――3.京平が秋山敦子に問いただすことには

 灰色のビルの中に、突然現れる「カフェ&スナック 燈火」の中、古風な調度品に囲まれて敦子が座っていた。目の前のローテーブルにはコーヒーゼリーの皿が乗っている。正面には京平が座り、フルーツと生クリームの乗ったパンケーキを食べていた。レイはその隣でコーヒーを飲んでいる。今日は甘いものは注文しなかった。別に社会性に流されたわけではなく、そういう気分ではなかっただけだ。

「あの、それで……訊きたいことって……」

 敦子はコーヒーゼリーに手をつけないまま言った。

 レイは京平を見たが、京平は複雑な構造のパンケーキをどこから攻略するかに没頭しているようだった。仕方なく、レイは一旦カップを置き、スマートフォンを取り出す。

「……この動画のことで……」

 レイが敦子に見せたのは、例の「スミスの隣人」の配信した動画――「都市伝説・殺されスミスの恋人 その8 神泉の惨殺遺体事件を追え」だった。敦子はそれを見て表情を硬くする。

「……その動画に出てる容疑者……アスカさんが死んだのはご存知ですか?」

「えっ……」

 レイが言うと、敦子がはっとなって顔をあげた。

「敦子さん」

 青ざめる敦子に、レイはゆっくり話を切り出す。

「この事件は異様です。どう考えたって普通じゃない。このままなにもわからず終わってしまったら……」

 アスカが浮かばれない、と続けようとしてレイは口淀んだ。よく考えれば、アスカは加害者として人を殺めた側なのだ――

「……あんたからこの話を聞いた、ってレイは言ってたんだけど」

 京平が横から口を出した。黙っている敦子に、レイはまた話を継ぐ。

「以前、わたしたちに教えてくれた『同じ人間が何度も殺される話』……これはその話のあとで配信されたもので」

「……ええ、知ってます。私も見ました」

 敦子は戸惑いながら頷いた。レイは身を乗り出す。

「あの、敦子さんが教えてくれた話って、知人から聞いたって言ってましたよね?」

「はい」

「その知人が言っていたのって、この事件のことですか?」

「…………」

 敦子は黙って目線を落とした。レイは敦子の返事を待つが、敦子は視線を泳がせて口をつぐんでいた。

「……多分、なんだけど」

 不意に、京平が口を開いた。フォークとナイフを置き、敦子に向かって言う。

「その知人って、存在しないんじゃない?」

「……!」

 敦子ははっとして顔を上げる。京平は続ける。

「あなたからはどうも……なんていうか、規律を求める人の匂いがするんだ。そういう雰囲気を纏った人に、俺は何人か会ったことがあるんだけど」

 京平は両手を組み、敦子をじっと見た。

「もしかして、警察関係者でしょ」

「……え?」

 レイは驚き、京平を見た――そして、理解した。その顔はゆったりと敦子を見ていたが、その目は「ハッキング」を仕掛けたときと同じ目だ。

「……すごい、そんなことわかっちゃうんだ」

 敦子がふっと、息をついて言った。

「さすがレイさんの知り合い……普通じゃないんですね」

「あ、いや、まあ……」

 曖昧に答えるレイの横で、京平が言う。

「あそこの人って組織の空気というか、文化というか……そういうのが匂いとして強く残る。まるでなにかに取り憑かれてるみたいなもんだから、見ればすぐわかるよ」

「に、匂い……?」

 目を白黒させる敦子に、レイは黙って首を振る。京平の得意な才能について、この手の話に素養の無い人間に説明しても無駄だろう。その代わりにレイは、目の前のコーヒーゼリーを敦子に勧めた。スプーンでひと掬い、口に運び、左手で口元を覆う敦子に、レイは問いかける。

「ということは、敦子さん……あの話は」

「……はい。自分が出会った話です」

 敦子はスプーンを手にしたまま、レイを見た。

「私、身元不明の遺体を取り扱う部署にいて……あの動画で出てきた神泉の事件で、遺体の身元を検索してました。それで……」

 敦子は一瞬、目を泳がせる。

「遺体のDNAが……一致したんです。十年前に殺された人物と」

 レイは息を呑んだ。京平は再び、ナイフとフォークでパンケーキをつついている。

「その話、警察内部ではどうなったんです?」

「……なにしろ、十年も前の記録ですから。データベースの情報が不完全だったんだろう、ってことになりました。普通に考えればそうだと思います」

「なるほど」

「だけど……」

 敦子は目を泳がせた。

「十年前に殺された遺体、調べたんです。そしたらその遺体も……」

 ――片足と片目がなかった、と敦子は言った。

 レイは息を呑んだ。それはつまり、神泉の遺体とも共通する特徴だ。

「これですよね」

 京平がスマートフォンを操作し、見せた。そこには「都市伝説・殺されスミスの恋人 その5」と題された動画が映っている。

「2011年……駒込のビルの三階、空きテナントで男が殺された事件だ」

 敦子はその動画を見て、絞り出すように答える。

「そう、これ……です」

「……これも『スミスの隣人』は掌握済みってわけだ」

 京平はそう言ってスマートフォンを降ろす。

 レイは戦慄した。いったい、この動画を作っている「スミスの隣人」とは何者なのか――まるですべてがこの動画に操られているかのような錯覚さえ覚える。

 敦子はしばらく黙って下を向いていたが、意を決したように自分の鞄を開け、なにかのファイルを取り出した。

「これ、十年前の駒込の事件の資料です」

「え……?」

「あの……本当はだめなやつです」

 敦子はテーブルの上に資料を広げる。レイはその資料と敦子とを交互に見比べた。

「……そんなものを、どうして?」

「私……呼ばれてるんです、この事件に……」

 敦子の唇はわずかに震えていた。

「どうしても気になって……どうしようもないんです。目の裏に、この顔がちらついて、離れなくて……」

 その顔――レイは資料に載っている写真を見た。片目が抉られた凄惨な写真――その顔は二十代後半から三十代くらいか。整った顔立ちだが、これといって特徴がないともいえる。

「同じ顔を……見るんです。昔から、ずっと」

 敦子が言った。

「え……?」

 レイが資料から目を上げ、敦子を見る。

「鏡の中や夢の中、人ごみの中……片目のない男の顔が、何度もちらつくんです。まるで……この動画の『殺されスミス』みたいに」

 敦子は唇を震わせていた。

「その片目の顔、私は知ってるの……子どものころ、ボーイスカウトのキャンプで、森の中に死体を見つけて。だけど、それは勘違いだったの。警察が来たら、そこにはなにもなくて、でも……」

「敦子さん、落ち着いて……!」

 レイは腕を伸ばし、敦子の手を握った。幼少期のトラウマが事件と結びついたのか――震える敦子の手を握りながら、レイは考える。敦子の中でもまた、この事件は歪んだ伝承として形を成してしまったようだ。

「わたし、いいカウンセラーを知ってます。一度話をしてみたら……あ、それかお祓いの方がいいかも」

 レイはそう語り掛けるが、そのとき敦子の目は虚空を見つめていた。思わず、レイは振り向くが、そこにはなにもない。

「……いや」

 ずっと黙って聞いていた京平が口を開いた。

「いるよ、悪魔が」

「……なに?」

「この人に取り憑いてる悪魔だ。そして……」

 京平は口元を歪ませる。

「俺とジャボーが求めているものだ」

 そう言って京平は、パンケーキの最後のかけらを口に放り込んだ。

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