲームやDVDといった異種のソフトがお茶の間を侵食し、読書にかける時間と、本に回すお金が減ったこと。
これ、バブル景気がポシャった世紀末の頃から耳タコで言われていることです。
それはそうでしょう。特にゲームは子供たちを洗脳して、若いうちに読書への興味を根絶してしまうと恐れられた時期がありました。
しかし、私は滅多にゲームをしません。
昔、DVD-PGはしたことがありますが、たまたま大変めんどくさいクソゲーだったみたいで、興味を無くしてしまいました。
ええ、本は好きですよ。
それでも本屋さんから、足が遠のきました。
つまり、本屋さんではない場所で、本を買うようになったということですね。
中古本のネット販売。
あるいは図書館で、タダで借りるとか。
なぜ、そうなったのか。
本の値段が、高くなったからです。
そうはいっても統計上は、本の値段、過去20年でたいして上がっていません。
それでも、間違いなく、高いと感じます。
理由は明白。
私がそれだけ貧乏になったからです。相対的貧困。
あ、でも、食うに困るほど切迫してはいませんよ。
しかし、本以外の生活費目が高騰しました。
大きいのは食料品。
野菜や果物や魚など生鮮品の値上がりが、酷い。
20年前、白菜はひと束百円そこそこで、分割売りなど考えられませんでした。
玉子も10個百円そこそこでした。
今、白菜は4~8倍の値段、玉子も倍以上です。
スーパーの買い物、チョロッと買えばたちまち五千円を超えます。
加えて増税が追い打ちをかけます。8~10%の消費税はさすがに痛い。
スーパーへ二回も行けば、本一冊分は消費税で消えてしまいます。
ただでさえ多かった文化的支出を減らすしかありません……
本やDVDのオトナ買いをやめること。中古品でOK。
だいたい新刊本でも、いや本だけでなく何でも、買った瞬間に魔法みたいに手元で中古品と化するのですから、最初から中古品で構わないのです。
半年待って半額以下、が目安となります。
20年前の世紀末、消費者の本代はゲーム代に食われました。
そして、さらに生活が貧しくなった結果……
消費者が本に回すおカネは、野菜に食われるようになったのです。
*
私だけでなく多くの人が、過去20年ほど、いや特にここ10年で一層貧乏になって、本を本屋さんで買わなくなったのではないでしょうか。
おカネが懐にパンパンだったら、最初から新刊本を買いますよね。
“高い”と感じるから、別な購入ルートを探るだけの話です。
この傾向は終わることなく、ますます進むでしょう。
バブル景気の崩壊からこちら、これまた耳タコで言われている……
貧富の格差の拡大と国民の分断ですね。
*
あ、私は貧富の格差をこの場で政治的に非難するつもりは毛頭ありません。ありませんよ! それはまた別の機会で。
本稿では、従来よりマスコミから指摘されてきた“貧富の格差”の現状を認識し、それが出版市場をどのように変質させているかを考えてみたい、ということです。
問題を単純化するために、ある国のケースをモデルに想定してみましょう。
架空の島国です。
これは仮定のお話ですよ。ディストピア・ファンタジーです。
現実のニッポンのことではありません。その旨、何卒お間違えの無いように。
さてこの国家は、二つの国で構成されています。
チート国とチープ国。
政府はチート国にあり、チープ国も支配しています。一国二制度ですね。
大雑把に言いますと、チート国は“金持ちの国”、チープ国は“貧乏人の国”です。
人口は、チート国がざっと三千万人、チープ国が七千万人です。
両国には国境線がありません。
国境線は、貧富の差によって敷かれています。
この国では、老後を安定して過ごす資金として、二千万ンエ(ンエは通貨単位)が必要とされます。したがいまして、この二千万ンエ以上を貯金できている世帯とそうでない世帯で分けたら、だいたいチート国とチープ国、3対7の人口比に分かれるということです。
もちろん例外はありますので、あくまでおおまかな区別です。
でも、両国には原則的に人の往来はありません。
国境線は意外と固く閉じられております。
心理的障壁と言うやつです。“
チート国民は、お金持ちです。つまり所得が高く、社会的地位も高くなります。
その人の役職を呼ぶときに、○○センセイ、○○シャチョー、あるいは○○長、○○官、○○士、○○選手、○○夫人などと尊称が奉られるか、あるいはそうでなくても、テレビ画面にレギュラーで登場しておられる皆様です。あ、再現ドラマの名も知らぬ俳優さんは別ですよ。
そのことの是非や良し悪しを論じるつもりはありません。
これはあくまで架空の国のフィクションです。
資本主義であれ共産主義であれ、国民に格差のない人口集団はございません。
現実には、いささか切なく悲しくもある現象ですが。
さて一方……
チープ国民は、相対的に貧乏です。所得は少なく、社会的地位は低くなります。
役職を呼ぶときに、もっぱら○○員、○○係、○○手と称される人々ですね。従業員、教員、作業員、清掃員、窓口係、相談係、運転手……
貧乏人、といっても誤解しないで下さい、差別的な意図で使うのではありません。
あくまで架空のチープ国を象徴する自虐的表現でして、特定の人口層に向けたリアルな意味合いは一切ございません。
なおチート国民、チープ国民とも、それぞれの中で細かなカーストに分かれます。
町内会まで小刻みにカーストが支配して上下関係が成立していますが、町内会の前身が70年以上昔の戦時中に組織された“隣組”で、戦時下の国民統制を目的としているため、そもそも基本的に階級的な上下関係…カースト…で成り立っているからです。カーストは自然発生でなく、多くはそのカーストの上位者から下位者に向けて人為的に仕組まれたものなのですね。あ、これは余談です。
チート国民とチープ国民の格差は、医療・教育・司法の三局面に如実に表れます。
チート国民の上位者は、病院の待合室で待たなくても、即、診療を受けられます。
チート国民の上位者は、私立医科大学の学費を親が出してくれます。
司法では、例えば警察官はチート国民を守ってくれますが、チープ国民は取り締まりの対象とするだけです。老人の車両暴走による人身事故で、具体的にその差が現れると騒がれたことがありました。
チート国民はチープ国民との接触を避け、侮蔑する傾向にあると言われますが、事実かどうかはわかりません。ただ私は現実の生活の中で、類似する場面に遭遇したことは何回もあります。
*
さてあなたはチート国とチープ国、どちらの国民でしょうか?
単純に所得や資産だけで機械的に分類することはできません。
情緒的な要素もありますので。
たとえばあなたが書店で、読みたい! と思う本を見つけたとしましょう。
偶然の出会いです。ですから本の値段を知りません。
本の裏扉の価格表示を見て、思います。
高いなあ、買うのはあきらめて、図書館に来るのを待とうか。
それとも……
高いけど、思い切って買っちゃおう!
どちらでしょうか?
はい、どちらでもあなたはチープ国民です。
“高いなあ、高いけど”と値段を気にかけた瞬間、それは既にチープ根性なのです。
チート国民は、高いも安いもなしで、欲しいものは買いますよ。
必要だと判断したら、ためらわないのです。
おカネ、あるんですから。
*
さて、ずいぶん言い遅れてしまいましたが……
ライトノベルのコンテストなどで賞を獲るなどして、めでたく作家デビューを果たされても、数作なり数年で去って行かれる方が圧倒的に多い中、いつまでも書き続けて、老齢になっても本を出し続けるタフな作家さんが、少ないながらおられます。
どういう人が、書き続けておられるのか。
それはやはり、チート国民に属する裕福な作家さんです。
たとえ作家業に失敗しても、家業を継げばいいとか、親が経営している会社の役員になれるとか、すでに血縁者の遺産だけで死ぬまで安泰だとか、そういった強固な生活基盤を有しておられる方が、長続きする傾向にあります。
やむをえないことです。
作家に専念して挫折しても、救ってくれるセーフティネットが用意されている。
これのあるなしは、デビューした無名作家の、その後の人生に天地の格差をもたらします。崖っぷちの道に、安全な手すりが付くのですから。
将来の心配をせずに専業作家を続けることができれば、作品の質も量も、自分で納得のいくレベルを保てるでしょう。
一方、兼業作家を余儀なくされた人は、兼業の仕事がどれほど苦痛になっても、その収入を手放すことはできません。特に家族持ちのサラリーマンだったらなおさらです。サービス残業や休日サービス出勤、上司や同僚のパワハラにいじめ、突然の転勤辞令や左遷に降格など日常茶飯事なのですから、忙しく、そして苦しくなれば、作品は書けなくなります。日々、身も心も引き裂かれた思いで一年二年と過ごすしかなくなります。
そして、出版のチャンスを失います。
これが作家業の生死の分かれ目でしょう。
やはり、貧しさは文筆を殺します。
しかし時には……
貧しくてもバリバリ書いておられる方がいないわけではありません。
しかしその場合、“自分の貧しさ”を作品ネタにされているケースがままあります。
作品が売れて貧しさから脱却した時、その人は行き詰まるかもしれません。
あ、暗いお話になってスミマセン。
ジメジメと恨み節を唱えるつもりは全くありません。
やはり家庭が経済的に恵まれている方が有利であるという事実は事実として認めた上で、自分にできることを楽しんでやりましょう、そういうことです。
*
さて、そんな、なにやら切ない架空国家、チート国とチープ国の出版市場はどうなっているのでしょう。
チート国では書店数が多く、高い本でもよく売れます。
お客様がお金持ちですから。
定価二千円以上の本が二十万部以上も売れるようなベストセラーがしばしば出現します。
一冊何万円とかの超高級本が、意外と売れます。
過去20年、豊かなチート国の出版マーケットは拡大しないまでも、堅実に現状維持をしているようです。
かたやチープ国では、本は日々、正価で売れなくなっていきます。
書店の数も激減しています。
読書については、図書館で借りるのが優先で、次いで、中古本のネット購入です。
要するに、安いからです。
文庫本も千円近くになると、それだけで売れません。
出版社としてはチープ国の人たちにも本を買って欲しいのですが、過去20年にわたって貧困化が進み、マーケットが極端に縮小しているのです。
20年前に比べて出版マーケットが半減した原因は、チート国ではなくチープ国の国民の購買力が、さらなる貧困化でますます乏しくなったからですね。
これは困ったことです。
チート国、チープ国とも、人口は年々減り続けています。少子高齢化です。
今はチート国で本が売れていても、人口が減ればいずれ市場は縮小します。
同じ本を一人で二冊以上買うことは、まず望めませんから。
これまではチープ国を無視して、チート国の人々に本を売っていればよかったのですが、いつまでもそうはいきません。
チート国でも、買ってくれる人口がじわじわと減っていくからです。
となると……
何とかして、チープ国の人々にも、本を売れないものか……
出版社、知恵を絞ると思います。
安い本をさらに安く、そのかわり大量に売りさばく。
そんな、薄利多売のマーケティングで、何とかして収益を取れないものか。
そのための商品、そのための売り方があるのではないか。
本屋さんがバーゲンを始めたのも、そういった事情からでしょう。
十年ほど前は“正規書店の値引きセール”なんて聞いたこともなかったと思います。
それほどに、書店はお客様を求めているのですね。
*
購買力が極めて低いチープ国民に、それでも本を買ってもらう方法とは……
ゲームをはじめとした様々な文化的支出、あるいは衣食住の支出品目よりも優先して、“本”におカネを回していただくためには、何が必要なのでしょうか?
でも、私ごときが声高に強調しなくても、じつは出版社様は、すでにしっかりと手を打っておられます。
それも、並々ならぬ関心を寄せて。
貧しいチープ国民を主な対象とする大規模で継続的な市場調査が、何年も前から、極めて効果的な手法で実施されているからです。
“無料小説投稿サイト”という形で。
次章に続きます。
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