第12話

 紅葉のスマホからビー、ビー、と警報が鳴り響いた。怪異出現の警報だ。場所は上尾川沿いにある運動公園付近だった。

「なんですか、こんな時に」

 紅葉はスマホの画面を見ながら言う。

 運動公園は紅葉の居る駅周辺から離れている。大通りをしばらく進んで、昨日戦った千石橋を渡った向こう側だ。

 怪異の出現が報じられれば、ハングリーな怪異狩はすぐに向かうものだが紅葉はそれどころではない。そもそも、場所が近いとは言えない。

 今から行っても、近辺に居る怪異狩が自分の仕事にしてしまっていることだろう。

 そんなことよりも、今は居なくなった陽毬の方が重要だ。

 紅葉は中央病院からとにかく自分が思い当たるような場所をしらみつぶしに探していた。

 アテなどあったものではない。追って陽毬が消えた角を曲がった時にはもう陽毬の姿は通りには無かった。

 一旦見失えば最早手がかりなど無い。聞いていた番号に電話をかけても陽毬は出なかった。

 走り去った陽毬はかなり取り乱した様子だった。

 紅葉には陽毬が何故あんな風になったのかさっぱり分からなかった。しかし恐らく、紅葉に話していないなにかが陽毬をああさせたのはうかがい知れた。

 会って聞かなくてはならない。

 紅葉の勘だったが、それは『白峰の霊鏡』に関して非常に重要なことであるように思われた。

 紅葉はぐるりと駅前を見回す。怪異相手でもないのに符術まで使って感覚を研ぎ澄ませている。今はなりふり構っている場合ではない。

(ここにも居ませんか。建物の中にでも入っていたらいよいよ分かりませんね。まったく、あの子は)

 紅葉はいらだたしげに表情を歪める。

 紅葉は恐らく、陽毬はその内自分からひょっこり現れるような気がしていた。しかし、それでも探さないわけにはいかない。というか、そんなもの待たずに一刻も早く見つけて紅葉は問いただしたかった。

 何故、あんなに取り乱したのかと。

 そこを聞かないと作戦の話しさえ前に進まない。

 と、その時また紅葉のスマホが鳴った。今度はアプリの警報ではない。単なる着信だ。画面を見れば四島からだった。

 そして、ここに来て紅葉は陽毬が失踪したことに関して四島に連絡を入れておくべきだと気付いた。

「もしもし」

『ああ、紅葉さんですか。今晩の配置に関して改めて打ち合わせておきたいところが出てきたので電話したんですが』

 今晩の配置に関しては聴取のついでに話し合っていた。最後の決戦。場所はフェリー発着場の大駐車場。遮蔽物に車を何台も配置し、かつ昨晩より規模の大きな結界を張る予定だった。人員は四島がなんとかするという話しだった。

「すいません、四島さん。その前にお伝えすることがあります。陽毬さんが失踪しました」

『失踪? どうしたんです一体』

 四島が珍しく感情に揺らいだ声で言った。

 紅葉はさきほどあったことを手短に四島に説明する。そして、今どうにもならない状況で手当たり次第に探し回っているのだと伝えた。

 それを聞きき終わると四島は短く唸った。

『うーん、弱りましたね』

「はい。一度見失ったらもうどこに行ったのか分からなくて。四島さんはなにか心当たりはありますか?」

『いえ、無いですね。それに、弱ったというのはそれだけの話しでは無くて』

「ああ、陽毬さんが作戦を遂行出来るかどうかということですか」

 陽毬がなにがあっても逃げ回ることを了承してくれなくては作戦も上手く立てられないのである。

『陽毬さんが昨日みたいに捨て身で蕨平に挑んでいったら少々まずいですからねぇ』

「少々どころでは無いですよ。そのまま蕨平に確保されれば終わりです」

 四島はまた短く唸った。

「どうしました?」

『いえ。このことに関してはどうしようもないのかもしれません』

「どうしようもない? それはどうしてです」

『うーん.....。これは、陽毬さんの内面に深く関わる話しになるんですよ』

 それは多分、一番初めに組合事務所で四島が『プライバシー』だと言ってなにひとつ話さなかった、陽毬の家族に関する話しなのだろう。簡単に他人に話すべきでは無い事柄。少なくともここで他人の四島が口にして良いことでは無いのだ。だから、四島は煮え切らない言葉を並べている。

「話せないことというわけですか」

『少なくとも私の口から話すのはあまり良いことではありませんね』

 四島は小さな溜息を吐いた。

『ですが、やはり話さないわけにはいかないんでしょうね。特に決戦とも言える戦いを控えた今日、わだかまりを残すべきではないでしょう。陽毬さんが戻ってきたら聞いてください。私が聞くように言ったと伝えて』

「それで話してくれるものなんですか?」

『ええ、恐らく。必要なことだというのは、もう陽毬さん自身が気付いているはずですから』

 紅葉は四島と陽毬が隠しているなにかを知らないのでなんとも言えない。

 四島の言うとおりに陽毬が思っていると信じるしかない。

 陽毬が隠し、あそこまで取り乱すなにかを陽毬自身が自分から話してくれるのだと。

 なので、とにかく今は陽毬を探すしか無い。陽毬が自分から戻ってきてくれるまで。

「まぁ、あの子はその内に自分から戻ってくると思います。一応探し回りますけど」

『おや、もうバディとしての絆が芽生えてるんですか。良いことです』

「絆がどうとかあまりに四島さんには似合いませんね。まぁ、なんとなくあの子の性格が分かってきたのは確かですけど」

 と、その時なにかの破砕音が響いた。かなり大きい音だ。それは通りの向こう、上尾川の方向からだった。

 つまるところ、警報で出現の伝えられた怪異が居る方向。怪異の姿はビルに隠れて見えないが、まず間違いないだろう。

「こんな時になんだって怪異なんか。それもこんな音が出るほどなにかを壊せるとなればそこそこの怪異ですよ。誰か向かってるんですか?」

『ええ、何人か向かってるみたいですね。別の人間が担当したので詳しい情報は知らないんですけど』

 四島は蕨平との戦いの準備で手一杯なので、突如出現した謎の怪異にかかずらっている暇は無いのだろう。妥当な采配だ。四島には今晩の戦いに専念してもらわなくては紅葉も困る。

 そして、紅葉もそんなこと気にしている場合ではない。

「まったく、タイミングの悪い話しですね。私たちはそれどころじゃないっていうのに」

『........そうですね。タイミングは悪いです。妙に悪い....妙なタイミングです』

 四島は紅葉の言葉に突如声のトーンを落とした。何か思うところがあるかのように。

「どうしました?」

『少し、引っかかっただけです。私もこの怪異について少し担当に聞いてみます』

「そんな暇あるんですか?」

『少しだけです。紅葉さんは陽毬さんを探してください。今日の配置については後で改めて連絡します。では』

 そうして、四島は電話を切った。

 なんとなく、後腐れの残る四島の最後の言葉に紅葉はいぶかしげに表情を歪める。

 しかし、今はそんなことより陽毬だ。

 紅葉は改めて周囲を見回すがやはり陽毬の姿は無かった。そして、やはりどこに居るのかは分からない。

 紅葉は再び陽毬の番号に電話をかけるがやはり出なかった。

「まったく、どうしたものでしょうかね」

 紅葉は溜息をひとつ吐き出し駅前を後にする。そして、次は百貨店の辺りを探そうと通りを歩きだした。

 時刻は昼過ぎ。まさか何時間もかかるとは思えなかったが、夕方までには見つけなくてはならない。





 陽毬は走っていた。全力疾走である。

「くそっ! めんどくせぇやつだ!!」

 陽毬は叫ぶ。その頭上に巨大な影が迫った。陽毬は急ブレーキをかけ、急降下してきたその巨大なモノをかわす。

 それは怪鳥、木で形作られた大きな鳥だ。運動公園で天淵が生み出した怪異。天淵の結界から抜け出した陽毬を運動公園からずっと、執拗に追いかけてくるのだった。

 目的は陽毬の捕縛であることは明らかだ。

 陽毬はこの巨鳥の追跡をかわしながら、走りに走って川沿いに来ていた。突然の巨大怪異の出現に人々はパニックだ。その人々への被害をなんとか抑えようと、なるべく人や構造物の少ない場所へと逃げてきたわけである。

 陽毬はなんとか紅葉たちに連絡しようとしていた。

 しかし、この大きさの怪異が上空から襲いかかってくるとなると、スマホを開いて悠長に電話している暇さえありはしない。

 怪鳥はその巨体で常に陽毬の上空に止まり、爪で陽毬を捕まえようとしてくる。

 動きの速さもかなりのものだったが、陽毬が避けられないほどではない。なので、なんとかその攻撃を凌いではいるのだが、紅葉に連絡するタイミングが見つからないのだ。

「くそっ!! どうにかして電話してぇけど」

 そう言っている陽毬の頭上からまた怪鳥が舞い降りてくる。陽毬は辛くもかわすが、地面と標識、川べりの手すりが吹っ飛んだ。

 その瞬間に陽毬は怪異の足に蹴りをお見舞いしてみるが、弾け飛んだ足はすぐに幹のようなものが伸びてきて埋められてしまった。

 この怪異もまた天淵の出した他の怪異同様、陽毬一人では倒すに倒せない。紅葉に連絡を取る事も出来ない。

 陽毬の窮地はまだ続いていた。

「くそっ!! なんなんだよあいつは!! 人間のクセに何考えてんだよ!!」

 陽毬の脳裏に先ほどまで戦っていた天淵の人間離れした陰気な顔が浮かぶ。人間であるにも関わらず蕨平に協力すると言った天淵。しかも、それは会社のためだとのたまった。

 間違いなく異常者だった。

 すぐにでも四島や紅葉にあの危険人物の存在を伝えなくてはならないのに。上空の怪異が忌々しくて仕方が無い。

 と、その時だった。

「大丈夫か!!」

 陽毬の左後方。川の上から声がする。見れば男と女、二人の怪異狩が水面を走ってこちらに向かっていた。符術なのだろう。陽毬が使えない術だ。

 二人はそれぞれ肩に大太刀、そしてもう一人は切断ワイヤー付きの仕掛け小手を装備していた。

「助けてくれ! 俺一人じゃどうにもならない。組合に連絡しなくちゃならねぇんだ!!」

 陽毬は声を上げて助けを求めた。陽毬の顔を見ると女の方が陽毬に気付いたらしい。

「君は昨日の戦いの生き残りの」

「伝えなくちゃならねぇんだ。天淵とかいう金甲警備のお偉いさんに狙われてる」

 そう言う陽毬に再び怪鳥が襲いかかるがなんとか陽毬はかわす。

「金甲警備? なんで金甲警備が出てくるの? 全然意味が分からないんだけど」

「それは俺も意味が分からないんだよ! とにかく、このことを四島の兄ちゃんに伝えないとならねぇんだ! ちょっとの間で良いから時間が欲しい!」

「心配しないで。元々こっちはこいつを倒しに来てるんだから。これならBレートは固い。稼ぎ時よ」

 そう言いながら女は大太刀を振るい上げ、男は極細のワイヤーを振るう。戦闘に入った。怪鳥の胴に、翼に二人は攻撃を仕掛ける。怪鳥の体は破壊された部分からメキメキと音を立てて再生していくが、二人はお構いなしに攻撃を繰り返す。二人も腕の良い怪異狩なのだろう。双方の攻撃の速度が再生の速度をやや上回っている。

 怪異とてただでやられるワケは無いのだろうが心配するほど劣勢になるということは無さそうだ。

 しかし、その攻撃を浴びながらも怪異の目標は二人では無く陽毬のようだった。切られ、引き裂かれてもなお陽毬に向かって飛ぼうとしている。

 完全な安全を確保するにはまだ早い。

 と、陽毬の目が捉えたのは橋の下だった。

 橋の下は橋脚があり怪鳥が入るには狭い。あそこなら落ち着いて電話が出来そうだ。陽毬にはそう思えた。

 二人の怪異狩は最早陽毬のことなど気にもかけず、自分の仕事に集中している。わざわざ動きを伝える必要もなさそうだった。

 陽毬は走る。たったの十数mだ。符術で強化された脚力なら一瞬だった。陽毬はスマホを取り出したながら橋脚の影に入った。

「ここなら...なっ!!!」

 入った瞬間だった。橋脚を覆うように金色の柵がせり上がり、陽毬を閉じ込めたのだ。この術には見覚えがあった。ついさっき見たものだ。ついさっき運動公園で使われたばかりの術。

「勘もセンスも光るモノがあるが、経験がまったくといったところか」

 そして、いつの間にか立っていた。橋の下に天淵桐也が立っていたのだ。

 相変わらずのこの世の終わりのように暗い顔で陽毬に近づいてくる。

「な、罠か!」

「ここに来るように誘導しただけだ。ちょうど橋の下に入れないほどの怪異で、この川べりに来るほどの被害を出すことで。そして、この橋の下に行くように襲わせることで」

 陽毬はまんまとこの橋の下の、この橋脚の下に来るように操られたということだたった。しかし、あの状況で瞬時にこの作戦に移れる辺り天淵はやはりただ者では無かった。だが、天淵はやはり言うのだろう。

「お前、何者だ」

「会社員だ。ただの」

 と。

 そして、天淵はパチンと指を鳴らす。

 すると、陽毬の後方。まさしく、あの怪異と怪異狩が戦っているところでバツン、と音が響いた。そこでは怪異が弾け飛んだところで、そして交戦していた怪異狩たちが力なく倒れていっていた。

「なっ! 何しやがった!!」

「ただ、気を失っただけだ。死んで貰っては騒ぎが広がるだけだからな。ここ数分の記憶は消えているが」

 そうして、Bレート級の怪異とそれを討伐する手練れの怪異狩二人は無力化してしまった。

 そして改めて陽毬に向き直る。

 対する陽毬はこのまま成されるがままになるわけにはいかない。このままでは捕まってしまう。

 陽毬は全力で柵を蹴りつけ、殴りつけするがこれもあの赤い壁と同等、いやそれ以上にビクともしなかった。

 脱出不能。その四文字が陽毬の頭を過る。

 そんな風に必死に抵抗する陽毬を天淵は無機質な顔で眺めていた。

 陽毬は四島の表情も大概無表情だと思った。だが、この男の表情はレベルが違う。この男が浮かべているのは人間の表情にさえ見えない。生物で無い、こういう形が刻まれた何かでしかないように見えたのだ。

「無駄だ。お前は俺の手に落ちる。俺によって『白峰の霊鏡』を発現させる」

「ふざけるな! ふざけるな! あんなもん絶対使ってたまるか!!」

 陽毬は絶叫した。本当に心の底から絶叫した。本当に嫌だったからだ。『白峰の霊鏡』を使うのが。

「無駄だ。霊鏡は使う。お前が独り切りだろうがなんだろうが」

「お前....お前なんで知っている。どこまで知ってるんだ!!!」

「言っただろう。お前達よりは知っていると。調べたからな」

 その言葉さえ無機質だ。人間で無い魔物のような言葉。

「嫌だ! もう、あんな思いはたくさんだ!! もう、この世で一人きりになるような目に遭うのは....!!」

 陽毬の意識はそこで途切れた。

 天淵がその手をかざし陽毬は柵の中で倒れた。

「これで『白峰の霊鏡』は確保した」

 天淵はなんの感慨も無い声で言った。

 陽毬は天淵の手に落ちた。『白峰の霊鏡』は蕨平たちの側へと渡ってしまったのだった。

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