第4話

 時刻は昼を回った。

 事務所での聴取が終わってしばし時は進み。紅葉と陽毬はハンバーガーの大手チェーン、『わくどぅなるど』に移動していた。怪異狩組合事務所で四島と話し込んで、終わった頃には昼を回っていたのだ。なので、昼食ということになり、陽毬がここを希望したので来た次第だった。陽毬は基本的に外食はわっくらしかった。若者らしいといえば若者らしい。

「やっぱわっくはびっくわっくだよな。コスパが良いぜ。いや、期間限定も捨てがたいし、他のもおいしいのには間違いないけど。とりあえずはやっぱりびっくわっく」

「はぁ。わたしはいつもえびふぃれおですけど」

「ええ...。もうちょっと楽しんだほうが良いと思うぜ」

「わたしの勝手でしょう」

 そう言いながら紅葉はえびふぃれおをまた一口食べた。えびの食感とソースの酸味が口に広がった。対面にいる陽毬はむしゃむしゃとびっくわっくとなげっととポテトを次々食べていた。大層な食いっぷりだった。昨晩死にかけていたとは到底思えない。人間とは思えない。普通ではない。そして、陽毬は実際のところ普通ではなかったのだ。

 日曜の昼間の店内は賑わっている。この店があるのは街の中心部、デパートだの映画館だのがひしめきあうエリアの中なのでそういったところから人が流れ込んでいるのだろう。

 紅葉は若い割りに趣味が枯れているのであまりわっくに来ることは無かったが、いつ来てもこの人混みには慣れなかった。

 居づらいと言えば居づらいが、陽毬たっての希望なのだから仕方が無い。

「いやぁ、混んでたな。他の店にした方が良かったかな」

 しかし、そう言う陽毬であり、紅葉は感情がざらつくのを感じた。休日の日曜なのだから混んでいるのは来る前から灯を見るより明らかだったのだが。

 なにはともあれ、

「それで、本当にあなたが『白峰の霊鏡』なんですね」

 本題に入る紅葉だ。

「ああ、そうだぜ」

 陽毬はけろりとして答えた。もしゃもしゃとポテトの束を口に入れる。なんと緊張感の無いことだろうか。

 『白峰の霊鏡』、魔払いの呪具。蕨平が出現した全ての元凶。それが、この敷島陽毬という人間のことだと四島は言った。

 はっきり言って紅葉は四島が何を言っているのか、全然さっぱり意味が分からなかった。なにかの暗号なのかとも思った。

 しかし、四島ははっきりと陽毬本人こそが『白峰の霊鏡』なのだと言った。




「『白峰の霊鏡』、関東にある白峰神社に代々伝わるという呪具です。詳しい仕組みについては分かっていないことがほとんどですが、言い伝えによればあらゆる『魔』を払う、ということらしいですね。まぁ、実にざっくりした説明ですが」

「なんで、鏡なのに人なんですか? え? ほんとうの本当にこの子がその呪具なんですか?」

「間違いありません。陽毬さん本人の口から聞いた情報、そしてその情報を精査して確認済みです。人間を『鏡』と呼ぶ理由についてははっきりしていません。しかし、とにかく陽毬さんの敷島一族に受け継がれる『魔払いの異能』、それを『白峰の霊鏡』と呼んでいるんです」

「えぇ.....」

 紅葉は状況が飲み込めず唖然とする。怪異狩をしていれば、異能を持った者に遭遇する事も珍しくはない。念動力のようなものを使う者や、魔性の眼を持つ者、体の構造を変えるものまで様々だ。

 しかし、呪具と呼ばれるものを人そのものが宿しているというパターンは多くは無い。少なくとも紅葉は初めてだった。聞いたこともあまり無かったのである。

「まぁ、珍しいケースなので紅葉さんでもすぐには理解出来ないかもしれませんがね。とにかく、その陽毬さんが宿す『白峰の霊鏡』に応じて蕨平が出現したと、そういった事情なわけです」

「で、でも。強力な呪具は全て封印して保管されているとさっき言ってたじゃないですか」

 四島本人が言っていたことだ。蕨平の出現を防ぐために強力な呪具には封印の術が施されるのだと。

「その通りです。そして、この『白峰の霊鏡』も例外ではありません。霊鏡を宿した敷島一族のものは生まれた直後にそれを封印する術がかけられます。しかし、手違いが発生し陽毬さんにはそれが施されなかったようです。なので、状況が整うまで陽毬さんは霊鏡を宿したまま生きてきた。そして、これからその術を改めてかける予定だったんですか、そこでもまた手違いが発生しこうして霊鏡は発現間近となっているわけです」

「いやいや、手違い手違いって連呼しすぎですよ。なんの手違いなんですかそれは」

「それは、陽毬さんの一族の事情に関わる話になるのでお話するわけにはいきませんね」

「な、なんですって」

 四島は陽毬の事情についてはまったく話つもりはないらしかった。プライバシーというやつだ。個人情報である。

 紅葉もなにか、個人の尊厳に関わる重大ななにかがそこにはあるように思えてそれ以上聞くことは出来なかった。

 陽毬が霊鏡を発現したいきさつ。この状況が発生した原因も原因なわけだが知ることはできないらしい。

「まぁ、とにかく。そういうわけで霊鏡は明日の夜に発現します。それまで陽毬さんを蕨平から守り抜いて貰えれば良いんですね」

「守り抜くって言ってもそんな簡単な話じゃないですよ。あんな怪物、次は生きていられるか。そもそも、陽毬さんが霊鏡ってことは、あいつは一目散に陽毬さんを襲うんでしょう」

「いいえ、これまでの出現で蕨平は自分が出現した原因になった呪具について名前しか情報を得られていなかったらしいです。そういう性質らしいんです。だから、やつは陽毬さんが『白峰の霊鏡』そのものだということは分かっていません」

「じゃあ、陽毬さんをどこかに隔離して隠せば、この事務所に結界を張るとか」

「いえ、蕨平は出現するとき必ずその出現理由となった呪具の20間以内、大体36m以内に出現するそうです。だから、わざわざ隔離なんてしたら一瞬でバレます」

「なんでそんなピンポイントで出現するんですか、腹立たしいですね。じゃあ」

「ある程度人がいる状況下で、なおかつ蕨平を迎え撃てる状況で夜を迎えなくてはならない、ということですね。大丈夫です。それに関しては人員を裂いています。今までの出現でもそうやって蕨平に対処してきたそうです。つまり、出現場所だけはこちらで操作できるわけですからね。状況はこちらが有利でことを始められるんです」

 蕨平が陽毬の半径36m以内に出現するということはそれに合わせて蕨平と戦いやすい状況を作り出せば良いだけの話ということだった。

 要するに蕨平諏訪守綱善という怪異は性質さえ分かれば準備万端で立ち向かえる怪異だということだ。

「な、なるほど。そう考えると絶対に対処出来ない相手ではないということですか」

「そういうことです。絶望する状況ではないということですね」

 四島はずい、と身を乗り出して紅葉を見る。紅葉は若干たじろいで後ろに仰け反った。

「改めて、この仕事受けてもらえますかね。紅葉さん」

 有無を言わさぬとはこのことだった。

「わ、分かりましたよ.....」

 紅葉は渋々と返事を返したのだった。



 というわけで現在に至る。

 陽毬はびっくわっくを食べ終え、シェイクをズゴゴと音を立てながら飲んでいた。紅葉はまだえびふぃれおが半分になったところだというのに。食べるのが早い。

「その、異常に傷の回復が早いのも『白峰の霊鏡』の力だったということですか」

「ああ。なんか、宿主に危機が及んだら守ろうとする能力があるらしいぜ。オレも良く分からないんだけど、あの兄ちゃんが言ってた」

「な、なるほど」

 兄ちゃん、と言われたことを四島が知ったら喜ぶだろうと紅葉は思った。ああ見えて30を越えた自分の年齢を気にしている節があるのだった。いや、喜ぶという感情があるのか紅葉には疑問だったが。

 ともかく、陽毬の瀕死の傷が一晩で完治したのはそういうからくりだったらしい。

 四島の話では、昨日の警備隊員たちは空間固定の術者のおかげで全員が一命を取り留めたらしいが未だに予断を許さない状況であるというし、ピンピンしているのは陽毬だけなのだ。どう考えても普通では無く、普通で無いからくりがやはり存在していたというわけだ。

 陽毬に宿った『白峰の霊鏡』はその発動のために陽毬に死なれるわけにはいかないということなのだろう。なので、その能力を使って陽毬を守ろうとするということだ。

 そういう話であるなら、即死の傷以外ならある程度は死にはしないということなのだろう。それを念頭に入れるのは薄情な話だが、護衛という任務の性質上情報として理解しておかなくてはならない。もちろん、紅葉は陽毬を危険にさらすつもりなど毛頭無いのだが。 

「他になにか、霊鏡について知っていることは無いのですか?」 

「うーん。平安時代から代々うちに受け継がれてきたってこととかかな」

「ははぁ、結構由緒正しい呪具なんですね」

「いや、室町時代だったかな。歴史は良く分からないな」

「.......。ええと、他には?」

「あとは出現条件だな」

 陽毬はこれぞ、といった様子で得意げに言った。

 呪具の発現条件。それはまさしくこの依頼をこなす上で必要な情報だった。

 最悪蕨平を止められなかったとしても、呪具の発動を阻止することで蕨平の行動は制限出来るかもしれない。そのまま期日を過ぎれば儲けものだ。

「期日は明日、夏至の夜だ。そんで場所が限定されてるんだな。狭い通路の先にある広い空間。その中心にオレが居る必要がある。まぁ、元々神社の呪具だから、まんま神社みたいな場所で発現するようになってるらしいんだよ」

「やけに流暢ですね。それも四島さんに聞いた情報では」

「い、いや。これは確かなんだ。俺が覚えてる」

「そうですか。でもじゃあ、その他は全部」

「兄ちゃんの受け売りだ...」

 陽鞠は残念そうに表情を曇らせていた。

 恐らく、今までの情報は組合権限で呪具のデータベースを閲覧した四島が陽毬に説明したのだろう。要するに他人の受け売りだった。

 なぜ、そんな無意味な強がりをしてみせるのか謎だったが、あまり深い意味はないのかもしれなかった。

「それ以外にはなにかないのですか? というか、あなたの親御さんに聞いた方が早いです。連絡は取れないのですか?」

「あー....いや、それが音信不通なんだ。オレ、家出したからさ.....」

「な、なんですかその事情は」

 紅葉は表情を歪める。

 家出したので決まりが悪く、連絡したくないということらしかった。この状況下で呆れた言い分である。

 四島が言っていた『事情』というのはこのことなのだろう。

「そ、それに。あの兄ちゃんが今頃国のデータ見て色々調べてるはずだぜ。ウチに連絡するより詳しいと思う。ウチ、オレ見たら分かるようにいい加減な神社だったからさ」

「ははぁ、良く分かりませんけど....」

 あまりにも釈然としなかったが、ここはこれ以上突っ込まないことにする紅葉だった。微妙にデリケートな話題であるように思われたのだ。実際、四島の事務処理能力なら明日には『白峰の霊鏡』について詳細なレポートが上がってくることだろう。確かにそっちを見た方が早いかも知れない。

 それに結局、紅葉の仕事は蕨平を陽毬に近づけないように必死こいて戦うことなのだ。

 配置などは四島が主となるのでそっちはそっちに任せても良いというのも事実だった。

 まあ、とにかく。

「蕨平からあなたを守る上での情報は四島さんにしろあなたにしろ、今はこれが限界ですか」

 欲を言えば、蕨平の能力に、『白峰の霊鏡』が陽毬に及ぼす影響なんかも詳しく聞きたかったがそれは追って待つしかないということだろう。

 『白峰の霊鏡』は陽毬の情報がここまでであるし、蕨平に関しては前回の出現が昭和初期なので詳しい解析が出来ていないのだ。現代の怪異解析技術を使えばかなり詳しい性質まで判別できるはずだが、それは次の出現あってのことだ。

 なので、最低でも次の戦いに関しては紅葉は今の状況で戦うしか無いということだった。

「今まで通りならば、蕨平は呪具の発現まで毎晩現れるということですから、今晩も現れると見て間違いないでしょうね」

 四島の話によれば、蕨平は呪具を求めて発動期限の日にちまで毎晩毎晩出現するのだそうだ。常時発動する呪具に関しては発現する日にちに法則性は無いが、期限付きのものに関してはその期日より2日から5日前から出現するらしい。そして、抵抗する人々を悉く斬り殺しながら呪具の情報を集めるのだという。

 まさしく、怨念の塊。悪鬼と言って差し支えない性質だ。

 そして、その法則通りならば今晩も再び、陽毬のすぐそばに蕨平は現れることになる。

 つまり、今日また、昨晩と同じような生死の際ギリギリの戦いをすることになるということだ。

 紅葉は考えただけ憂鬱だった。大きな溜息が口から吐き出された。

「溜息ばっかりついてるとどんどん気が滅入るだけだぜ? ほら、ナゲット二個やるよ」

「ありがとうございます、でももうお腹いっぱいになってきてるんです」

 どこまでも楽天的な陽毬。それを呆れとも羨むともとれない複雑な感情で紅葉は見た。

 陽毬はナゲットにマスタードを付けてもぐもぐと食べていた。

「それにしても、あの怪物じいさんもしつこいんだな。あの魔法みたいなやつでどうにかならないもんかな」

「魔法みたいなやつ?」

「ほら、たまに怪異狩のひとがさ、紙出して切ったりなんだりすると不思議なことが起きるやつ」

「.....もしかして、符術のことを言ってるんですか?」

「ああ、符術っていうのかあれ」

 へぇえ、などと関心したように陽毬は漏らす。それを見て紅葉は閃光のようにひとつの予感が頭を過った。そして、同時に戦慄した。

 まさか、そんなバカなと。

「もしかしてあなた、符術がなんなのか知らないんですか?」

「ん? ああ、まぁな」

 陽毬はシェイクの残りを吸い込みながら答えた。まったく、あっけらかんとしたものだ。

「......!?? 怪異は? 怪異はなんなのか分かってますか?」

「ああ、それくらい分かるぜ。人々の生活を脅かす化け物だ」

「なんてこと......。あなた、どうやって怪異狩をやってきたんですか」

「んん? いや、知り合いにもらった布手に巻いて、怪異ぶん殴って倒してきたぜ」

「よく、それでやってこられましたね.....」

 もはや、紅葉は呆れを通り越して感心している有様だった。怪異の知識も、怪異狩の主武装たる符術の知識もまったく無しで、陽毬は怪異たちと曲がりなりにも戦ってきたのだ。

 紅葉的には有り得ない話だ。というか、自殺行為だった。

 なんの知識も無く、手強い化け物程度の認識で怪異と相対するなど、正気の沙汰ではないのだ。

 今まではうまくやってこられたとしても、これがあと何年も続くとは思えない。必ずどこかで大怪我を負う。下手をすれば死ぬだろう。

 というか、共に蕨平の前に立つというのにこの体たらくでは紅葉の身さえ危ないと言える。

「あなた、師は?」

「居ない。オヤジにちょっと怪異のことは教わったけど、戦い方は我流だ」

「なかなかのぶっ飛びぶりです。私と一緒にあの蕨平と戦うわけですからそれでは困ります。私が基本情報だけでもご教授いたしましょう」

「ええ? いいよいいよ。勉強は苦手なんだ。今の知識でなんとかなるって」

 陽毬はなんの危機感も感じさせない口調で言った。表情は勉強をしろ、と言われて嫌がっている学生のそれだった。

 陽毬はメラメラと怒りの炎がチラつくの感じた。

 しかし、陽毬は命の恩人なのだ。声を荒げるのは大人げない。紅葉は怒りを抑えた。

「そんなことよりさ。今日一緒に行動するんだろ。晩飯はどうするんだ」

 しかし、その一言はあまりに紅葉の逆鱗に触れすぎたのだった。

「....そんなこと? 今日の晩飯....?」

 紅葉はガタン、と両手を机に突き、陽毬に前のめりに体を突き出した。怒りの形相であり、それを見た瞬間に陽毬は恐怖ですくむほどだった。

「あなたは状況を理解しているんですか! 今どれほどの非常事態に巻き込まれているか分かってるんですか! 一体どれだけの化け物に狙われてるか分かってるんですか! あなたがどれだけ嫌といってもダメです! 強制です! あなたには知識を身につけてもらいますからね!」

 もはや、命の恩人がどうとか言っている場合ではなかった。それはそれ、これはこれだった。

 というか、それを勘定に入れても紅葉の怒りメーターを振り切ってしまったのだ。

 陽毬の脳天気さ、それは紅葉の想像以上だったのである。

 紅葉の叫び声にわくどぅなるど渚中央店の内部は騒然となったが、もはや気にする紅葉ではない。

「わ、分かった。分かったよ。落ち着いてくれよ」

「落ち着きません。あなたは怪異について知らなさすぎます! 今晩までに怪異狩の基礎知識を必ず頭に入れて貰いますからね。今から私のマンションに来て貰って、みっちり勉強です!」

「う、嘘だろ。勘弁してくれよ」

「勘弁しません。泣いても来てもらいます。わたしとあなたの命に関わることですからね!」

 もはや、紅葉の怒りは止まるところを知らなかった。鬼の形相とはこのことである。陽毬の脳内に怪異の基礎知識がしっかりと収まるまでその怒りは収まることはないだろう。

 陽毬は恐怖で硬直しながら紅葉に応じ、そのままわくどぅなるどから連行されたのだった。 その後数時間、陽毬は紅葉のマンションで丁寧に図で説明されながら怪異狩の基礎知識をたたき込まれることとなったのだった。

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