――3.響谷悟郎の怪談ライブ
「……日本の社会が大きく変わった瞬間っていくつかあって。近年だと大きなものは、2008年のリーマン・ショック、そして2011年の東日本大震災が挙げられるんですけども」
金髪の男がマイクを持ち、フロアから少しだけ高くなったステージの上から語り掛ける。そう広くない会場に集まった男女が、リラックスした様子でそれを聞いていた。
ダイニングバー「ミドル・サード」のフロアは広めに作られており、DJブースやスピーカーが設置されてちょっとしたライブ・イベントなども出来るようになっている。今日、行われているのは、月に一度のトークイベント「現代トーキョー都市伝説巷談ライブ」。主宰者は今話をしている金髪の男――レイの実兄である響谷悟郎だ。
「この前のコロナ騒動もね、その最新になるってぇことなんですかね悟郎さん?」
「あー、そうそう、まさにそれなんですよボタさん。今回のコロナも、確実に大きな出来事だった。このライブもね、それから配信メインでやらせてもらってますけど」
隣に座った共演者が関西弁で言うのに答えながら、悟郎は配信用に設置されたカメラを手で示した。
「最近はようやく、お客さんにもこうして来てもらえるようにして……まぁ、マスクは欠かせませんけどね。いやほんとありがとうございます」
そう言って悟郎は、軽く頭を下げる。壇上の悟郎たちを遠巻きにするようにして、フロアに置かれた椅子に座った観客たちが何人か、釣られて頭を下げた。
「もう、またやってくれて本当に嬉しいです! ずっと来たかったんですよお」
ボタさん、と呼ばれた共演者とは反対側に座った若い女が、黄色い声で相槌を入れる。ゲストとして呼ばれた地下アイドルで、怪談や都市伝説のファンなのだという。
(わたしがああいうことやっても駄目だろうな)
レイは赤いメッシュの入った自分の髪を弄りながら、壇上で交わされるやり取りを聞いていた。黒く細いパンツを履いた長い脚をぶらぶらとしながら、その脚にあのアイドルが身に着けているような、ふんわりとしたロングスカートを履いた自分を想像してみる――うん、あんまりしっくり来ない。
「レイちゃん、なにか飲む?」
カウンターの中から大柄な店員に言われ、レイは瓶が空になっていることに気が付く。
「……同じのを」
「はいよ」
店員はすぐに空になった瓶を引き取り、同じハートランドの瓶をカウンターに置いた。
悟郎の話は続いている。
「それでこの、大きな事件が起こる時に目撃される妖怪の『くだん』っていうのは皆さん、ご存知ですかね?」
「あ! あたし知ってます!」
地下アイドルの女が元気よく手を挙げて言った。
「災害とか不吉な出来事を予言して、そのあとすぐに死ぬ、っていうやつですよね?」
「そう、それ。さすがですね」
悟郎がさらりとそれを受け、話を繋げる。
「これ、古くは江戸時代から話が伝わっているけど、元々は少し毛色が違う。人の顔をした牛の姿で、疫病の到来を告げたあと、『自分の姿を描いた絵を見れば難を逃れる』と告げたって言う話。で、実際にその後、その地域では疫病が起こったと……」
「ちょっと待って悟郎さん、それってあれじゃない? コロナのときに流行った……」
「そうそう、『アマビエ』と似てるでしょ? どうやら、起源は同じなんじゃないかと思うんですけどね」
(この話、前に調べたな)
レイは冷たいビールを喉に流し込みながら、「くだん」と「アマビエ」についての記憶を辿る。コロナ禍の中でアマビエが話題になったとき、原稿を依頼されてニュースメディアに記事を書いたのだ。
獣身人面の妖怪が予言を告げる、というのは江戸時代にはポピュラーな物語で、牛の身体に人の顔であったり、魚の身体に人の顔の人魚であったり、様々な姿で目撃されたという文献が残っている。元をたどると、明代の中国で騙られた「
「アマビエっていうのは恐らく『アマビコ』が誤読されたものなんですけどね。元は三本足の猿のような妖怪だったらしい。これが、人魚姿の予言妖怪と結びついたものじゃないかって考えられてますが……それがこの令和時代に引っ張り出されるなんて、まさか誰も思ってなかったでしょうねえ」
悟郎がステージ上でそういって笑う。とはいえ――とレイは心の中でその話に応じる。定型化されたこの伝承は時代を降って伝えられ続けたのだ。アマビコやくだんの話は明治のころまで記録があるし、昭和になってからは「人面犬」の都市伝説においても、予言という側面が反映されたものがあったくらいだ。最近では、「予言をしてすぐ死ぬ妖怪」という特異性からか、ネットを中心に「くだん」がまた知名度を上げている。
「死ぬことで世界に存在する妖怪、か……」
レイはビール瓶をカウンターの上に置いて考えた。不吉の前兆を告げ、そして死ぬというのは、生贄の思想とも考えられる。何者かの命を犠牲にすることにより、災厄を回避する発想だ。
かつての村落共同体には、氾濫する川に生贄を捧げたという話も多く伝わっている。しかし現代に至ってはそうした小規模な共同体は崩壊し、大きな社会の中で個人が生きる世界となった。そうした宇宙観の下では、「共同体の内から犠牲を出す」という発想は成り立たない。だからこそ「見知らぬ誰かが犠牲になってくれる」という発想がこうした伝承を生んだ――というのは飛躍した仮説だろうか。
「……それだけじゃなく、阪神大震災や東日本大震災でもこれが目撃された、という話があったりするんですね。問題はここからなんです」
ステージ上での話は続いていた。悟郎がそこで
ある女性が、仕事で遅くなって夜中の町を歩いていた。
ほとんどの店は閉まり、道には誰も歩いていなかった。灯りの消えた町はびっくりするほど暗く、静かだったと、女性は回想した。静かな繁華街の不気味さに、女性は足を速め、家路を急ぐ。
――と、そのとき女性の前方に、ふらふらと動く影が見えた。
目を凝らして見ると、それは黒い服を着た男のようだったが、どうも少し様子がおかしい。よく見れば、片足をひょこひょこと引きずりながら歩いているのだった。
女性はなんとなく気味の悪いような気がしながらも、男とすれ違ってそのまま通り過ぎようとした。
しかし、すれ違おうとするその直前、男が立ち止まり、女性に向かって言った。
「俺、これから死ぬんだ」
女性は驚き、思わず男の顔を見た。男はまた言った。
「世の中は限界だよ。もうすぐ大きな災害が起こる。だからおれは死ぬんだ。次が来るまでの繋ぎだよ」
女性は慌てて駆け出し、その場を去って家へ逃げ込んだという。
それからしばらくして、阪神大震災が起こった。
神戸で被災したその女性は、避難する最中、倒壊した建物から運び出された遺体を目にした。片足が失われたその遺体の顔は、あのとき、声をかけて来た男だった――
「……そしてそれから十六年後、東日本大震災が起こりました」
悟郎がそこで話を切ると、集まった人々が息を呑む。
「神戸で被災した経験もあって、その女性は東北にボランティア作業に行っていたんですが……その中で、亡くなった方の遺体を見たことがあったらしいんです。で、その遺体からはやはり片足が失われていて……」
悟郎は一瞬間を置いて、客席を見た。
「……その顔は、神戸で見たその男と同じだったんだそうです」
店内に感嘆とも悲鳴ともつかない吐息が響き、観客は顔を見合わせる。どこか満足気なのはさすがに怪談ファンたちだというところだろう。
目を丸くしていたボタさんが、マイクを口元に持ってきて口を開く。
「しかし悟郎さん、その話、あれにもちょっと似てますね、ほら」
悟郎は「ああ」とそれに応じる。
「あれでしょ、最近話題の『殺されスミスの恋人』……」
「そうそうそう! 同じ人物が何度も死ぬってところがね」
悟郎は配信カメラの方に向いた。
「これね、実は最近、我々の間でちょっと話題のやつで。『スミスの恋人』で動画を検索してみて欲しいんですけど」
「いや、話自体は置いといて、この動画が熱い」
「そうそう」
ボタさんが自分のスマートフォンを操作し、画面を客席に向かって見せる。
「この人、この都市伝説だけを取り上げて、何本も動画公開してんのよ。いろんな事件の記録を紹介したりしながらね」
「投稿者名からして『スミスの隣人』ですからね。気合入ってます」
「えー、なんですかそれ、私も見てみます」
地下アイドルの女が相槌を打ち、ステージ上の話はさらにあれこれと盛り上がり始めた。レイはそれを聞きながら、自分のスマートフォンで「スミスの恋人」の動画を探してみた。なるほど、去年あたりから七本の動画が投稿されているが、どれも同じテーマを掘り下げているもののようだ。元々都市伝説の研究者であるレイとしても、それは興味を惹かれる取り組みだった。あとでゆっくりと見てみようかな――
「……レイさん」
と、かけられた声に思考を遮られ、レイは振り返った。そこには、店の入り口からたった今、入って来た様子の女性が立っていた。
「敦子さん! 今来たんですか?」
「ええ、遅くなっちゃって……」
その女性はハンカチを取り出し、首元を軽く拭った。後ろに束ねた髪の毛を振り、神経質に服装を整える。
「ちょうどこれから休憩時間ですよ。ほら、飲み物頼むなら今のうち」
レイに促された敦子は、カウンターの上に置かれたメニューを覗き込んだ。
秋山敦子はこのイベントに顔を出す客のひとりで、レイとも顔見知りだった。なんの仕事をしているのかは知らないが、「堅い仕事」だとレイは聞いている。怪談や都市伝説となれば目の色が変わるマニアというほどではないようで、どうもイベントの雰囲気を楽しむのが好きらしい。いつもひとりで来て、後ろの方の席で話を聞いていたが、たまに自分の知る怪談話をレイや悟郎に教えてくれる。
そこで悟郎の話が終わった。次のステージは三十分後だ。他の客が飲み物を注文しにカウンターへと集まって来る。レイはカシスソーダのグラスを受け取った敦子と共に、カウンターを離れて店の隅に移動した。
「やあ敦子さん、来てたの」
そこへ悟郎が声をかけてきた。敦子は軽くグラスを掲げて悟郎に応じる。
「兄さん、さっきの話ってどこで仕入れたやつ?」
「え? ああ、えっと……すぐに思い出せないな。少し前に取材した話だから……」
そう言って悟郎はスマートフォンを取り出してなにかを捜し出した。悟郎は取材した怪談や都市伝説の話を、スマートフォンに録音したり、メモとして残したりしている。
「あの……さっきの話って、『くだん』の?」
敦子が横から口を出した。
「あれ、敦子さん、今来たところじゃないの?」
「配信、スマホで聴きながら来たから。ちゃんと聞いてましたよ」
敦子はそう言ってスマホを出して見せた。そしてそのあと、すぐに真剣な顔になる。
「それで、あの、震災のときに同じ遺体がっていうの……結局その遺体の身元はわからないままなんでしょうか?」
「うーん、そこまで詳しくはわかりませんけど……」
曖昧に言う悟郎に対し、敦子は身を乗り出す。
「それを見た女性って、どこにいるんでしょう?」
「いや、あの、俺は直接その人を知ってるわけでは……」
落ち着いた雰囲気の敦子が、妙に食い下がるので、悟郎はしどろもどろになっていた。
「敦子さん、あの話にそんなに興味が?」
「あ、いえ……」
レイが口を挟むと、敦子は少し口ごもり、目を泳がせた。なんだか、いつもと様子がおかしい――レイは敦子の顔を眺める。顔のパーツは小さめで、派手さはないが理知的で上品な印象を抱かせる顔だ。きれいなハの字を描くその眉がレイは好きだったが、どうも今日はその表情に、いつもと違う翳りがある気がする。
「……実は、少し前に似たような話を聞いたことがあって」
敦子が息を吸い、そう切り出した。途端に、悟郎の目が輝く。
「おっ!? ということは『くだん』系の話ですか!? 都市伝説寄りの話か、それとも怪談か……」
悟郎はスマートフォンのレコーダーアプリを起動し、「録音しても?」と敦子に尋ねる。
「えっと、『くだん』と直接関係あるわけじゃなくて、さっき悟郎さんが話したのを聞いて思い出して……」
悟郎に促されて、敦子は「知人から聞いた話なんですけど」と前置きをし、話を始めた。
「……ある場所で殺人事件があったらしいんです。それも、片足と片目がないっていう異常な死体だったみたいなんですけど……でもその遺体、身元がわからなくて、捜査が行き詰まり……」
敦子はもごもごと言葉を選びながら話を続ける。
「それで、DNA情報とかをあれこと照会してみたら……一件だけ、それらしき記録が発見されたらしいんです。それが……」
それがどうやら、十年前に起こった別の殺人事件の被害者だった――
敦子の話を聞いた悟郎が、感嘆の声を漏らす。神妙な顔を作っているが、その顔は嬉しくてたまらないといった風だ。敦子は目を泳がせながら、言葉を継ぐ。
「……もしかしてその一回だけじゃなく、他にもその人は死んだことがあるのかも……」
「いいですねいいですね! それもしかすると、さっきの都市伝説の源流になってる話かもしれませんね!」
悟郎が興奮気味に身を乗り出した。まったく、これだからマニアは――と思いつつ、レイもその話には興味を惹かれてつい、横から口を出す。
「その知人っていうのは、警察関係の方なんです?」
「あ、いえ、その……詳しくは知らないんですけど」
敦子が眉を寄せて困った顔をしたので、これはそれ以上聞くなっていうことだな――と、レイは直観した。
「……いや、これは不謹慎かもしれないけど、本当に興味深い。さっきの話は予言と結びついたのか、災害現場に現れる遺体だったけど、実はそれ、災害に関わらず街中でも起こったって考えれば、これは……」
悟郎はしきりに頷いていた。
「……本当に不謹慎だよね」
レイは肩を竦める。まあ、自分もあまり人のことは言えないが――
敦子がくすりと笑った。
「でもほんと、皆さんは真剣に聞いてくださるから面白いです。旦那に話しても反応薄くて……怖がりもしないし」
「まあ、わたしも怖がりはしないかな。面白いけど」
レイは苦笑した。悟郎が横から言う。
「今度はその旦那さんも連れて来てくださいよ。とっておきの話を用意しときますから」
そこでステージの側から悟郎を呼ぶ声がかかった。悟郎はステージに向かい、レイは敦子と隣り合ってカウンターの椅子に座った。
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