――4.響谷悟郎と京平


 ビルの脇から地下へと階段を降りていくと、コンクリートに囲まれた空間に低音が響き、下腹部を押し上げる。ドアの前にまでたどり着き、テクノ・ミュージックが鳴り響く店内に入ろうとしたところで、ふと京平は足を止めた。

「どうしたの、ジャボー?」

『……我はこの中はやめておこう。少年も長居はしない方がいい』

「……そう。わかった」

 階段の真ん中あたりで渋い顔をしているジャボーをその場に置いて、京平はドアを押し、ダイニングバー「ミドル・サード」の中に入る。

 店内はぎりぎり会話が出来るくらいの大音量で、硬質な音楽が鳴り響いていた。ブースの中にDJが立ち、ミキサーを操作している。その前に何人かの男女が立ってそれを覗き込む。フロアに人はまばらで、あとはカウンター近くにも何人かが集まり、グラスを手に談笑していた。煙草の煙も漂っている。それがジャボーが来たがらなかった理由だろう。

 京平はカウンターの中に立つ大柄な店員に話しかけ、コーラを頼んだ。瓶ごと出てきたそれを掴み、しばらくその場で店内の様子を見渡す。

 カウンター近くで談笑している輪の中から、金髪の男が抜け出してこちらにやってきた。男は大柄な店員に話しかけ、ジン・トニックを注文する。

「悟郎さん、次の配信イベントはどうする?」

「そう、それの相談もしないとね」

 悟郎、と呼ばれた金髪の男は、店員の差し出したグラスを受け取りながら応じていた。

 京平は悟郎の顔を横からじっと見た。と、悟郎がそれに気が付いて京平の方を振り向く。悟郎は笑い、京平に向かってグラスを掲げた。

「ここの店は初めて? 誰かの知り合い?」

「うん、まあ」

 京平は曖昧に答えながら、悟郎の顔をまだ見ていた。悟郎は、「ああ」と声をあげる。

「俺の配信見てくれてる人? 怪談好き?」

「ええと……まあそんなところかな」

「おっ! それじゃあさ」

 悟郎が身を乗り出した。

「君もなにか、怖い話知ってる? 知ってたら教えてよ」

「はあ……」

 いきなりのその勢いに、京平はたじろいだ。レイから話をきいてはいたが、なるほどこれは筋金入りのマニアってわけだ――

 京平の背後でドアの開く音がした。

「……京平くん?」

 店に入ってきたレイが、京平と悟郎の顔を見比べ、口を開く。

「二人、知り合いだっけ? わたし紹介した?」

「いや、今知り合った」

 京平が応じると、悟郎が眉間に皴を寄せる。

「なに? レイの彼氏?」

「……そーいうんじゃないから。仕事仲間よ」

 そう言ってレイはカウンターにまでやってきて、店員にビールを注文した。そして悟郎に聞こえないよう、京平に囁く。

「君の超越知覚ハイパーセプションとか、ジャボーのこととか、言わない方がいいよ……たぶんうるさくなるから」

「……なんとなくそれは思った」

 京平が頷くと、レイは顔を離して言う。

「……で、京平くん、なんでここに? 用があるなら『燈火』とかまで行くのに」

「敦子さんのことを聞いておきたかったのと……あと、悟郎さんに訊きたいことがあるんだ。ここに来れば会えるってレイに聞いたから」

 傍らにいた悟郎が居住まいをただす。

「……俺の話を聞きたいと。なにがいい? 廃病院に残された人形のやつか、それとも配信中に謎の声が乗った話がいいか……」

「ああ、そういうやつはまた今度」

 京平は悟郎の話を遮り、言う。

「……『スミスの隣人』について」

「む……」

 悟郎は顔を曇らせた。京平は言葉を継ぐ。

「同じ怪談動画の配信者として、意見を聞きたいんだ。あの動画について」

「……言いたいことはわかるよ。確かにあれは異常……っていうか、異質だ」

 悟郎は渋い顔のまま言う。

「配信者ってのは色んなタイプがいて……俺なんかはもう、とにかく怪談が好きで、同好の士とそれを楽しんでたらいつの間にか配信もしてたっていう感じだけど。でも、とにかくアクセス数とお金を稼いで有名になるためってやつもいるし、または単に動画を作るのが好きってやつもいる。でも……」

 悟郎はスマートフォンを取り出し、操作して「スミスの隣人」がアップした動画を表示した。

「こいつはなんか違うんだよな。とにかくこのテーマの動画だけをアップして、その内容もなんていうか、『自分』がないっていうか。狂信的っていうか……」

「ふうん……」

 その辺りについては京平も同じ意見だった。他とは「色」が違うのだ。自我エゴが極端に少ない、という感じに見える。そう――それは例えば、神泉の事件現場をハッキングしたときに感じた印象に近い。

「例えば……後ろになにか、団体がいるとかそういうことはないのかな」

「団体っていうと、企業とか……それか、宗教とか?」

 横で話を聞いていたレイが口を挟んだ。

「……大紋道のこと?」

 京平はレイの方を見て笑った。その隣で悟郎がふむ、と鼻を鳴らす。

「確かに、新興宗教が動画で広報をするっていうのは結構ある話だよ。しかもそれなりに有効だ。インターネットが普及する前からアニメ映画に出資してるところとかあるし……」

 悟郎はそう言ってから、首を傾げる。

「でも、大紋道? あそこってもう解散したんじゃなかったか?」

「……え? 知ってるの、兄さん?」

「ふふん、怪談配信者を舐めるなよ。怪談を語る上で宗教は外せないからな」

 悟郎は得意げな顔と共に、話を始める。

「大紋道ってのは70年代に起こった新興宗教らしくて、教義としては神道系、それも金屋子神や天目一箇神あめのまひとつのかみ、それとスサノオや少彦名すくなひこな加具土命カグツチに習合するっていう変わった教義でさ」

加具土命カグツチ……日本神話でイザナミから生まれて母を焼き殺し、怒った父神のイザナギに殺されて、その死体から多くの神々が生まれたんだっけ」

「そう。要は『神殺し』を教義の中核に据えてるんだ。もともとは関西の一地方の民間信仰と、それを祀るヒノカミ講って団体が母体らしい」

 悟郎は「ここからが面白い」という顔で身を乗り出す。

「大紋道は新興宗教らしく節操がなくってな、キリストが磔刑で死んだのとか、オーディンや北欧の神々がラグナロクで死んだっていうのも全部、加具土命の死と同じ世界創生の一環だと考える」

「へえ……」

 感心している京平に向かって、悟郎は話を続ける。

「……大紋道は妙な事件をたびたび起こしてるんだ、儀式だって言って獣の死体を建物の周りに置いたり……これは『穢れ』を好む金屋子神を祀るやり方だが、それが地域でトラブルになったりしてる。夜中、山の中で謎の儀式をする集団ってのが目撃されたこともあって、それが大紋道だったんじゃないかって話が、その後怪談としてネットで拡散されて……」

 延々と話を続ける悟郎の話を聞き流して、京平はコーラのグラスを煽る。頭の中で、なにかが火花を立てていた。

 想像以上の話が聞けた――ジャボーがここにいないのが残念なくらいだ。

「……ありがとう。参考になった。怪談だの都市伝説だので不謹慎にはしゃいでるだけはあるね」

 ――京平は本当に感謝の念を込めて言ったのだが、隣にいたレイがなぜか、顔色を変えた。

「……京平君、だったっけ?」

 目の前にいる金髪の男は京平の目をじっと見返す。もしかして、なにか失礼なことを言ったのかもしれないと、京平はようやく思い至った。レイの方を見ると、眉間に皴を寄せて京平と悟郎を見比べている。

「あー……」

 とりあえず謝っておこうか――と、京平が口を開きかけたその時だった。

「そうだ、その通りなんだよ!」

 突然、悟郎は相貌を崩し、京平の肩を叩いた。

「怪談はこの整理された都会から零れ落ちたもの! きれいごとだらけのこの世界だからこそ、不謹慎に語るべきなんだ! これは抵抗活動だ、俺たちが人間だって声をあげるためのね。いやあ、わかってるなあ君は」

 そう言って悟郎は大柄な店員に、京平の注文を自分につけるように言う。

「ああ、そう言えば」

 京平は二本目のコーラの瓶を受け取りながら、悟郎に行った。

「さっき言ってた廃病院に残された人形の話って、どんなの?」

「おっ! それを聞くか! 実はあの話はだな……」

「……ふむふむ、なるほど……ジャボーが喜びそうな話だな」

「なに意気投合してんの、ふたり」

 なぜか盛り上がっている京平と悟郎を、横からレイが不思議そうに眺めていた。「……そうだレイ、また調べて欲しいことがあるんだけど」

 京平がまたレイの方を振り返る。

「なに?」

 京平は笑った。どうやら、獲物の尻尾を掴んだかもしれない。

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