――2.ビジネスサロン

 通りに面したオフィスマンションの一室に入ると、そこには若い男女が三十人ほども集まってわいわいと盛り上がっていた。エントランスの右側にはバーカウンターが置かれ、中に立った恰幅のいい男が飲み物を提供している。その前には三十代くらいの男が、学生のような女に向かい、なにやら熱心に話していた。薄い生地のカーテン越しに柔らかな光が部屋に注がれ、さながら若手起業家たちのホームパーティといった雰囲気ではある。しかし――

「ふふ……」

 京平が含み笑いをしているのに、レイは気が付いた。

「……なにがおかしいの?」

「いやあ、いい匂いがするなってね」

 京平がいう「匂い」というのは、テーブルの上におかれた軽食の皿のことではないだろう。特別な能力のないレイにも、それはわかる――集まった者たちの雰囲気がどこか、独特なのだ。リラックスして楽しんでいるわけでもなければ、熱っぽい雰囲気に浮かれているわけでもない。なんというか、それはまるで、親類の結婚式に集まった人々のような――または葬式のような――

「……レイちゃん、とりあえず飲み物取りに行こう?」

「あ、うん」

 ミナミがそう言うのに、レイは応じた。ミナミは京平の方にも声をかける。

「京平くんは? なにか取ってこようか?」

「どうも。それじゃ、コーラがあればそれを」

「はーい」

 ミナミとレイはカウンターへと向かい、そこに置かれていたメニューを覗き込んだ。

「えっと……それじゃ私はペリエを」

「あたしはビール!」

 元気よくミナミが告げると、カウンターの中の男は頷いてストックから瓶を取り出し、それを置いて言う。

「お姉さん、そのジャケット似合ってるね」

「え? あ、ああ……ありがとう」

 不意に向けられた馴れ馴れしさに、レイは戸惑う。と、レイたちの前に飲み物を注文していた男が声をかけてきた。

「初めてだよね? 誰からの紹介?」

「あー、えっと、こっちの彼女が知り合いを紹介してくれて……」

 レイは言葉を選びながら話に応じる。まさか「殺人事件を起こした風俗嬢のアスカが出入りしていたビジネスサロンに興味があって来ました」などと言えるわけもない。レイは同僚であるミナミの伝手を辿り、このパーティに参加しに来たのだった。

 と、そこで当のミナミの甲高い声がした。

「きゃあ! チホちゃん!」

「ミナミちゃん、久しぶり!」

 振り返ると、そこに丸顔の女が立っていた。彼女がどうやら、ミナミの知り合い――そして、このサロンの会員として、レイたちを招待した相手だった。

 先ほどの男がおお、と声を上げる。

「なんだ、仙田ちゃんのお友だち?」

「そうなの、こちらミナミちゃんと、あと、響谷さんだっけ」

 仙田チホに紹介されて、レイは男に頭を下げた。男はそれに対し、手にもったグラスを掲げて応じる。

「えっと、響谷さんはさ、なにかやりたいこととかある?」

「へ?」

 藪から棒に言われて、レイは思わず声が裏返る。

「こう、先行き不安な時代じゃない? 正社員とかでも安定してるわけじゃないし、夢もないもんね。だったら好きなことやって生きる方が……あ、そういえば仕事はなにしてる人?」

「あー、えっと……」

 レイはミナミに助けを求めようとする。しかし――

「あ、友だちもうひとり来てるんだ。イケメンだよー」

 ミナミはそう言ってコーラのグラスを手にし、チホを連れて京平の方へと向かってしまった。

 レイはひとり取り残され、機関銃のように話を続ける男の前でただ困惑した。


 * * *

 そのころ、京平もまたレイと似たような状況下にいた。

 部屋の奥の方でテーブルを囲み、ミナミやチホをはじめ何名かの男女が談笑する。

「今私、やっぱり投資に興味があって……」

 大学生だという小柄な女が言った。

「資産を形成するなら今のうちだし、それがあれば将来やりたいこともできる。資産が人を自由にするって、やっぱりその通りだと思うんですよねえ」

「そうだよね、制度に振り回されるのでなく、仕組みを知ってうまく利用していくのが大切だよね」

「そういう意味じゃ、人との繋がりや感謝の気持ちを持って学んでいきたいね。この出会いに感謝だよ! 今度の勉強会もさ……」

 口々にそう話す若い男女の声は、まるでペットの犬の自慢話を披露しあうような調子に聞こえる。京平は、その談笑の輪の中に――もちろん、他の皆には見えないが――加わっているジャボーと、心の中で言葉を交わしていた。

『少年、この儀式・・はいつまで続くのだろうな?』

「まあ、そういうなよジャボー。ジャズのセッションみたいなものじゃないか」

 宙に浮いた言葉を必死で掴みあうような若者たちの様子を、京平は笑う気にもなれなかった。目の前を飛び交う言葉たちはどれもこれも、まったく色が薄い・・・・。それでいて、その言葉を受けて返す側は、その色を読み取って合わせようとしている。

 個人の思想や意見を述べるものではない。それはある仕様プロトコルに則った言葉を発し、それを受けて返すという一連の手続きだ。この場に参加している者たちが、同じ文化に所属していることを確認し、その恩恵を皆で分かち合おう、というメッセージを伴った典礼。

「……京平くんは? どう思うの?」

 不意に、チホが京平に水を向けた。その場の視線が京平に集まる。

「君、今回が初めてでしょ? なにか考えはないのかい?」

 水色のシャツを着た男が爽やかな笑顔を作り、歯を見せる。

『言ってやったらどうだ、主題がないものに意見を持つなどは自分にはできない、と』

 ジャボーが囁く声が聞こえた。京平は肩を竦める。目の前ではしゃぐ子どもみたいな男女に、冷や水をかけてやりたいという、それはまさに悪魔の誘惑。

「……俺は皆さんみたいに、しっかりとした考えを持ってるわけじゃないですけど」

 京平は誘惑に抗いつつ、一応言葉を選んで言った。

「こんな仲間と一緒なら、どんな未来が来てもきっと大丈夫ですね」

 それで、パッと一同の表情は明るくなった。まあ、こんなところだろう――一抹の皮肉を混ぜずにいられなかったのはきっとジャボーのせいだ。

 京平はなおも盛り上がる輪から何気なく一歩引き、部屋の中を見渡した。広く作られたフロアの中に、いくつかの輪ができている。それらはどこも似たような色の言葉を発しているようだった。

「……それで、問題は」

 京平はジャボーに向かって言う。

「なにを喋ってるかではなく、なにが喋らせているか・・・・・・・・・・、だけど」

『わかっているではないか、少年』

 ジャボーが長い爪で顎を撫で、応じる。

『しかしどうやら、ここにあるのは現象だけのようだ。意伝子ミームを受けてはいるが……依り代はこやつらではない』

 そうだ――京平は今一度、部屋の中の「色」を見る。ここにいる若者たちが行っている「儀式」は表層だ――問題は、その儀式を行わせている根源だった。

「……愛河先生! 来てくれたんですね!」

 不意に、入り口の方が騒がしくなった。京平がそちらを振り向いてみれば、白いジャケットを纏った細身の男が姿を現したところだった。綺麗に整った長めの髪、それに整った顔立ちと、いかにも弁舌さわやかな若手起業家然とした男だ。

 京平はなにげなく輪の中に戻り、チホに声をかける。

「あれは?」

「このサロンの主宰者だよ。愛河登先生。そんなことも知らないで来たの?」

 チホは京平に向かって笑う。

「愛河さんはね、あの若さで個人資産が数億円だって。でもあんな感じで、全然偉ぶったりしなくて、むしろ自分と同じ境遇の若者に未来の道を示し、世界を少しでもよくするためにこのサロンを開いたんだよ」

 チホはスマートフォンを取り出し、その画面を京平に見せた。そこには『終わる世界のハッピーヒューマン』と題された本が映っている。表紙には腕を組んだ愛河がデザインされていた。

「この本とか、凄いんだよ。私なんか感動しちゃって。『集団の中に入るな、こぼれた存在である自分を受け容れて未来を創るんだ』っていうの、すごく響いたんだ」

 京平は思わず苦笑した。ではここは、こぼれた存在であろうとする人間が仲間を求め、お互いにそれを確認する会だというわけだ。

「この本自体は2000円なんだけど、スーパー会員限定の勉強会に参加すれば、もっと凄い深い話ができて、会員同士の議論も深まって……あ、よかったら紹介させてもらえない? 京平くんも他の人を紹介すればレベニューシェアが……」

 チホの話を聞き流しながら、京平は愛河の様子を伺っていた。その周りには会員たちが集まり、熱心な様子で話を聞いていた。その空間は明らかに、周囲と比べて「色」が濃く見えている。

「……ジャボー、あの男には悪魔が憑いているかな?」

『なんとも言えぬな』

 ジャボーは爪の先で顎を撫でた。

『もう少し情報ソースが欲しい』

「まあ、そうだな」

 京平はなにげなく、その集団の方へと近づいていく。

「……そう、世界を変えるということは自分を変えるということだからね」

 よく通る声で、愛河が周囲に向かって話していた。

「その代償に求められるのは時間かもしれない、努力かもしれない。あるいは金銭であったり……または例えば、親や友達でさえ、捨てることもあるかもしれない。ポジティブな変化を受け容れるためにね」

「なにかを得るには犠牲が必要だということですか?」

 会員のひとりが質問するのに、愛河は笑って首を振った。

「犠牲や代償というと語弊があるかもしれないね。要は、失うというのは人生の一部を失うことじゃない。失うという体験を人生に得るということなんだ。そしてそれがなければ、絶対に辿り着けない場所もある。なにを選ぶかは自由だけどね」

 京平は輪の外でその話を聞いていた。なるほど、理路整然とした精神論だ――精神論であるがゆえに、生半可な科学よりも響きやすい。実際の成功事例と共に聞けば心酔する者もいるだろう。

「……興味深いだろ?」

 不意に、後ろから声をかけられて京平は振り返る。そこには黒いパーカーを来た坊主頭の男が立っていた。

「愛河先生の話はさ、こう、響くんだよね……ここ・・にさ」

 男は自分の胸を指さして言う。

「それが一番大事なことなんだよね。こんな世の中でなにを信じるかって、それは心に響くかどうかだけだからな」

「……なるほど」

 京平は男の顔を見た。丸く大きな目に、がっしりとした顎のいかつい顔つきだ。男はグラスを口に運び、その大きな目を京平に向ける。

「初めてかい?」

「ああ、仙田さんの紹介でね」

「そうか、それはいい。俺は平良木たいらぎっていうんだ」

 そう言って坊主頭の男――平良木は京平に握手を求めた。京平は快くそれに応じる。平良木は京平の手を握りながら、その目をじろり、と動かした。

「……あんた、会員になる気はないんだろう?」

 京平はなにも言わず、首を傾げてみせた。平良木は京平の手を放し、言葉を継ぐ。

「や、別にいいんだ。お客さんが来るのは歓迎だよ」

「へえ、意外と寛容なんだね」

 平良木はニヤリ、と笑う。

「……来訪者の方が重要なんだ。閉じた世界に未来はない。世界の外から来たものを、受け入れることで世界は前に進んできた。違うか?」

「そういう側面もあるだろうな」

 京平が言うと、平良木は頷いた。

「それでいい。無理に合わせなくていいと思うよ」

 そして平良木は財布を取り出し、そこから名刺状のものを二枚、取り出して京平に差し出した。

「こういうのもあるんだ。よかったら見てみてくれ」

 京平はカードを受け取り、その内容を見る――一枚は「ビジネスサロン・愛河会運営メンバー 平良木隆文」と書かれた名刺。もう一枚はデザインされた案内状のようなもの。そこには「愛河会・スーパー合宿セミナー」と書かれていた。

「二泊三日、会員たちが集まってセミナーやワークショップをやるんだ。フル参加でなくても、日帰りで参加してもらっても構わない。あんたみたいな余所者にこそ来てほしいイベントなんだ」

「……考えておくよ」

 京平がそう言ってカードを仕舞うと、平良木は頷いて輪を抜け、立ち去っていった。

『収穫だな、少年』

「ああ、そのようだ」

 京平はジャボーの声に応え、カードを見た。そこには強い「色」が浮かんでいた。


 * * *

「あーもう、参ったわ……結局ずっと付きまとわれてさあ」

 割り箸を割りながらレイは言った。胡椒をたっぷりとかけたつけ麺に箸を伸ばし、つけ汁の方に浸す。

「連絡先教えろとかSNS教えろとか……挙句の果てには抜け出して飲みに行こうとか。まったく、ナンパ目的でやってんのかって。もっと真面目に勧誘しろよ」

 京平はその隣で、つけ汁の中のチャーシューに箸を伸ばしていた。レイは麺を啜ったあと、瓶からグラスにビールを注ぐ。

「京平くんも飲む?」

「いや、いいよ。ジャボーが嫌がる」

「ああ、そうなのね。了解」

 そう応じてレイはグラスの中のビールを飲み干す。

「それで」

 レイがグラスを空けるのを待って、京平が言う。

「そっちの収穫は?」

「まあ、一応話は聞けたよ。アスカさんのこと」

 レイはまたひと口、つけ麺を啜ってから話を始める。

「アスカさんに会ったことのある人がひとり、いたんだけど……どうも会員じゃなかったみたいなんだよね。わたしたちと同じように、パーティに来たことがあるって、それだけ」

「……へえ?」

 京平が箸を止め、レイを見る。レイはもごもごと口を動かしながら、言葉を継ぐ。

「お金に困ってて、それで誰かに誘われて、ってとこまでは事実みたいだけど。あんまり積極的に絡む感じでもなかったみたい」

「……なるほどね」

 京平は頷き、またつけ麺を啜り始める。レイはため息をついた。

「そうすると、この『愛河会』っていうビジネスサロンは、アスカさんの事件とは無関係なのか……」

「どうだろうね」

 京平はそう言って、ポケットからなにかを取り出した。それは、会場で会員たちからもらった何枚かの名刺――

「これはあんたが持っててよ」

 京平はその束をレイに渡す。

「京平くんは必要ないの?」

「ひと通り視た・・し、もう憶えた」

 レイはその束を一枚ずつめくって目を通し、そのあとそれをバッグにしまう。

「……で、次はどうする?」

「うん、それなんだけど」

 京平はつけ麺の最後のひと口を啜り、言った。

「そもそもの事件に立ち返る必要がありそうじゃないか?」

「まあ……そうかもね」

 ならば、まず手を付けるべきはどこか――レイは考え、スマートフォンを手に取った。

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