第6話
「怪異とは?」
「世の中のルール? から外れた現象とか存在のこと。いくつかの条件が揃うと発生する。いわばゲームのバグのこの世版みたいなもの。怪物はバグキャラみたいなもの」
「符術とは?」
「紙に書いてある言葉と行動で無理矢理起こす怪異。人間が長い歴史の中で簡単に発生させられて、なおかつ戦い向きの怪異を引き起こす方法を編み出した。いくつか流派がある」
「まぁ、良いでしょう」
うんうん唸りながら答える陽毬に紅葉は言った。
二人は渚市内の通りを歩いていた。時刻は7時前。夏の日は長く、あたりは暗いものの空にはまだ明るさが残っている。まだ夜と言うには早く、通りを車が行き交い、人の流れもまだあった。日曜のこの時刻はまだ家に帰る人々の流れが残っているのだ。渚市のある県は縦に長い上に遊べる土地が少なく、かなり遠くから高速でここまで来ている人間も居る。そういった人々が一斉に国道だの高速の乗り場だのに向かうのでそこら中で渋滞が発生するのであった。
二人がなぜ街中の大通りを歩いているかといえば目的地があるからである。
別に散歩しているわけではない。今晩出現する蕨平を迎え撃つために、四島が準備を進めている場所に集合しているのだ。
場所は渚市のど真ん中を真っ二つに割るように流れる
組合権限で今晩は通行止めにして、この上で蕨平を迎え撃つ作戦だと、数時間前に通達があった。
「怪異狩組合は?」
「怪異狩に仕事を斡旋する団体。報酬の2割を取ってく代わりに各種保険や交通整理なんかの仕事のサポートをしてくれる」
「そもそも怪異狩とは?」
「怪異を狩ることを仕事にしている人間。基本フリーランスだけどたまに団体を作っている連中もいる」
「はい、結構です。大体押さえることが出来ましたね。半日にしては良く出来たと思います」
「地獄だったぜ....」
陽毬はげっそりしていた。つい十数分前まで何度も何度も教え込まれた情報を今こうして再確認していたわけである。今の今まで二人は紅葉のマンション自室で徹底的に怪異狩が押さえるべき基礎知識を確認していたのである。
陽毬は「そもそも物覚えが悪いのだ」と主張したが紅葉はまったく取り合わなかった。図を使い文字を使い、飴と鞭を交互に使いまくり紅葉は陽毬に知識をたたき込んだのである。そして、さいぜり屋でナポリ風ドリアを食べながらもなお知識を確認し続け、ようやく陽毬はなんとかかんとか自分なりに教えられたことを理解したのだった。
紅葉は陽毬に怪異の恐ろしさをあの手この手で説いた。過去の事例や自分が出くわした状況などを。ちょっとした怪異でもあなどれないことや、見た目で判断したためにそれ以上の実力だった怪異に殺された怪異狩の話。そして、紅葉が今まであった中で一番恐ろしかった怪異の話。
「これで、ようやく一緒に行動するのに心配がなくなったというものです。怪異の恐ろしさをろくに知らないようでは怪異の前に立つことなど言語道断ですからね」
「ああ、蕨平はあんたが今まで会ったどの怪異よりも危険だってことも肝に銘じとくよ」
「そういうことです。あなたに話したどの怪異も蕨平の危険性に比べればかわいいものなんですよ」
レートSS。それが意味するところがどれほどのものなのか、陽毬はなんとなくだが理解することが出来るようになった。
とりあえず、蕨平に会ったなら戦うことは考えない。戦闘は紅葉に任せ、陽毬は見つからないように人混みに紛れる。そういった作戦で行くこととなった。
初め、守られることに抵抗のあった陽毬は「オレは強いぞ!」と豪語し腕試しを紅葉に要求した。そして、結果2秒と経たずに負けたのであった。しかも紅葉は木刀さえ握らない徒手空拳だったのだ。紅葉の本来の武装である刀を握らない状態でも陽毬は手も足も出なかったのである。
その紅葉が勝てないと断言する蕨平がどれほどのものかなど、陽毬には想像さえ出来なかった。
とにかく、陽毬は絶対に蕨平に見つかってはならないのだ。後衛に徹するのである。
陽毬が『白峰の霊鏡』だと蕨平が理解したなら、やつがどれほどの行動に出るのか。紅葉にはまったく見当がつかなかった。
「知識にしろ、武術にしろ鍛錬です。良ければさらに指導しますよ」
「あー.....考えとくよ.....」
陽毬は力なく言った。とりあえず、しばらくは紅葉の指導は受けたくない陽毬なのだった。
二人が中央通りの角を曲がると目的地の千石橋が現れた。明治時代に造られた石造りの橋だ。幅の広い二車線に歩道が付随する、駅からの中央通りが通る大きな橋である。行政が観光に推したり、市民をそれが白い目で見たりを繰り返され、なんだかんだと誰もが存在を知っている有名スポットである。
「もう、準備は出来ているみたいですね」
その千石橋がものものしい雰囲気に包まれていた。何台ものパトカーや警官が交通を封鎖している。野次馬も山のように群がっていた。
その向こう、封鎖されたバリケードの向こう側で、怪異狩組合の面々が準備を進めているのだった。まさしく、蕨平を迎え撃つための準備を。
各種符術、結界の配置、迎撃部隊の動員。そういった蕨平を迎撃するためのあらゆる手段を講じているのである。
千石橋の上は今、怪異を迎え撃つ要塞になりつつあるのだった。
そのはずだった。しかし、
「なんか、少ないですね」
露骨に不満そうに紅葉は言った。
千石橋の上に集まっている人間の数。それが、紅葉の予想より少ないらしかった。
確かに、人影はまばらと言ってしまえる程度しか居ない。手前で交通誘導をしている警官だのの方がよほど数が居る。
SSレート怪異を迎え撃つにしてはいささか心許ないと言わざるを得なかった。
「もっと集まってるのかと思ったぜ」
「大方、呼び出しに応じた怪異狩があれだけだったというところでしょう。この街の怪異狩はビジネスライクな人ばっかりですから。急ごしらえで出した依頼じゃ納得できなくて出てこなかったんでしょうね」
「そ、そんな感じなのか怪異狩って」
「結局仕事ですからね。考え方は人それぞれです」
この街の怪異狩にとって自分の求める条件と今回の仕事の依頼内容が合致していなかった。なので、依頼には応じず橋にも来なかった。そういう話らしかった。
ドライ極まりなかった。
「ていうか、良く考えたらさ。俺がこうやって自由に動き回るのも大丈夫なのか? なんか、どこかで保護とかさ」
「夜になるまでは大丈夫という楽観的な認識なんでしょう。それにそもそも怪異狩組合は常に人手不足ですし、あなたを安全に保護する施設を持っていません。なんなら、私の側に四六時中居るのが一番安全という判断なのかもしれないですね」
「なんか色々すげぇな......」
怪異狩という仕事の暗黒面を垣間見た陽毬だった。この時代の人手不足による業務状態の悪化は怪異狩にまで及んでいるらしい。
と、橋から下の方に眼を移した陽葵は異変に気付いた。
「なんかゴタゴタしてるな」
二人が向かう橋のたもと、そこのバリケードの前でなにやら人だかりが出来ていたのである。野次馬ではない。彼らは重装備でアサルトライフルを担いでいた。昨日見た彼ら彼女らと同じ。
「金甲警備? こんなところでなにをやってるんでしょうか」
金甲警備保障。警備のみならず、不動産の運用や保険の運営など多角経営を行う日本最大の警備会社だ。この現代、警備会社が警備するとなると人間相手だけでなく怪異相手もすることになる。故に彼らはあらゆる装備を充実させており、そして並の怪異狩と同程度には怪異の相手に慣れているのだった。
そして、怪異の相手をする警備業務を行うということは必然として怪異狩とバッティングすることも発生する。
要するに怪異狩の最大の商売敵とも言えるのが金甲警備保障だった。
なので、人によってはかなり毛嫌いする相手なのだ。
紅葉は別にそんなことは無かったが。
「とにかく行ってみましょう」
紅葉と陽毬は何事かと思いながら通りを進み橋のたもとまで行った。
たくさんの警備隊員がバリケードの前に押し寄せ、警官が何事かと眺めている。よく見ればその内のリーダーらしきスーツの人物が四島相手に何か話しているようだった。
「ですから。細かい手続きや責任関係は全部我々に丸投げして頂いて結構です」
「そうは言いましてもね。正直言えば手を貸していただきたいのは山々なんですよ。こっちも見ての通りの人手不足ですから。ですが、あんまりいきなりすぎますよ」
「それは仕方有りませんよ。あなたがたがここに陣を敷き始めたのもいきなりだったんですから」
四島とスーツの男は何かもめているようだった。四島は難しい顔でこめかみを押さえている。
対するスーツ姿の男はハツラツとして、いかにもやり手のビジネスマンといった感じだった。一目で仕事が出来そうという印象を持ち、会社でなんらかの役職についているであろうことがうかがい知れた。
「金甲警備の部長さんがわざわざ出てこられるのもあまりに大事過ぎて、わたしの理解も追いついてませんよ」
「この事件をそれだけのヤマだと認識しているということです。どうですか。私たちをこの中に入れて貰えませんか。仕事はみなさんの想像以上にこなしてみせますよ」
どうやら、話の流れから察するに、金甲警備がこの蕨平迎撃戦に協力を申し出ているらしかった。
そして、突然隊員を連れて押しかけてきたこの重役に四島が恐れおののいているという状況らしい。
一組合員でしかない四島が日本有数の大企業の重役の相手をするわけなので、腰が引けるのも無理は無いといったところだった。
まぁ、表情はまったくの無なのだが。実際どれほどおののいているのか良く分からなかったが。
紅葉と陽毬は遠巻きにそれを眺めていた。
「どうやら、金甲警備は協力を申し出ているみたいですね」
「え、なんだよ。願ったり叶ったりじゃんか。戦力は多い方が良いだろあんな化け物。協力してもらえば良いじゃねぇか」
「まぁ、金甲警備を良く思わない怪異狩もいますからねぇ」
「そ、それだけの理由で渋ってんのか?」
「まさか、四島さんはそんなことだけであそこまで渋りませんよ。なにか理由があるんでしょう」
と、話し合いが終わったようだった。
そして、バリケードの門が空き、ぞろぞろと金甲警備の隊員たちが中へと入っていく。交渉は成立したようだ。
四島は金甲警備の協力を呑んだらしい。
しかし、なんとなく不服そうに頭を掻いていた。なにか思うところがあるらしかった。
紅葉と陽毬は人混みが晴れたところで四島の元まで行く。
「四島さん。お疲れですね」
「紅葉さん。見てたんですか」
四島は仕事仲間を見るときの顔とさっき金甲警備の重役と話すときとで表情に変化は無かった。なにを考えているのか良く分からない人間である。
紅葉は疲れ切った四島を密かに期待していたが全然そんな感じでは無かった。
「金甲警備も協力してくれるんですか?」
「ええ、まぁ。そういう話になりましたよ。急に来て急に言い出すもんですからね。戸惑いました」
「まぁ、普段金甲警備が協力なんて言うことありませんしねぇ。どちらかといえば敵対してるのが基本ですし」
「まぁ、今回はそんなことでしのごの言ってる場合じゃないですからね。人手は多ければ多いほど言い。ちゃんと契約書まで用意されてましたから。お金の要求も無理なものじゃなかったですし。その辺は問題無いとは思うんですけどね」
しかし、そう言う四島はどうも自分の言葉をいまいち信用していないような感じだった。どうも、自信が無さそうな口ぶり。
「四島さん、なんか引っかかるんですか?」
そう紅葉が聞いた時だった。
「おや? あなたは『朱の紅葉』の戸木紅葉さんじゃないですか?」
横合いから声が割って入ったのだった。
見ればそれは、さきほどの金甲警備の重役だった。ニコニコでもニヤニヤでもない、はっきりとした快活な笑みを浮かべている。実に爽やかだった。
「はぁ、そうですが」
「いやぁ、この地方でも指折りの怪異狩に実際に会えるなんて。光栄です。去年の煤原でのオオムカデ退治の特集、見させてもらいましたよ。握手してもらえないでしょうか」
「はぁ、まぁ良いですが」
紅葉は差し出された手を握る。実に力強く、気分の良い握手を相手はかましてきた。
紅葉は笑顔を浮かべるが明らかに本意では無かった。正直なところ、紅葉はこういった明らかに『デキるヒト』みたいな人物が苦手で苦手で仕方が無いだった。
「紅葉さんもこの事件に関わるんですか?」
「ええ、まぁ」
紅葉はちらりと四島を見る。どこまで言ったものか判断しかねたのだ。
「紅葉さんには今回、最前線で蕨平諏訪守綱善と戦って貰うんです」
「本当ですか! さすがに『朱の紅葉』ともなると違いますね。昨日の襲撃でも無傷で生き残ったのは戸木さんだけだと聞いてます。ウチの隊員は全員やられて、今も病院だというのに」
金甲警備重役は隊員たちの話ではやるせなさそうに声を落とした。彼なりに社員を気にかけているようだ。良い上司感が全面に出ていた。
「まぁ、彼女が助けてくれたおかげです。私一人ではとっくに死んでましたよ」
そう言って紅葉は陽毬を手で指す。金甲警備重役は快活に笑う。
「ははぁ、同僚さんの助けのおかげですか。あなたも相当お強いということですか。すごいですね」
「いやいや、強くは無いぜ。単に体を張って.....えーと」
「ええ、体を張って蕨平の攻撃から守ってくれて。治癒術式がうまく利いて今はピンピンしてますが。まだ本調子ではないながら、後方支援くらいさせてくれと聞かなくて。本当に頑丈な子です」
どう話したか考え混む陽毬の言葉を紅葉が引き継ぐ。一応、陽毬が『白峰の霊鏡』だということは組合と三人だけの秘密だということになっているのだ。そうしておいた方が確実に、蕨平から霊鏡の正体を隠せるという判断である
「そうですか。大層勇敢なお嬢さんですね。戸木さんの相方にぴったりだ」
「そ、そいつはどうも」
「今回の作戦。我々も全力で協力させてもらいますからね。思う存分『朱の紅葉』の強さをあの怪異に見せつけやってください。では、これで。おっと、そうだ」
金甲警備重役は懐から名刺ケースを取り出す。そこから名刺を一枚取り出すと紅葉に手渡した。
『金甲警備保障渚支社警備部部長 天淵桐也』
名刺にはそう書かれていた。
「こういうものです。以後よろしくお願いします。いやぁ、有名な怪異狩と直に話したなんて、社の連中に自慢しなくては。では」
はははは、などと気分良く笑いながら金甲警備重役改め天淵桐也は警備隊員たちの元へと戻っていった。どうやら、本当に紅葉に挨拶したかっただけらしい。他の目的はなにひとつなく、ただ単にミーハーだったという話なのだろう。
気分の良いデキるビジネスマン。しかし、どこか隙があり憎めないキャラ。
それが紅葉の抱いた天淵の印象だった。
まあ、紅葉本人は憎めないキャラと認識しつつ、もうなるべく関わりたくないと思うほど苦手意識を抱いていたが。
「すげぇなあんた。やっぱり有名人だな」
「なりたくてなったわけじゃないんですけど。こういうの正直面倒なんですよねぇ」
紅葉は嘆息する。しかし、陽毬は眼を輝かせていた。まさしく、目標の光景を目撃したと言わんばかりである。紅葉は再び嘆息した。
と、紅葉は四島に眼を向ける。四島は相変わらず何を考えているのか分からない無表情だったが。しかし、なにかを考えているのは間違い無かった。なにも言わずに虚空を見つめている。
「さっきの話に戻しますけど。なにか引っかかるんですか? 四島さん」
「うーん.....」
紅葉の問いかけに四島は短く唸るだけだった。そして、ぽりぽりと頬を掻く。まだ、何かを考えている。
「単に大きな事件で、かつ名前を売れてお金になりそうだったから協力しに来た。それだけじゃないんですか? こっちは戦力も補充できるわけですし、WINWINな気はしますが」
「うーん......」
四島はまた短く唸る。
確かに、四島が自分で言ったのだ。金甲警備は、来たのは突然なもののちゃんとした契約書も用意して正規の手順で協力しようとしている。細かい手続きは後からになるが、現場は足りない人員が一気に補充されて大助かりだ。金甲警備とて、ビジネスなのだから多少の商売っ気は出しているだろうがそんなものはいつものことだ。取り立てて問題になるほどではないはずだ。
少なくともこの流れに、ここまで四島が考え込むほどの問題点があるとは思えなかった。
しかし、やがて四島は口を開いた。
「なにが、とか具体的に言葉に出来るわけではないんですが」
「はぁ」
四島は一旦言葉を切ってから、少し小首をかしげた。無表情のままなのでどうも気味が悪いが、本人はそんなこと気にしていないだろう。
そして言う。
「なにか、違和感があるんですよねぇ」
四島の言葉は夕日を映す上隠川、その周りの空気にじんわりと響いていった。
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