――2.響谷レイのバイト先
「お疲れさまでーす! すいません遅くなって!」
「あー、早く着替えちゃってー」
「はーい」
男性スタッフにそう返事を返し、レイはガールズバー「リリエル」の更衣室に駆け込んだ。出勤時刻から十五分の遅刻。その分は給料から引かれてしまう。
「あー、レイちゃんだぁ。お疲れさまぁ」
先に更衣室に入っていた背の高い女が手をひらひらとさせた。
「あれ、ミナミさんも遅刻?」
「そう、今日は普通に仕事で」
そう言ってミナミは快活に笑った。
ちょっと疲れてるみたいだな、とレイは思う。明るい笑顔はいつも通りだが、どうも目に張りがない。
確かミナミは、昼間は保育士をやっているのだと言っていた。仕事は好きだが、保育士の給料だけでは東京で生活できないため、夜はこの店で働いているのだという。
昼間、普通にOLをやっていたりする女性が夜、こうした店で働いていることは多い。実家住まいでもなければ、都会において「人並み」の暮らしをするために平均的な若い女性の賃金はまるで足りないのだ。収入が伸びる見込みもなく、将来に向けて貯蓄するために夜、働く女性もいる。
「レイちゃんも今日は仕事?」
「そう、ちょっと打ち合わせがあって」
レイが敦子に「全然稼げていない」と言ったのは謙遜ではない。フリーライターの仕事は不安定で、仕事がある月はよくても、収入がない月というのもたまにある。安定した収入確保のためにレイは「リリエル」で働いているのだった。
とはいえ――レイとミナミはキャンペーンガールかCAのような制服に着替えてカウンターの中に入り、スタッフから指定された男性客の前に立つ。挨拶をし、カクテルを作り、客と話をする――カウンターを挟んで接客をするガールズバーは、若い女性にとっては悪くない稼ぎ先だ。直接的な肉体の接触を求められることもないし、過度に売り上げを競うようなこともない。中には、元々酒好きで、趣味と実益を兼ねて働いている、という女性もいた。
「レイちゃん、今日もクールで素敵だねえ!」
「どうも。ウーロンハイどうぞ」
レイとしても、客に愛想を振り巻き媚を売るわけでもなかった。店にもよるが、少なくとも「リリエル」では普通にしていても割と許される。それに――
「そうそう、面白い話仕入れたんだよ。この間仕事で行った現場に出るっていう幽霊の話でさ……」
オカルト系の専門ライターで、時に配信番組にも出演しているレイは一部で受けがよく、わざわざその話をするためにやってくる客がけっこういるのだった。レイとしても、これは本業のネタ蒐集を兼ねることになり、非常に都合がいい。
「……へえ、その話、地縛霊とはちょっと違う感じの幽霊ですね?」
「だろだろ? たぶんこれ、似たような話が前にもあって……」
なんやかやと盛り上がっていると、男性スタッフから呼ばれて別の客の前に立つ。そうやって、一日の間にカウンターの中を行ったり来たりしながら、酔客を相手にしていくわけだが――
「レイさん、ミナミさん、こちら2名様入ってー」
またもや男性スタッフに呼ばれ、レイはカウンター隅に座った二人客の接客に立った。
「……って、なんだ兄さんか」
そこに座っていたのは、レイの実の兄・悟郎その人だ。
「やーどーもレイちゃん! 制服決まっとるねぇ!」
「どうも、ボタさん」
もう一人の客は、悟郎と共に「現代トーキョー都市伝説巷談ライブ」を主宰している通称・ボタさん――たしか本名は久保田とかいう男だった。
「きゃー! 悟郎さんにボタさん! こんにちはー!」
ミナミがやって来て明るく二人に手を振った。その横で、レイは微妙な表情を作る。
「普通、妹が働いてるガールズバーに飲みに来る?」
「別にいいだろ、俺はミナミちゃんに会いに来たんだから」
「あ、俺はレイちゃんと飲みに来たでぇ!」
「はいはい……」
レイは肩を竦めて二人の注文を聞き、酒を作り始めた。悟郎がこの店に飲みに来るのは初めてではない。たまに顔を出しては、女の子を放って怪談好きの馴染み客と盛り上がっていたりする。まあ、レイとしては気が楽な客ではあるが――
「ね、悟郎さん! 見ましたよあの動画! めっちゃバズってたじゃないですか!」
ミナミが悟郎に酒を出しながら言った。
「ん、どれのこと?」
「ほら、ちょっと前のやつ……えっとぉ……」
そう言ってミナミはスマートフォンを取り出し、操作する。
「ほら、これこれ」
「ああ……」
悟郎はそれを見て微妙な表情をした。レイはそれを隣から覗き込む。動画は先月配信されたもので、そのタイトルは「死に続ける男の怪」――確か、敦子が来たあの時のライブで話したものに、敦子から聞いた話を加えて単体の動画として再編集したものだ。
ある事件で殺害された片足のない遺体が、実は過去に渡ってあちこちで死に続けている存在である、というもの。そして、実際に起こった殺人事件において、片足、片目の被害者の遺体から採取されたDNAが、十年前に起こった事件被害者の遺体と一致した――
この動画は配信後、SNSで拡散されて話題になり、それなりの再生回数が記録されていた。
「……どうしたんですか? 浮かない顔して」
ミナミが不思議そうな顔で悟郎を見る。悟郎はぶすっとしてハイボールのグラスを傾けていた。
「……そのネタ、横取りされたから不本意なんでしょ、兄さんは」
レイが横から口を出す。ボタさんがそれを聞き、声をあげて笑う。
「あー、あれやろ? 『スミスの隣人』てやつに便乗されて……」
「いや、ボタさん俺はね……ミナミちゃんも聞いてよ。レイも!」
「はいはい、伺おうじゃないの」
悟郎はハイボールをカウンターの上に置き、身を乗り出す。
「以前から、『スミスの隣人』はずっと『殺されスミスの恋人』の動画だけを公開し続けてる。怪談や都市伝説を集めるんじゃなく、とにかくあのネタだけをね」
そう言って悟郎は自分のスマートフォンを操作し、動画を出して見せた。それは「スミスの隣人」を名乗る人物が、動画配信サイトで公開した動画の一覧だ。一番古いものは去年の秋ごろの日付になっている。
「この前の配信で、この『スミスの恋人』についても話題にしたし、あの動画でも少しだけ触れたんだ。それがバズったから、あちらさんの動画も再生数が結構回ったらしい。そうしたらさ……」
悟郎はまたスマートフォンを操作し、こちらに見せた。
「露骨に便乗してきやがった。こっちの内容に乗っかって……」
悟郎の見せた画面に表示されたのは、「都市伝説・殺されスミスの恋人 その8 神泉の惨殺遺体事件を追え」とタイトルされた動画だった。
「神泉の惨殺遺体事件……?」
ミナミがハイボールのグラスを悟郎に手渡し、交換にスマートフォンを受け取って動画を見始める。動画自体は4分ほどの短いものだ。その内容は、DNAが一致したという話題の事件の被害者こそ、渋谷区・神泉で発見された遺体なのだと語っている。
「それはまあ、いいとしても……最後のこれはないよ、これは。配信者としてやっちゃいけない」
横からスマートフォンの動画を覗き込んでいたレイは、悟郎たちのその話を理解した。「野上あす香(24)、風俗店勤務」というテロップが、顔写真と共に表示されたのだ。
悟郎がグラスを手に大きく手を動かしながら熱弁を振るう。
「俺だって実際の事件を取り上げることはある。だけど、そういう時は細心の注意を払わないといけない。取り上げられたところが迷惑を被るなんてことがあっちゃならない。たしかに俺たちは怪談なんて不謹慎なことをやってるけどだからこそね、そういうとこは譲っちゃだめだろう」
悟郎の隣で、ボタさんも真剣な顔で頷いている。
「だからね、俺は自分の配信が、間接的とは言え、現実の人間を晒し者にするような事に繋がったことが悔しくてね……」
レイはスマートフォンから顔を上げ、頷いた。
「これはたしかに酷いな……こんな胡散臭い話に、名指しで……」
「せやな。俺らのやっとることは基本、胡散臭いんや。胡散臭いままでいなあかんねや。それがそいつはなんでぇ、色気出しよってからに……」
妙なところに憤っているボタさんの話を聞き流し、レイは自分のスマートフォンでその動画のページを見た。案の定、視聴者からのコメント欄は、実名の公開を茶化す声や激しく批判する声で溢れていた。野上あす香の個人情報を晒している者までいる。そしてどうやら、その炎上は悟郎の動画やSNSの方にまで及んでいるようだ。
悟郎がショックを受けるわけだった。人気配信者としてそれなりに影響力を持つ悟郎が、意図しなかったこととはいえ、実名晒し動画の炎上に加担することになってしまったのだから。ネットによって生まれた新たなフォークロアの世界では、誰もが突然被害者になったり、または加害者になってしまうこともある。
「この子も殺人の容疑者とはいえ、まだ逮捕されたわけでもないのに……」
そう呟いてレイは、さっきから黙っているミナミの方を見た。ミナミはスマートフォンの画面を凝視して、目を丸くしていた。
「どうしたの、ミナミさん……」
「これ……この子……」
ミナミは震える唇で言った。
「この子、知ってる……昔、一緒に働いてた、アスカちゃん」
「……え?」
ミナミは顔を上げ、レイを見た。
「前にいたお店で……風俗とガールズバー両方やってる子だったの。お金に困ってるとかで……」
ミナミは悟郎にスマートフォンを返した。
「っていうか、最近連絡来たんだ。なんかビジネスサロン? だかのパーティに行かないか、って……」
「ビジネスサロン?」
レイが訊き返すと、ボタさんがそこへ口を挟む。
「なんやそれ、いわゆるネットワークビジネスとかちゃうの?」
「うん、あたしもそうだと思って断っちゃって……それがこんな、一体なんで……?」
「落ち着いて、ミナミさん……」
レイは動揺するミナミの背中に手を当て、男性スタッフを呼んだ。いったんバックヤードで休ませるように言う。
ミナミがバックヤードに下がるのを見送りながら、悟郎がため息をついた。
「……怪談ってのは不謹慎だけど、無責任な娯楽でなきゃいけないんだ」
「今回のことは別に、兄さんのせいじゃないよ」
陽気に振舞ってはいるが、悟郎もかなり動揺しているようだった。たしかに――とレイは思う。悟郎が自分の動画で取り上げた話は「神泉の惨殺遺体事件」と一致するように見える。自分が怪談として配信した内容が、殺人の容疑者とはいえ、実在の人物を名指しで中傷するような結果になったのは不本意もいいところだろう。
(だけど、そういえば……)
レイの頭に疑問が浮かんだ。そもそも、悟郎にその話をした人物――敦子はこの「神泉の惨殺遺体事件」を知っていたのだろうか?
――と、そのとき、店の一角から声が上がった。
「なんだよ! なにが悪いんだよ!」
思わず声のした方を見ると、客のひとりに男性スタッフがなにごとか話している。
「ええ、ですからねお客さん、この店の中で勧誘とかそういう行為はやめていただきたいと……」
「勧誘じゃねぇよ、自分のビジネスについて話してるだけじゃねぇか。詐欺みたいに言うんじゃねえよ」
喚いている客はTシャツの上にジャケットを羽織った身なりのいい男だったが、その口ぶりはチンピラまがいの粗野なものだ。だが、男性スタッフの側もこうした客の扱いには慣れている。
「ま、ルールなんで。お引き取り願えますか」
他の男性スタッフも何人か、現れて客の男を取り囲むようにしている。
「……なんだよ、シャンパン入れようと思ったのによ! 上客だぜ俺」
客の男は怯みながらも、必死に強がってみせていた。
「……そんなら、俺と一緒に飲もうか?」
不意に、囲みの外から別の男の声がした。スタッフたちが道を開けると、肩幅の広い男が姿を現す。
「九岡さん、すいません騒ぎ起こして……」
「まあ仕方ねえな。お客様のやることだ」
そう言って九岡は端正な眉を動かし、客の男の肩に手をやる。
「どうだお客様、あっちのVIPルームで飲まないか。お前の『ビジネス』ってのについて、話を聞かせてもらいたいしな」
「あ、ああ、いや、その……」
九岡がこの店のオーナーであることを知っていたかはともかく、男は明らかにその雰囲気に気圧されつつ、VIPルームの方へと連れられていった。
「……あれたぶん、吐くまで飲まされるんだろうなあ」
「まあ、平和的な方じゃない?」
カウンターの中の女たちがくすくすと囁き合った。すぐに、店は先ほどまでの賑やかさを取り戻す。
「……最近うちの店、あの手のネットワークビジネスとかの勧誘に厳しいんだ」
レイは悟郎とボタさんにそう説明する。実際、若い女の子たちの不安に付け込むようにして、法律的にグレーなマルチ商法や情報商材ビジネスなどが蔓延しているのはレイも感じている。最近は姿を変え、会員制の高額なオンラインサロンに誘うようなものも多い。この町の水商売の顔役でもある九岡は、自らの領域から彼らを排除しようとしているのだ。起業家ぶった学生ノリの新興成金が嫌いだ、と本人も言っていた。
「レイさーん、VIPの方ついてもらっていい?」
男性スタッフから声がかかった。
「お呼びかかっちゃった。それじゃボタさん、また後でね」
「ええ~、レイちゃん行ってしまうん?」
「……あ、チハルちゃんここついてくれない?」
「おお~! チハルちゃん今日もかわええなあ!」
変わり身の早いボタさんと悟郎をその場に残し、レイはVIPルームへ向かった。
* * *
VIPルームとは言っても、「リリエル」のそれは、カウンター中心のフロアから仕切られたテーブル席、というだけのものだ。ただ、ひとり客の多いこの店では、団体での客はここに通すことになる。それ以外のときは、オーナーの九岡が自分の知り合いを連れて飲んでいるのが常だった。
「失礼します」
ボトルを持ってテーブル席に座ると、九岡がその鋭い目をレイに向けた。
「……ああ、レイか。久しぶりじゃないか?」
「あ、憶えててくれたんですね」
「占いもしてもらったからな」
そう言って九岡は同席したスーツの男たちに、レイを紹介した。
「彼女はうちの従業員で、オカルト系のライターで、占い師でもあるんだ」
男たちがほぅ、と感嘆の声を上げる。レイはええまあ、と頷き、「よろしければ占いますよ」と笑う。
九岡はレイともうひとり、テーブルについた女に向かい、「君たちもなにか飲め」と促した。レイは自分の分の酒を作り、同席したスーツの男たちとグラスを合わせる。
「そういえば、さっきの人は?」
「ああ、慌てて帰ってったよ。つまらねえな」
そう言って九岡は電子タバコの煙を吐き出した。
「ま、下っ端のくだらねえやつだったし、この店に二度と来てくれなきゃそれでいいさ」
「相手の組織に追い込みをかけたりとかしないんですかあ?」
同席した別の女が甘ったるい口調で言うのに、九岡が眉をハの字にしかめた。
「俺はヤクザじゃない。ただの飲食店経営者だぞ」
周りの男たちはそれに笑った。それからテーブル席はそれぞれに談笑が始まる。
「……九岡さん」
頃合いを見計らって、レイは九岡に話しかけた。
「……わたし、九岡さんに、訊きたいことがあるんですけど」
レイはそう言ってスマートフォンを取り出す。
「なんだ?」
電子タバコを咥えて応じる九岡に、レイはスマートフォンの画面を見せる。
「野上あす香……?」
九岡の顔色が変わった。レイは画面を見せたまま、話を続ける。
「これ、オカルト絡みの動画なんですけど……この子、晒されちゃってて。九岡さんならこの子のこと、ご存知じゃないですか?」
「……俺の店で働いてた女だよ」
やっぱり、とレイは思う。手広く水商売を手掛けている九岡なら、きっとどこかに繋がりがあるとは思ったのだ。
「で、その女がどうかしたのか?」
「わたし、ほんのちょっとだけこの動画の件に関わってて……この晒され方はひどいと思うし、これのネタ元にも会わないといけないんですけど」
そしてレイは手短に、悟郎の配信動画とSNSでの拡散、そしてこの動画が拡散した経緯を話した。
「ふうん……つまり、取材したいと?」
九岡は少し考える素振りを見せた。レイは身を乗り出す。
「ミナミさんもこの子のこと、知ってるって言ってました。九岡さんが最近気にしてる、マルチ商法にも手を出してたらしいって……」
九岡はじろり、とレイを睨む。そしてポケットからスマートフォンを取り出し、なにごとか操作した。
「この男に連絡をとってみろ。俺からの紹介で、アスカの件でっていえばわかる」
スマートフォンの画面をレイに向けて見せながら、九岡は言った。
「動画なんて放っておけばいいとも思うが……どうも妙なことにはなってるみたいだ。専門家のお前がその辺、話をしてくれれば助かる」
「……わかりました」
レイは九岡のスマートフォンに表示されたQRコードを、自分のスマートフォンで読み取った。
逢間京平――スマートフォンの画面にはそう表示されていた。
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