第5話

 夕日が差しこむ執務室だった。シンプルながら質の良い壁紙、白塗りの天上、綺麗に掃除の行き届いたカーペットの床。嫌味な装飾は無い、清潔感のある部屋だった。しかし、ここが組織の上層部を担う人間の部屋だと言うことが入った瞬間に分かるような、目に見えない威圧感のようなものは漂っていた。

 その部屋の中央に位置する机の前に腰掛けている男が一人。明らかにこの部屋の主だ。ビジネススーツを着込み、質の良い黒い眼鏡をかけていた。

 机の上には資料や、ビジネス関連の書籍、そしてパソコンが一台。ここも、気取ったモノも、個性を主張するものも置いておらず至ってシンプルだった。

 男はパソコンを眺めていた。マウスで画面をスクロールしている。そして、たまにカタカタと文字を打ち込んでいた。なにかの資料を作っている最中のようだった。

 男は陰気な表情だった。明らかにパソコンで作業をする人間の顔ではない。まるで、葬式で故人の遺影を眺めているかのような、およそ平時とは思えないほど暗い顔だった。その表情はその陰気さのまままるで変化することは無く、ただそれこそがこの男の本来の姿であるかのようでさえあった。

 男はそんな見るだけで憂鬱になるような姿でひたすらに画面を睨んでいた。

 赤い光が室内を満たし、どこか異界めいた雰囲気を演出していた。

 その部屋の主の男がまるで人間で無いかのような気さえした。

「『白峰の霊鏡』、『蕨平諏訪守綱善』、『敷島一族』か」

 彫像のような男はぽつりと独り言を漏らした。

 動くはずの無いものが動いたかのようだった。言葉を漏らすが、男の表情はなにひとつ変化は無かった。ただ、音が出ただけという風だった。

「霊鏡を手に入れるには蕨平と接触する必要があるか」

 男はそして、後ろに顔を向け外の景色を眺めた。夕暮れの渚市。街はこれから夜に向かっていく。人の時間から、それ以外のモノの時間に変わっていくのだ。

 男は眼下に広がるそんな景色を、やはり何一つ感情の浮かんでいない眼で見つめていた。

 と、その時、

「失礼します。天淵さん」

 部屋のドアをノックするものがあった。そして、そのままそのドアが開く。現れたのはスーツを着た女性だった。手には何らかの資料のファイルを携えていた。

「ああ、言っていたファイルですか。ありがとうございます」

 男は女性を見るなり言った。その表情は、先ほどまでと同一人物のものとは思えないほど砕けて、明るいものだった。柔らかい笑顔、軽い口ぶり。

「資料室の奥の奥にありましたよ。探すのに苦労しました」

「いや、悪かったですね。次の会議でどうしても必要になるものですから」

「いえいえ、天淵さんの頼みなら。どれだけお世話になってきたか分かりませんから」

「いつもありがとうございます」

 男は女性からファイルを受け取る。開いてペラペラとめくり中身を確かめた。データ全盛の時代に紙の資料。昔の会議の議事録だった。なんの変哲も無い、普通の資料だ。

 そんな男を余所に女性は室内を見て言う。

「電気つけないんですか? 眼に悪いですよ」

「いやぁ、たまにはぼーっと夕日を浴びながら街でも眺めたい時もあるんですよ。ちょっとロマンチックじゃないですか? そういうの」

「いやいや、すいません天淵さん。なんか気持ち悪いですよ。そんなキャラじゃないでしょう」

「えぇえ? ひどいな」

 二人は明るく笑い合う。どこにでもある、少しおちゃらけた上司と部下の会話だった。そうとしか見えなかった。少なくともこの場面だけを見れば。さっきまでの男の様子さえ見ていなければ。

「じゃあ、まだ仕事あるんで。失礼します」

「どうもありがとうございました。休日残業はほどほどに」

「そうできれば苦労しませんよ」

 二人はまた笑い合った。そして、女性はそのまま部屋を出て行った。男はヒラヒラと手を振りそれを見送った。

 そして、ドアが締められると同時にその笑顔は消滅した。また元の、人間離れした無機質な顔へと戻っていた。やはり、先ほどまでと同一人物とは思えなかった。

 男は再び、自分の机へと戻り、パソコンの画面を眺める。そこに表示された資料をしばらく眺め、そしてまた窓の外を眺めた。

「『敷島』が鍵を握っているのは間違いないな。探し出さなければ」

 街の中、そこを行く人々や車を男は見つめる。見つかるはずもないのに、探し物を探している。

「全ては我が社の発展のために」

 そして、男は確かな意思を込めて言った。

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