第10話

 長い一晩が明け時刻は昼前になっていた。天気は曇り。天気予報によれば、今晩は雨になるかもしれないという話しだった。

 今日こそが夏至だった。すなわち、『白峰の霊鏡』が顕現する当日。つまり、蕨平との決戦の日だった。

 昨晩の蕨平との激突はそれは大きな被害をもたらしていた。斬られた金甲警備と怪異狩たちは全員がすぐさま病院に運び込まれた。四島の結界、空間固定の符術、そして応急処置の治癒の術のおかげで重傷ではあるものの全員が一命を取り留め、経過も落ち着いている。これは四島の采配のたまものといったところだろう。ほとんどが蕨平の凶刃の餌食になったが、そこまでの負傷にならなかったのである。

 しかし、それでも最早全員、戦線に復帰することは不可能だった。とても、戦闘出来る状態ではない。

 つまり、一気に人員が減ったのである。このままでは昨日以上に蕨平に手も足も出ないだろう。今、四島が全力を挙げて人員の確保に奔走しているところだった。

 そんな中、

「で、異常はなしだったんだな。そりゃ良かったぜ」

「まぁ、結局蕨平に遊ばれていましたからね。せいぜい軽い切り傷程度でしたよ。四島さんと警察の聴取も終わりましたし、一応これで今晩に備えるだけですね」

 紅葉と陽毬は渚市立中央病院の正面玄関から出てきたところだった。

 街の中央から離れた、上尾川の側に建つ大病院である。一昨日陽毬が入院し、そして一晩で退院した渚市有数の病院だ。渚市民が『大きな病院』と言われてまずイメージするのがこの中央病院だった。

 ここで、紅葉が一応診察を受けていたのだ。結果として、いくつかの軽い切り傷以外は異常なしということで診察自体は朝の内に終わり、そのまま病院の談話室を借りて四島、そして警察に聴取を受けたのである。四島も警察もこの事態にかなりの忙しさのようで、場所を選んでいられないということらしかった。

 そしてそれも終わり、ようやく解放されこうして出てくることが出来たのである。

「ちゃんと、みんな治るんだよな」

「ええ、心配要りませんよ。結界内の術がちゃんと働きましたからね。様子を見ましたけど、包帯でぐるぐる巻きでも、もうはっきりしゃべれるくらいでしたから。傷は見た目ほど深くは無かったんですよ」

「なら良かった」

 陽毬は斬られた怪異狩たちを気にかけているらしかった。

「ちゃんと人集まるかなぁ」

「さて、それは最早四島さんの行動力次第としか言えませんね。ですが、昨日のあれで上も横もみんな気付いたでしょう。放っておくと大変なことになる怪異だと」

 手練れも含めた40数人の怪異狩がなすすべ無く惨敗した。しかも、出来る限りの事前の準備を整えたにも関わらず。

 このニュースはもう内外の人々に知れ渡っていた。 

 そして、どこもかしこも大騒ぎとなっているわけである。

 昨日までは『危険な怪異の出現』程度の認識しか無かった人々が、本当に最悪クラスの怪異が出現したと理解したのだ。

 蕨平は恐ろしく強く、そして恐ろしく危険な思考回路で、しかもその目的が果たされたならなにが起こるか分からない。そういう凶悪な存在であると皆が認知したのだ。

 四島によれば、対岸の火事とタカを括っていた人々が一晩にして本腰を入れ始めたという話しだった。

 なので、おそらく人員に関してはなんとかなるだろうと四島は言っていた。

 まぁ、それにしたって確定ではないのだが。

「まぁ、今日さえ乗り越えれば私たちの勝ちですけどね」

「俺が逃げ切れば俺たちの勝ちってやつか」

 昨晩の時点で蕨平との戦闘は『陽毬を守りながら討伐を試みる』から『陽毬を一晩蕨平から隠し通す』に作戦変更されていた。

 四島は昨晩の時点ではっきりと口にしていた。蕨平の討伐は諦めると。

 これだけの負傷者を出したのは完全に自分の采配ミスだと、四島は関係者全員に頭を下げたのだ。攻めきれないと判断した段階で作戦を変えるべきだったと。

 そんなことないと陽毬を始めとした皆が言っても聞かなかった。

 紅葉いわく四島は「そういうところが死ぬほど真面目」であるらしかった。そう言った紅葉は呆れ顔だった。

「なんとかなるかな。人さえ集まれば」

 陽毬は言った。

 楽観論だったがそういう部分は間違いなくある。

 今日が夏至。今晩を乗り切れば、『白峰の霊鏡』の出現期間は終わる。そうすれば蕨平は出現しなくなる。

 朝さえ迎えられれば紅葉たちの勝ちなのだ。

「そうですね」

 対する紅葉は仏頂面だった。どうも、陽毬の言葉に感銘を受けている感じはしなかった。というか、明らかに不機嫌だった。

 だが、この紅葉の不機嫌は今に始まったことではない。

 朝からずっと、いや昨晩戦いを終えてからずっとこの調子なのだ。

 しかも、陽毬に対して限定で不機嫌である。要するに陽毬にご立腹なのだ。

「あ、おう....」

 当の陽毬自身には全然心当たりが無いのだが。

 なにが紅葉の怒りに触れたのか。陽毬は昨晩紅葉がこの調子だと気付いてから考えていた。そんなに怒ることがあったとは陽毬には思えない。なにせ、陽毬は戦ったのだ。皆と一緒に怪異狩として戦ったのである。

 その行動の中の何がいけなかったのか。そんなにまずいことがあったのか。

 しかし、陽毬はこれかな、という心当たりはあった。

「なぁ、あんた怒ってるよな」

「そう見えるならそうなんでしょうね」

 紅葉はズバッと斬り捨てた。陽毬は押される。紅葉から放たれるプレッシャーがすさまじい。しかし、ここで押されるわけにはいかない陽毬だ。

「ひょっとして、俺が逃げないで戦ったことに怒ってるのか?」

 陽毬としては、ズバリ正解を言い当てたと若干してやったりと言った感じがあった。相手が怒っていることをズバリ言い当てたのだ。相手の不快に思ったことをきちんと理解出来たわけである。

 ならばすべきことは一つだ。陽毬は紅葉に謝れば良いのである。

 陽毬が「すまなかった」と頭を下げる。紅葉が「分かれば良いんです」と言う。そういう流れだ。そのはずだった。

「どうも、あまり深刻に考えていないみたいですね」

 紅葉はそんな陽毬のイメージを粉砕する、異様に静かな声で言った。

 表情もいやに落ち着いていた。

 陽毬は紅葉が本当の本当に怒っているのだと理解した。これはまずいと感じた。これは、すさまじいことになると。

「あそこであなたが蕨平に呪具だと気付かれていたら全部終わっていたんですよ。分かってるんですか? 結果的にそうだと気付かれることはありませんでしたが、あくまで結果的にです」

「わ、分かってるよ。でも、あそこであんたを見捨てるワケには....」

「見捨てれば良かったんですよ! 私が斬られようが戦闘不能になろうが、あなたさえ無事なら四島さんがなんとかしてくれます。私が居なくてもなんとか今日を乗り切る作戦を考えたはずです。あなたがあそこで最前線に出る必要は無かったんですよ! あんな危険を冒す必要は無かったんです!」

 紅葉はすごい剣幕で言い放った。理路整然と並べられた理屈は陽毬に反論の余地を与えない。

 大体、紅葉の言うとおりであの戦いで陽毬が『白峰の霊鏡』だと気付かれる可能性はやはりあったのだ。蕨平本人に呪具を見分ける能力は無いようだったが、あの怪異はとにかく異常だ。勘などというワケの分からない理屈で見破る可能性もあった。そう思わせる尋常でなさが蕨平にはあった。

 だから、陽毬は決して前線に出るべきでは無かった。目立つべきでは無かった。蕨平に気付かれない内に、紅葉が気を逸らしているに離脱するべきだったのだ。

 にも関わらず、陽毬は紅葉を守るという目的のために蕨平に挑んだのだ。

 それが紅葉にとっては有り得ないことだったのである。戦いの最中でも陽毬の行動に驚愕していたが、終わるとそれがフツフツと怒りに変わっていったらしい。

「最悪の場合、あそこに居た全ての人の行いが水の泡になってたんですよ。そうなったらどうするつもりだったんですか」

 紅葉の怒りは止まるところを知らない。しかし、陽毬も言われてばかりではいられない。

「で、でもさ。やっぱり俺にはあんたを見捨てることなんて出来なかったよ。あんたがあの化け物に斬られるのを放っといて逃げるなんて無理だったよ」

「無理でもそうすべきだったんですよ。誰もあなたを咎めたりしません。事情を知れば皆納得するはずです」

「で、でも」

「大体、なぜそんなに私を守ろうとしたんです。そんなに必死になって命を張る理由が、合理的な思考を抑えてまで命を懸ける理由が分かりません。私の目から見ればやりすぎですよ。そこまで無理をしなくても良いでしょう」

 思えば、一番始めの一昨日の夜だってそうだった。陽毬は蕨平に斬られかけたところを陽毬が体を張って守ったのだ。あの時はまともな会話すらしていない間柄だった。完全な他人を陽毬は命懸けで守ったのである。

 そして昨晩の戦い。陽毬はまた、いつ斬られてもおかしくない状況に自分から飛び込んでいった。

 やりすぎ、確かにそういう見方もあるのだろう。

 大した繋がりもない他人のために、自分の全ての大本である命を差し出すなどというのはなかなか出来ることではないのだ。

 少なくとも紅葉には良く分からないことだった。

 赤の他人のためにここまで必死になれるというのが。

 ここまで全てを懸けるというのが分からないのである。

「今日はああいったことは謹んでくださいよ。さっきあなたが言った通りです。あなたさえ無事なら我々の勝利なんです。周りで誰が斬られようが、誰が血を流そうが、絶対に自分の身を守ることを優先してくださいね」

 紅葉は人差し指を陽毬に突き付けて言った。

 絶対に自分を守ること。それこそが勝利の条件だと。そのためにみんなが動くのだと。陽毬が捕まることそのものが最もみんなのためにならないのだと。

 さっき陽毱は自分が逃げ切ればなんとかなるというような、作戦を理解しているようなことを言っていた。しかし、紅葉はそれも信用していなかった。恐らく今言っているだけで、誰かが倒れていくのを見たらそうはしないだろうと。

 また、昨日のように暴走するだろうと。

 だから、紅葉はその瞳で陽毬に強く言いつけを守るようにと主張していた。

 しかし、

「無理だ」

 陽毬ははっきりと言った。

「無理だよ。誰かが傷ついて倒れてくのを黙って見逃すなんてそんなことは出来ない」

「なっ....」

 紅葉は言葉を失った。

 ここは紅葉が「やめてください」と言ったことに陽毬が「すいませんでした。分かりました」と言う流れのはずだった。ごねても多少のはずだった。

 しかし、陽毬は紅葉の想定以上にはっきりと、その言葉を拒否したのだった。

「なにを言ってるんですか! 私の話し聞いてましたか!?」

「聞いてたさ。でも無理だ、やっぱり。俺には出来ない」

「い、いい加減にしてください。それはつまり、作戦が失敗しても仕方が無いと言ってるようなものなんですよ。あなたを守るために皆さんはこの三日間動いたんですよ。どういうつもりなんですか!」

「無理だ。誰かが傷ついてるのを見るだけで我慢できないんだよ。昨日だって、作戦だって聞かされてたから始めは我慢はしてたんだ。でもやっぱり受け入れられなかった。やっぱり目の前で誰かが傷つきそうになってたら助けずにはいられない。俺はそういうやつなんだ」

 それは、類い希なるヒーロー性を有していると主張しているようだった。

 目の前で傷つく人が居たら放っておけない。自分の身を投げ出してでも誰かを助ける。そんなものは漫画の中のヒーローだ。悪人に無残に蹂躙される人々を助け出すヒーローの考え方そのものだ。

 しかし、言っている陽毬はどこか寂しそうだった。自分の発言に信念があるとか、譲れない誇りがあるとかそういったものではなさそうだった。

「俺はそういう風にネジが飛んでるやつなんだよ」

 陽毬は笑った。どこか諦めたように。

「な.....。ど、どういうことなんですか。なにがあなたをそこまで.....」

 紅葉は動揺する。陽毬が見せる複雑な表情。そこに何が隠されているのか紅葉にはさっぱり分からない。

 なにが陽毬にこんなことを言わせているのかさっぱり分からない。

 今まで陽毬が見せていた快活な表情の下に隠されていたものがなんなのか分からない。

 陽毬は明らかに紅葉に話せない何かを胸に秘めていた。

「あんたには多分分からない。こんなことになるやつはあんまり居ないだろうから」

「どういうことなんですか。あなたは何を隠してるんです。あなたが『白峰の霊鏡』であること意外にまだなにかあるんですか?」

「それは......」

 と、ここで紅葉は気付いた。陽毬の顔色が真っ青だ。そして、体にも力が入っておらずどこかフラついている。明らかに尋常の状態では無くなっている。昨日の惨劇の最中に居たとき以上に緊張しているように見える。ストレスを感じているように見える。

「どうしたんですか。顔が真っ青ですよ。大丈夫ですか?」

「大丈夫、大丈夫だよ俺は。もう、大丈夫なんだ俺は....」

 そう言いながらも今にも倒れそうな陽毬。紅葉はたまらずに手を差し伸べる。

 それを、陽毬は座った目で見る。そして、にやりと笑った。

「なんだ、あんたも傷ついたやつを放っておけないんじゃないか。そうだよ、良く考えたら最初の夜だって、あんたは武器も無いのに俺をかばってくれてたじゃないか」

 そう言って陽毬はよろけながら立ち上がる。今にも折れそうな枯れ木のように生命力が無い。そして、そのままふらふらと歩きだす。

「どうしたんですか、どこに行こうというんですか」

 陽毬は立ち止まり言う。

「悪い。少しだけ一人にしてくれ」

 そして、陽毬は力ない足取りでしかし脇目も振らずに駆けだした。よろけて倒れそうになりながら、それでも何かから逃げるように必死に走って行く。

「待ちなさい!」

 言うが、紅葉はその後ろ姿を見送ることしか出来なかった。なにか、簡単に触れてはならないような何かを陽毬から感じてしまったのだ。他人が踏み込んではならない何かを。

 陽毬の背中はどんどん小さくなり、角を曲がって見えなくなってしまった。

 陽毬の状態は普通では無かった。明らかになにかとてつもなく大きな苦痛を感じていた。

 紅葉は突然のことで、状況をうまく飲み込めない。ついさっきまで今までと同じような砕けた調子でバカなことを言っていたのに。

 しかし、紅葉の頭の中には最後に陽毬が残した言葉が反響する。



『あんたも同じじゃ無いか』



 紅葉も傷ついた誰かが居たら手を差し伸べるじゃないか、と陽毬は言った。そんなに深い意味のある言葉では無かった。紅葉とて手を差し伸べることに特別な感覚は無かった。ただ、苦しそうだったから少し助けたかっただけ。

「あなたは私と同じではないですよ。あなたの方が正義の味方です」

 紅葉は知らず漏らしていた。

 そして、はっとする。急激に意識が現実に戻ってくる。

「なにをやってるんですか私は! どうしたていうんですかあの子は!」

 護衛対象である陽毬が一人で行ってしまった。蕨平の出現は夜である以上、襲われる危険はほぼ無い。だが、ほぼだ。万が一ということもある。おおむね安全とはいえ、日中でも油断をするべきではないだろう。側に居るべきだ。

 紅葉は急いで走り出す。陽毬の走って行った方向へ紅葉も走る。

 一体全体陽毱がどうしたのかはさっぱりだったが追わないわけにはいかない。

 頭の中には倒れそうなほど青い顔の陽毬が焼き付いていた。それこそ、放ってはおけなかった。

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