第13話

「完全に私の落ち度です」

 紅葉は言った。眉を寄せ、自責と後悔に満ちた表情だ。

「そんなこと言ってもどうしようもないですよ。陽毬さんは一目散に走っていったんでしょう。止める間もなく」

「いえ、まずあの子が取り乱すような態度を取ったのが悪かったんです。あんな風に怒らなければこんなことには」

「陽毬さんが取った行動や言った言動を考えれば紅葉さんが怒るのも仕方ありませんよ。それよりこれからの話しをしましょう。過ぎたことをいつまでも議論しても事態は好転しません」

「はい.....」

 それでも紅葉の表情が晴れることはない。

 割と合理主義者で、感情に飲まれることが少ない紅葉がここまで落ち込んでいるのは珍しかった。

 しかし、それも仕方が無いと四島は思う。

 ここは怪異狩組合の事務所だった。時刻は午後6時を過ぎている。

 紅葉と四島はここでこれからどうするかを話し合っていた。すなわち、どこかへ連れ去られた陽毬をどうやって奪還するかという話しだ。

「とにかく、なにか手がかりがないか考えましょう」

 四島はタブレットに地図を出していた。渚市全域の地図。その中にひとつマークがされている。上尾川べりの橋の下。すなわち、陽毬が消えたと思われる場所だった。

 紅葉との電話を一旦切り、突如出現した怪異の担当者に状況を確認した四島はすぐに紅葉に電話をかけ直した。

 その時、現場から今まさに上がってきた情報にはこう記されていた。

『巨大な鳥型怪異発生、上尾川沿いにて女性を襲撃中』

 と。そして、近辺の定点カメラからの映像を見て四島は戦慄する。襲われていたのは陽毬だった。

 なにかがおかしかった。陽毬が失踪して、その陽毬が今し方発生した怪異に襲われている。

 偶然で片付けるには何かが出来過ぎていた。四島は紅葉が電話に出るや、すぐさま怪異が居る現場に向かうように伝えた。

 陽毬がなにものかに襲撃されている可能性があると。

 突然のことだ。

 今回の件に関して、蕨平を何らかの形で利用したがるものへの警戒は一応はしていた。しかし、一応だ。そんなものを本当に行う人間が居るとはあまり真剣に考えては居なかった。

 しかし、その可能性が現実になったのだと、四島は直感していた。

 電話を受け、紅葉は符術を使って肉体を極限まで強化し、ビルを高層マンションを一気に飛び越して現場に急行した。

 しかし、着いた頃には全てが終わっていた。

 陽毬も居なかった。怪異も居なかった。ただ、倒れ伏した二人の怪異狩が居ただけだった。それ以外になにもありはしなかった。

 陽毬は何者かによって、さらわれてしまったのだ。

「手がかり。現場にはわずかに符術を使った痕跡あり。倒れていた怪異狩両名は記憶が鮮明で無く情報を聞き出すことは困難、ですか」

 紅葉は力なく言った。

 はっきり言って。陽毬がどこへ向かったのか。一体誰がさらったのか。それらを示すものは何も無いに等しかった。

 倒れていた怪異狩の二人は恐らく符術による記憶の消去を受けていて目撃証言を聞き出すことさえ出来ない。目撃者も無し。

 橋の下にはわずかに符術を使ったと思われる痕跡があったが、それは四島たちが見たことも無い術であまりアテにならなかった。

 それから人員を割き、周囲の捜索、そして今や範囲を広げ街中の捜索を行ってはいるがなにひとつ手がかりは無かった。

 このままでは追跡はおろか、ある程度の予想を付けることさえ出来なかった。

「あの符術に類似するものはウチの記録にはありませんでした。恐らく結界を主とした符術の系譜なんでしょうが。そもそも、恐らく襲撃者は怪異を自ら出現させています。それもある程度支配している。こんな術は現代では聞いたことがない」

 符術そのものが怪異を人為的に発生させる術だが、やはり程度はある。

 少なくとも、今回出現した規模の怪異を出現させ、自在に操ることが出来る人間を四島も紅葉も知らなかった。そんな人間がいればたちどころに業界中に知れ渡るハズだ。それだけ異常なのである。

「少なくとも、普通の相手でないことだけは間違いありませんね」

 紅葉は表情を歪めながら窓の外を見る。有るはずの無い謎の襲撃者の手がかりを探すかのように。

「そもそも、まだこの街に居るんでしょうか。あれから5時間近くが経過しています。高速でも使えば遙か彼方まで行けてしまいます」

「確かにその可能性はありますけどね。でも、もし『白峰の霊鏡』を本当に出現させるとなればある程度の下準備が必要になります。場所の選定、出現を安定させる結界、そして人払い。なにより、検問だって張っています。この街にまだ居る可能性が高いでしょう。だからこそ、諦めてはならないんです」

 まだ、陽毬と襲撃者はこの渚市のどこかに居る。そう信じるしか無い。

 この街のどこかで、『白峰の霊鏡』を出現させようと工作を図っている最中だと。

 そして、それを探し出す。そして、陽毬を奪還する。やるしかない。

 しかし、紅葉は浮かない表情だった。どうしても、自責の念が消えないらしい。自分が軽率な行動を取らなければ、こうはならなかったのではないかと。

「紅葉さん。話したいことがあるなら話してください。これからが本番です。迷いは無くした方が良い」

 四島は言った。心にわだかまりがある状態では作戦を十全にこなせない。

 それは紅葉も分かっている。なので、話すことにした。今後の仕事に関して何の利益にもならない独り言を。

「少し、調子に乗っていたのかもしれません。わずかでも仲が深まってきたと感じて、相手のことを分かった気になって、そして言ってはならないことを口にした。そんな気がします」

 紅葉の詰問で取り乱した陽毬。紅葉としてはただ単に行動に問題があると感じたので注意した、程度の認識だった。しかし、それは恐らく陽毬にとって踏み込まれたくない何かだったのだ。だから、陽毬は紅葉から逃げていった。

「バカでした。もっと相手を良く見るべきでした。陽毬さんの後ろに言えない何かがあると分かっていたのに、それへの想像が足りなかった。これは私の責任です」

 紅葉は唇を噛みしめ、悔しさを堪えながら言った。紅葉は自分を責めていた。

 四島はそんな紅葉を見て、いつも通りの無表情だった。なにを考えているのか分からない表情。

 しかし、やがて口を開いた。

「紅葉さんのせいではないですよ」

「ですが」

「いえ、やはり最初に事情を説明しておくべきだったんです。なので、一番の責任は私にあります」

「そんなことは....」

「どうしても紅葉さんが納得出来ないのであれば、8割私、2割紅葉さんで結構です。ですが、やはり概ね私にあります。最初の判断を誤った。二人が一緒に行動して、チームワークを要求される以上、陽毬さんの事情に関してもしっかり伝えておくべきだったんですよ」

 四島は視線を落とした。無表情の四島に珍しく表情の変化がある。どうやら、四島も四島なりに落ち込んでいるらしかった。

 紅葉と陽毬に衝突を生んだのは自分の説明不足のせいだと。そして、その衝突からこの状況が生まれたならばやはり責任は自分にもあるのだと。

「なので、最早遅いかもしれないですがお伝えします。陽毬さんの事情を」

「え」

「元々陽毬さんにも、必要を感じたら私の口から伝えても構わないと言われていました。なので、私の口からお伝えします。良いですか、紅葉さん」

 四島は紅葉の目をまっすぐに見て言った。

 これから、陽毬の内面について話すと四島言っているのだ。そして、それを聞く心構えは出来ているかと聞いているのだ。

 紅葉は迷わず答えた。

「はい。是非お願いします」

「分かりました」

 四島は一度だけ外を見た。夕焼けで赤色に染まっている街を。

 それから、また紅葉に視線を戻した。

 そして話し始めた。

「まず、核心を話すと。陽毬さんは天涯孤独です」

「え....。それは......」

「親と呼ばれていた人は居ます。親戚と呼ばれていた人たちも友人と呼ばれていた人たちも居ます。ですが、全員陽毬さんと関係ない人になっています」

「え.....? すみません。全然話が分かりませんよ」

「それが、『白峰の霊鏡』の力なんです。『白峰の霊鏡』は魔払いの呪具と呼ばれていますがその実態はそれどころじゃない。あれが起こすのは『事象の書き換え』です」

「昨日、四島さんが使った結界みたいなものですか?」

 四島が千石橋に張った結界。その中には、『人を即死させるような物理現象を修正させる怪異』が発生していた。即死の現象をある程度弱体化させる怪異だ。それはすなわち事象の書き換えと呼べる。

「いえ、方向性としては近いですが規模が違う。『白峰の霊鏡』は過去の歴史のレベルから修正を行い存在していたものを無かったことに、無かったものを存在していたことにする。それは物体だけじゃなく、人の繋がりのような因果や、果ては概念に至るまで。つまり、あの呪具は『世界を改竄する怪異』なんです」

「な....」

 紅葉は言葉を失った。話の規模が大きすぎる。世界の改竄。それも地理的にでも社会的にでもなく、正真の『この世』に干渉する能力。

「とはいってもあまり自由自在という代物でもないらしく、十全に機能していない呪具なんですけどね。思うままに世界を書き換える、というマネは出来ないようです」

「なるほど、だからそれほどの能力でも封印で済んでるんですか」

「いえ、それも書き換えによるものです。あの呪具は自己防衛機能なのか、自分に関する情報を隠蔽するように事象を書き換えるらしいんです。だから、今話したのは全て陽毬さんに聞いて、私が考え出した結論です。公式の記録では『白峰の霊鏡』は内部に異界を創り、そこで条件を設定して自在に怪異を操る呪具ということになっています」

 だから、これほどの能力でも明るみに出ることが無かったということなのか。

「なるほど。霊鏡という怪異については分かりました。それが陽毬さんになにをしたんですか。天涯孤独ってどういうことなんですか」

 それこそが、陽毬が隠した陽毬本人の核心なのだ。

「敷島一族はこの強力な呪具を抑えるために代々封印の儀式が行われています。どう頑張っても呪いのように、一族の中にこの怪異を宿した者が生まれてしまう。陽毬さんも子供のころ、その儀式を受けたんです。本来ならそれで、呪具は一生封印されるはずだった。ですが、そうはならなかった。外部から、呪具を我が物にしようと干渉したものが居たんです」

「誰なんですかそれは」

「今となっては分からないそうです。なにせ、その事実自体が消失している。そもそも、敷島一族が今守っているとされている『白峰の霊鏡』という呪具は本当にそういう鏡だということになっています。陽毬さんが宿す本物は今の世界には無かったことになっている。全ては儀式が失敗したことによるものです。そのせいで不安定になった霊鏡は暴走し、メチャクチャな形で事象を書き換えてしまった。結果として、陽毬さんに関わる全てがなかったことになった」

 全て。その言葉の意味がようやく紅葉にも分かった。天涯孤独というのがどういう意味なのかを。

「陽毬さんは居たはずの友人も親戚も家族に至るまで関わりが無かったことになった。全員生きています。この日本に、陽毬さんの記憶の通りに存在しています。しかし、全員が陽毬さんを覚えていない。それだけでなく、戸籍等の記録にも、彼女の暮らした街にも、暮らした家にさえ、彼女が居たという痕跡は綺麗に消滅したんです。全てが、『天涯孤独の子供』として都合良く改竄されたんです。彼女は繋がりというものを全て失った。過去という者を全て失った。彼女は一度全てを失っているんです」

 そして、最初と同じように四島はまた窓の向こうの赤色の街に目を向けた。

「だからなんでしょうね。彼女はきっと、他人を失うのが恐ろしくてたまらないんです。繋がりが消えるのが恐ろしくてたまらないんです。見ず知らずの他人でも目の前で消えるのが我慢出来ないんです。だから、彼女は初めの夜にあなたをかばった。橋の上であなたのために戦った。そして、今日も倒れる誰かを見捨てられないと言った」

 それは、どれほど恐ろしいことだろうか。昨日まで一緒に生きてきた人々に突然他人として振る舞われるのは。生きてきたはずの痕跡も過去も全てがなくなるというのは。昨日までの世界が消滅するというのは。自分が本当にこの世でひとりぼっちになるというのは。

 紅葉には決して分からなかった。想像することさえ出来なかった。

 紅葉には陽毬の孤独も、苦痛も、絶望もなにもかも分からなかった。

「話は分かりました。想像以上に途方もない話しでした」

「そうでしょうね。こんな仕事をしていても中々巡り会う境遇じゃない」

「そうか、そうだったんですね」

 紅葉は目をふせて、ゆっくりと今聞いた話を呑みこんだ。規模が大きすぎる話しだ。世界に干渉する怪異など中々お目にかかれるものではない。紅葉が関わってきた怪異の中でもダントツで影響を及ぼす範囲の大きな怪異だった。そして、それを狙うSSレート怪異の蕨平。今回の事件は何から何まで規格外が過ぎた。

 しかし、そんなことは今紅葉はどうでも良かった。

「あの子、そんな境遇でなんとか生きてきたんですね。本当のひとりぼっちなのになんとか生きて、なんとか学校を出て、なんとか怪異狩という職業に就いて、なんとか生きてきたんですね」

「ええ」

 紅葉は静かに、呟くように言う。

「最初の夜、もっと優しくしてあげるべきでした」

 そして、両膝に置いた拳を強く握り締めた。渾身の力を込めて。

「あの子を助けましょう。そして、私は謝らなくてはなりません。心ないことを言って申し訳無かったと」

 紅葉は言った。上げた顔には固い決意のこもった眼があった。さっきまでの自責の念や罪悪感は最早消えたようだ。いつもの紅葉の顔に戻っていた。

 方法など分からない。手がかりも見当がつかない。しかし、何かをしなくてはならない。行動をしなくてはならない。この事務所でクヨクヨしている場合ではない。紅葉は立ち上がった。

「もう一度現場を見てきましょう。なにか、少しでも手がかりがあるかもしれない。もう夜ですが、なんとか」

「前向きになったようで何よりです。そうですね。なにはともあれ行動する意外に無いでしょう。符術の痕跡から使った札の種類さえ分かれば流派は絞れます。そうすれば辿ることも不可能ではない。なんとか夜までに.......」

 と、その時だった。

 二人のスマホが鳴った。着信ではない。ビー、ビー、という警報音。つまり、怪異の出現を知らせるアプリの警告だ。二人はスマホを開く。場所は河を渡って海まで行った千鳥海岸。ここからはかなり遠い。しかし、二人にはこのタイミングはなにかキナ臭く思えた。

「四島さん、この怪異」

「ええ......まったく、これは」

 警報が再び鳴る。また鳴る。重ねて鳴る。鳴って鳴って鳴り止まない。通知がどんどんと重なっていく。全て怪異の出現警報。場所は全てバラバラ。渚市の至る所。つまり、今この街に怪異が次々に発生しているということだ。次々、いや尋常でない量だ。異常事態と言って差し支えない。これは街が危ない。

 夜が近い。最後の夜。街はいよいよ、混沌に満ちていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る