第3話

「ああ、去年の棚に戻しといてもらえませんか。祭司町のトコです。はい、すいません、お願いします」

 四島は同僚に手元にあったファイルを渡した。彼が気を利かせて、自分が元の場所に戻す、と言ったからである。

 エリアごとに分かれた、怪異の出現事件に関する報告書をまとめたファイルだった。小さいものまで含めればひとつの町でも年間でフラットタイプのA4サイズのファイルが埋まるのである。それだけ、怪異は簡単に発生し、常に人々の生活の隣りに存在しているものだった。

 ここは、怪異狩組合渚支所の1階、相談窓口のあるメインフロアだった。

 待合室があり、窓口があり、その内側に職員が仕事をする事務所がある。四島は事務所に居た。

 待合室にはテレビ、その前に椅子が並び、壁には怪異被害の啓発ポスター、時計はもうすぐ午前11時を指そうとしていた。

 怪異狩組合は休日も通常通り営業する。

 窓口の向こうには、組合に相談に来る一般の客や、怪異狩が何人も椅子に座ってテレビ観ながら順番待ちをしていた。窓口では今、中年女性と、若い男性がそれぞれ相談をしているところだった。中年女性は毎年裏庭で発生する綿毛のような怪異をどうにかして欲しいなどと言っているし、若い男性は怪異狩なだろう。仕事の受注に関して文句混じりに交渉しているようだった。

 昭和37年の建設以降、地方都市の郵便局くらいの大きさのまま改築を繰り返してきた建屋だったが、この夏から空調が調子を崩し、中は暑かった。

 利用者の居るフロアだけはなんとか死守しようと、扇風機などで冷気を誘導したりはしているがやはり不平不満は噴出していた。

 しかし、資金繰りも大して良くないので、予算が付くまではごまかしごまかしこの夏を乗り切るしかないだろう。完全に壊れていればすぐにでも修理屋を呼べるのだろうが、中途半端に動くのが困りものだった。窓口には不必要に受ける小言が増えているのだった。

 四島はパタパタと手で顔を仰いだ。

 8人居る他の事務所スタッフも皆、小型扇風機だので暑さを凌いでいた。

 休日の組合内は平常運転だった。いつも通りの来客数、いつも通りのスタッフの配置、いつも通りに過ぎていく業務。

 地方都市の怪異狩組合支所のありふれた光景だった。どこも大体こんなものだ。

 ただ、今日はいつもと違う来客が四島のまさに真ん前に居るのだった。

 ここは来客を応対するスペースで四島と彼女はソファにかけて向かい合っているところだった。

「で、紅葉さん。もう一度確認させてもらいますね」

 四島はこめかみに指を当てながら紅葉に言った。

「またですか? 三回目ですけど」

「出現時の話が良く分からなくて。本当に通りのど真ん中に突然出現したんですね?」

「ええ、そうです。出現した瞬間までは見ませんでしたけど、気付いたら目の前に立ってました。今まで2回言いましたとおり」

「はい、分かりました」

 四島はカタカタとタブレットにキーボードで情報を打ち込んだ。表情はほぼ無表情と言って良いだろう。昨日、怪異と紅葉の戦闘を見ていた時と変わりは無い。なにを考えているんだかいまいち分からない。

 四島は紅葉に昨晩の事件についての事情聴取をしているところだった。

 怪異関係の事件の総括をしているこの怪異狩組合はこのように怪異絡みの事件に関しては警察のように当事者から事件について聞き込みをするのが常だった。

 紅葉はまさしく現場に居合わせ、そして怪異と戦闘を行った張本人なのだからこうして四島の聴取に応じているのだった。

「で、この情報でなにか分かるんですか?」

「全部ではないですけどね。ですが、怪異の性質に関しては大方。今回は怪異が自ら名乗ってますから」

 四島は一通り打ち終わると、「ふむ」と言いながらタブレットから目を離した。

「で、あの怪異は結局なんなんですか? 人型、それも姿なりからして江戸時代以前に発生した古い怪異のようでしたが」

「それも今からお話しますが、まだ人が揃ってませんね」

 いぶかしむ紅葉に四島はつい、と視線をフロアの入り口に向ける。待っている誰かを窺うように。紅葉は誰を待っているのだか分からない。なにせ、あの現場で無事だったのは紅葉だけだったのだ。それはつまり、ここに来られるのは紅葉だけということなのである。これ以上聴取出来る人間は居ないはずだった。

「おや、来たようですね。本当にピンピンしてる。驚いたもんです」

「は?」

 四島の視線の先を紅葉も追う。そして、紅葉はぎょっとした。怪異に関わり続け、大抵の異常現象に慣れきってしまった紅葉でさえぎょっとしたのだ。

 四島は立ち上がり、その誰かを窓口横のスイングドアから出迎えた。そのまま、四島は彼女を先導し、そして紅葉の元まで戻ってきた。

 紅葉はあんぐりと口を開けてその彼女を見た。

「なんで、まだ一晩しか経ってませんよ?」

「いやぁ、心配かけたのか? この通り全快だぜ」

 そこに立っていたのは敷島陽毬だった。なんとなく気まずそうな表情で手をヒラヒラ振っていた。

 まさしく、昨日の事件の最中。怪異が消え去る寸前、追い詰められ殺されようとしていた紅葉を身を呈して守った張本人だった。

 その際明らかに致命傷と言って差し支えない大怪我を背中に追ったはずの陽毬。その彼女が今紅葉の前に、まるで何事もなかったかのように立っているのだ。

 どう考えても普通ではなかった。

「さて、これで揃いましたね。話を始めましょう」

「い、いやいや。ちょっと待ってください。事件の話もそうですけど、その前になんで彼女は平然とここに居るんですか? 全然分からない」

「それも、今回の事件に関係あるんですよ。とにかく始めましょう」

 唖然とする紅葉。四島は構わず陽毬を紅葉の隣りに座るように促すのだった。陽毬は素直にそれに従った。置いてけぼりなのは紅葉だけらしい。

 しかし、置いてけぼりだが紅葉には一言言っておかなくてはならないことがあるのだった。

「あの、すいません。正直さっぱり意味は分からないんですけど、とりあえず」

 紅葉は立ち上がり、両手を前に添えて、そして深々と頭を下げた。

「命を助けて頂きどうもありがとうございました。あなたにかばって貰わなかったら今私はここに居ません」

 とにもかくにも、紅葉は命の恩人にお礼を言うのだった。

 命がけで自分をかばって、助けてくれたのは紛れもなく陽毬だ。状況はさっぱり分からなかったが間違いなく最初に言わなくてはならないと紅葉は思ったのだった。

 そんな紅葉に陽毬は慌てて両手を振る。

「いやいや! そんな頭下げんなよ。あそこに居たら誰でもああするって」

「いえ、とにかく。あなたは命を助けてくれましたから。直前に色々非礼もあったのに」

「いやいや。しつこく言われたらああなるのは仕方ないって。オレ、ああいうのが良く分かんなくてこっちこそ嫌な思いさせちまって」

 頭を下げる紅葉に必死に言う陽毬だった。陽毬はこういうことに慣れていないのか顔が真っ赤であった。

 誰でもああすると言う陽毬だったが、そんなことは無い。自分が命の危機に陥ると分かりながらその身を投げ出す人間なんてそうは居ないのだ。命懸けで人助けをしたわけである。

 紅葉は初めて会った時は、チンピラ風のしつこい新人くらいの印象だったがそれがガラリと変わっていた。陽毬はかなりの善人のようである。人を見かけとうわべの印象で判断するものではないのだな、などと思う次第だった。

 そして、ようやく紅葉は頭を上げた。

 上げた顔で見た陽毬は笑っていた。

「あんた、結構良い人なんだな。初め会ったときとはえらく印象が違うぜ」

「そうですかね。命の恩人にお礼を言うのはあなたがした行動より普通のことだと思いますが」

「そんなもんかな」

 陽毬はいまいち紅葉の言うことが分からないのかいぶかしげだ。相当なお人好しなのかもしれなかった。そんな二人に四島が言う。

「さて、言うことも言いましたね紅葉さん。そろそろ本題に入ろうと思いますが」

「あ、ああ。そうですね。始めましょうか」

 促されるままに紅葉は席に戻った。今し方目の前で行われたやりとりにも四島の表情は変わらない。感情というものがあるのか疑わしくなる有様だった。しかし、紅葉は最早慣れたものなのでいちいち気にすることさえ無い。そもそも、今のやりとりについて感情が動かないのか、などと言うのは小っ恥ずかしくてイメージすらしたくなかった。

「今のやりとり見ても無表情なまんまなんだなアンタは。すげぇな」

「はぁ、すいません」

 そんな紅葉の頭の中など知りもせず、陽毬は言って四島は返した。陽毬は色んな意味で真っ直ぐな性格らしい。

 とにもかくにも本題である。

「さて、とりあえずお二方から聞いたところにより情報は出そろいました」

「お二方? 敷島さんにも聞いてたんですか?」

「ええ、昨日病院で。被害者ということで面会に伺ったんですが、その時にはもう体を起こして問題なく話せるようになっておられたので」

「そ、そんなバカな....」

 つまり、少なくとも昨晩の時点で、事件から数時間の内に陽毬は瀕死の状態から体を動かせるくらいまで回復したということだった。冗談みたいな話である。

「そこで、揃った情報を元にお二方には先だって情報をお渡しいたします」

 四島はコホンと咳払いをひとつ。

「まずこの怪異、『蕨平諏訪守綱善』はSSレート怪異です」

「SSレート!? 最上位じゃないですか!?」

 四島の言葉に紅葉は叫んだ。告げられた事実はあまりにも衝撃的なものだったのだ。SSレート。怪異ごとに設定されるFから始まる危険度において、最上位とされるランクだったのだ。そのレートの怪異は例外なく各官公庁に存在が通達されており、国家規模で対応に当たるレベルである。

「? 最上位ってSSSじゃないのか?」

 と、陽毬が口を挟んだ。非常に邪気なくなんとなく。

「SSSレートは歴史に名を刻むほどの正真正銘の災害クラスの怪異だけに付けられるんです。指定されているのは西暦以降、世界でも11体だけ。それも全部後付けで、いわば例外の番外ナンバーみたいなものです。だから、事実上はSSレートが最上位です」

「へぇえ。そうだったのか」

 陽毬はこれまたなんでもなさそうに返答した。紅葉は若干調子が狂う。陽毬はまだ、怪異狩見習いの段階だ。分かることより分からないことの方が多いのだろう。こういう質問が出るのも仕方の無い話だった。いかに、業界の常識といえど陽毬はまだ知らないのだ。

「話を進めても良いですかね。蕨平は発生は戦国時代後期。それから、度々出現しては甚大な被害をもたらしています」

「現代に発生する怪異にしてはかなり古いですね。発生条件はあるんですか?」

「ええ。蕨平が発生するのは決まって、魔払い系統の呪具が発動する数日前からです。端的に言えば、蕨平は魔払いの呪具を求めて遙か昔からこの世を彷徨っている怪異です。そして、呪具が発動する場所に現れては大きな被害をもたらしてきた。最後の出現は昭和3年。現在、大きな力を持つ呪具は例外なく国の管轄に置かれていますが、そういう制度を作らざるを得ない原因になった怪異のひとつが蕨平なんです」

 心なしか、陽毬の表情が曇る。

「なるほど、下手すれば教科書に載るほどの怪異ということですか」

「まぁ、よからぬ輩が蕨平を呼び寄せるために動かないとも限らないので、公にはされていない情報ですがね」

 四島は蕨平の概要について話す。つまり、怪異『蕨平諏訪守綱善』は歴史に名を残しているレベルの、正真正銘最上級の危険度を持つ怪異ということだった。

 そんなものが突然この現代の地方都市に現れ、そして紅葉と警備隊を相手取って殲滅するという大被害をもたらしたのである。

 異常事態と言って差し支えない状況だということだった。

 四島も紅葉もしばし押し黙った。起きた事件の大きさに圧倒されているのだ。

 これは少なくとも、ここ数十年で起きた怪異絡みの事件の中でも特別に大きい事件なのは間違いなかった。

「やつがが現れたということはつまり.....」

「でも、あいつ。強いは強いけど本当にそんなに危険なのか?」

 言いかけた紅葉に陽毬が口を挟んだ。紅葉は若干口ごもる。間は悪かった。しかし、先のこともあるし、陽毬は善人なので紅葉はそのまま黙った。

「確かに強さで言えばSレート、なんならAAレートでもやつより強い怪異はいます。しかし、やつは人型。人型の怪異は全てが元人間の怪異です。人間がなんらかの理由で理から外れ、怪異になったのが人型の怪異です」

「あいつ、人間だったのか」

「ただの人間が理から外れるなんてことは普通は絶対にあり得ないんです。それを可能にするのは行動か精神性か、とにかくなにかが常軌を逸している人間です。それも尋常ではなく、他に類を見ないほどに。なので、人型の怪異は例外なくその精神構造がまともではない。狂っているんです。なので、強さがどうであれ他の怪異に比べて人間社会を破壊する確率が恐ろしく高いんです」

「だから、どんな能力であろうが、人型である時点で最低でもAAレートに設定されるんですよ。人型はとにかく危険なんです」

 最後に紅葉が情報を添えた。

 普通の人間として生まれたのに怪異になるほど普通でない人間。

 それがどれほどの者なのかなどというのは一般人には想像すら出来ないことだ。紅葉にも、四島にも分からない。分かる人間なんてこの世の中にほとんどいない。そして、居たならその人間もすでに理の外にいるのかもしれない。

 常軌を逸した人間はやはり常軌を逸した行動を取るということなのだろう。

 理から外れるほど普通でない人間、それは容易に常識や社会なんていう普通のものを破壊してしまうのだ。

 だからこそ、人型の怪異というのは全ての怪異の中でも特例扱いされるということだった。 

 とにかく、トップクラスに危険なのだ。

「蕨平がなにが異常で怪異になったのかは記録に残っていませんが、やつはとにかく魔払いの呪具に執着しています。その怨念がやつを出現させていると言って良いでしょう。なので全国規模で強力な魔払いの呪具は封印状態で保存されている」

「ですが、再び現れたということはこの街に魔払いの呪具があるということですか?」

 紅葉はさっき陽毬にさえぎられたことを再び口にした。

「ええ。そして、記録によれば呪具が発動後停止すれば、同時に蕨平も消滅するそうです。なので、今回の呪具、『白峰の霊鏡』の出現期限の明日。今晩含めて二日。ここまで蕨平を食い止められればヤツは消滅します」

「は、はぁ。『白峰の霊鏡』っていうんですか」

 紅葉はなんとなく話を押しつけられているかのように感じたが、気のせいだと思うことにした。思いたかった。この流れは今までも何度も味わってきたからだ。

 そう、今までなんどもなんども、面倒な仕事を押しつけられてきた時の流れにそっくりだったからである。

 紅葉は若干こめかみがひくつくのを感じた。

「本題です紅葉さん。そして、これはお願いです。どうか、『白峰の霊鏡』を明日の夜まで、蕨平から守っていただけないでしょうか」

「.......は?」

 紅葉の浮かべていた微笑が凍りついた。

「え? わたし一人でですか? え? あの怪物相手にわたし一人で?」

「いえ、もちろん人員は配置します。しかし、恐らくやつ相手に正面切って戦えるとしたらこの街では紅葉さんくらいです。普通の怪異狩では前に立つことすらままならない」

「ふ、ふざけないでください。あんな死にそうな思いをまたしろっていうんですか? そもそも、その『白峰の霊鏡』っていうのはどこにあるんですか。さっきなんとなく濁したように感じましたが」

 紅葉の怒りゲージはどんどん上昇していた。理不尽に対しては人一倍敏感な紅葉である。

 『白峰の霊鏡』、蕨平の出現条件。

 ヤツが出現した以上、この街のどこかにその呪具があったはずだ。その場所を知らないことにはそもそも守ることさえ出来ないのだ。

 紅葉はこの仕事を受ける気などさらさら無かったが、とりあえず聞いた。

 聞いて断るつもりだった。

「ああ、この陽毬さんが『白峰の霊鏡』ですよ」

「はぁ!?」

 紅葉は驚愕して絶叫した。

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