第3話 女神の涙

 コンコンコン!

 扉をノックする音で、ウトウトしていたことに気づく。

「リンカさん、お食事の準備が出来ましたのでテーブルまでお越しください」

 テーブルとは結界の間の中央にあった大テーブルだろう。さっきは気も漫ろでよく見てはいなかったが、10人は座って食事が出来そうな大きさだった。

「わかりました。ありがとうございます」

 返事をしてから起き上がる。先にトイレを済ませてから行くことにする。

 部屋の隅にあるツボの蓋を取る。中を覗き込むと何もない空だとわかる。

 ……よし。

 淵が太く座りやすくなっているツボに腰掛け、小さい方を致す。

 すると、何やらツボの中がグツグツ言い出したみたいだが……気のせいだよね……

 グツグツ。

 気のせいではない。むしろ気になって仕方ない。好奇心のくすぐりには勝てない。

 もらった布で拭いてから、グツグツしたツボを覗いてみる。

 ツボの中はグツグツと音を立てながら、液体が砂にみるみる変わっていく。

 さすがに変わった砂を触ってみるのは憚られるが……でも……駄目よダメダメ!湧き上がる好奇心をぐっと抑えて部屋を出る。

 先に水場で手を洗う。と言っても水道なんてものはなく、先ほどの井戸部屋で水を汲んで洗うのだ。

 トイレ時の拭き布を洗うのも忘れない。これを放置したら臭くてたまらなくなるだろう。


 結界の間の中央にある大きな長テーブルには食事が並べられていた。おそらく夕食である。

 また、わたしと同じような服を着た人が10人ほどすでに席についている。なんとなく他にもいそうかなと思っていたが、予想以上に多かった。やはり、全員光を帯びている。

 そして、3人の修道女が食事の準備に忙しそうだ。その中にはビアンカの姿がある。あとの2人は知らない人だ。

 案内された端っこの席につく。10人ほどが座ってもまだまだ席が空いているので予想以上に大きな長テーブルだった。20人……頑張れば座れそうか。

 全員が席についたようで、修道女たちが両手を胸元で組んでお祈りの体勢を取る。そうすると、全員が同じようにお祈りの体勢を取った。わたしもあわてて真似をする。

「大いなる女神様。祝福に感謝を。恵みに祝福を。感謝を胸にいただきます。ヴェーレ」

 全員で復唱する。いただきます。ヴェーレ。

 夕食のメニューは質素なものだった。パンとスープ。それだけである。さすが修道院。

 パンは焼き立てのようだが、フランスパンのように固い。焼き立てなのに固いとは一体。

 スープは野菜スープのようだ。嫌いじゃないけど、味が薄い。塩が欲しい。

 おなかが空いていたし、贅沢を言える立場じゃないので黙々と食べる。美味しいと思えば美味しいのだ。

 食事に関しては、ロッコになっている時に何度も経験しているのでだいたい想像通りだった。

 この世界は食材の種類は少ないが量は豊富で飢えることはないようで、街で暮らしている限りは飢え死にするような人はいなさそうだった。

 ただ、料理が発達していないのか、楽しむため食事というよりは生きるための食事といった感じである。

 この世界にもいるらしいお貴族様の食事ならまた違うんだろうけど……

「お嬢さんは、お貴族様ですか?」

 食事について考察していたところに、向かい側に座っていた30代ぐらいの大人な女性から声がかかった。

「いえ……普通です……けど?」

 なんと返すべきかわからずに、よくわからない返事をしてしまう。

「普通……ですか。ふふ、面白い娘。私はカミラと言います。よろしくね」

 カミラは、キラキラした赤毛で直視するのを拒否するような赤い瞳をした美人さんだった。背丈は160㎝ぐらいだろうか、ほっそりとしているが筋肉が見て取れる健康そうな体つきだ。鍛えてるのかな。

「あ、リンカです。よろしくお願いします」

 何が面白いのかはわからないが、第一印象は悪くないようで何よりだ。

「リンカさん。貴女、若いのにすごい魔力ね。異国の魔法使いか何か?」

 よっぽど顔立ちが珍しいのか、すぐに異国人だとわかるようだ。異国どころか異世界だけどね。

「いえ……名前以外何も憶えてなくて。魔法とかもわからないし……魔力が多いとかわかるんですか?」

 魔力というものが何なのか。わたしの中途半端な異世界知識ではよくわかっていない。

 魔法を使うのに必要な力だろうとは想像がつくものの、そもそも魔法自体がなんなのかもわかっていない。

「そうね……貴女の体の光り方もそうだし、信じられないけど、とても大きな魔力のオーラを感じるわ」

 カミラによると、魔力というものは、体の成長と共に大きくなるものらしく、子供よりも大人の方がずっと大きいそうだ。しかも、男性より女性の方が何倍も大きいらしい。だから魔法使いという職業はほとんどが女性なのだそうだ。まれに、魔力の多い男性もいて、魔法使いにもいるらしいのだが……これはあれか、現実世界でいう女性ボディビルダーみたいな貴重なレアキャラということだろうか……?

「……とにかく、貴女みたいな若さで女神の涙なんて聞いたことがないし、その魔力ならただ者じゃないだろうからお貴族様かと思ったんだけど……違うのね?」

 記憶喪失の設定なのにお貴族様じゃないと否定するのもおかしな話だから、質問には答えずに質問をかぶせることにする。

「……ええと、女神の涙っていうのは、魔力が多くないと起きないのでしょうか」

 わたしの質問にカミラは目を細めたが、何かを得心したのか笑顔で語りかける。

「貴女、食事がすんだら私の部屋へいらっしゃい。いろいろと教えてあげましょう」

 いろいろと、の部分が気にならないことはないが、こちらもいろいろと教えてほしいので有り難いお誘いだ。

「あ、ぜひ、お願いします!」

 元気よく答えて、食事に戻る。パンをスープに浸しながらガツガツ食べて片付ける。固い、薄い、固い、薄い。

 いや、決して不味いわけじゃなく、美味しいですよと心で女神様に言い訳する。贅沢言ってはいけない。

 食べ終わったら、両手を胸元で組んでごちそうさまをしておく。これで罰は当たらないだろう。

 周囲を見ると、だいたいみんな食事が終わっているようで、それぞれの部屋に戻って行く。

 カミラも自分の部屋の位置をわたしに伝えて去っていく。一番奥の部屋、わたしの部屋の向かい側の部屋のようだ。

 修道女たちも食事を終えているようで、食器を片付け始めている。

「お手伝いしますよ」

 とわたしは名乗りを挙げ、食器を片付け始める。

「そんなお気遣いいただかなくて結構ですが……ではお願いできますか」

 ささっと食器を回収して行く。完食していない皿は少なくないが、喫茶店で何年もアルバイトしているわたしには何のことはない。パンとスープの残飯を指示されたツボにそれぞれ入れる。皿は重ねてまとめる。

「見事な手際ですね。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 褒められて上機嫌である。この世界に来て、初めて役に立てて嬉しい。

 修道女たちは、一切合切を2つのカートに分載して結界の間を出て行く。ビアンカだけは入り口の一番近い部屋に入って行った。ひとりだけ残るようだ。管理人さんみたいなものなのだろうか。

 わたしは、水場に行って顔を洗って歯を磨くことにする。とは言え歯ブラシはないので指で歯をこする。コップもないので手で掬って口を濯ぐ。顔を洗う。タオルがないのは不便だね。仕方なく服で水を拭う。

 他の人たちはどうしてるのかな。まさか歯を磨く文化がないとか?まさかね。

 とりあえず、すっきりしたわたしはカミラの部屋へ向かう。


「カミラさん、リンカです」

 部屋の扉をノックしてから声をかける。

「どうぞ、いらっしゃい」

「お邪魔します」

 言葉を交わして部屋に入る。レイアウトはわたしの部屋と同じのようだ。カミラはベッドに腰掛けていて、わたしはすすめられた椅子に座る。

「さて、改めましてリンカさん、よろしくね。私はこの街で魔法使いギルドの主宰をしているカミラです」

 わたしがぽかーんとした顔をしていたのだろう、カミラは笑顔で話を続ける。

「本当に何も知らないようだから、一から説明しましょうか」

 そう言うとカミラは魔法について話し始める。

 魔法というのは、魔力によって何らかの作用を起こすことすべてを総称するらしい。そして魔力とは、魔素と呼ばれるこの世界の力の源を操る力、すなわち、魔素をエネルギーとして使える状態にしてコントロールすることだそうだ。魔素はこの世界のすべての源であり、すべての物質は魔素を元に出来ているらしい。

 要するに、現実世界とはまったく似て非なる世界であり、知っている常識は役に立たないということだろう。

「一人ひとりの魔力は成長と共に大きくなるのだけど、ひとりの人間が扱える魔力の量というのはたかが知れているのよ。だから魔力は大きくなるにつれてだんだん制御が難しくなるの。そして時々、とても扱いきれないような魔力を持った人がいたりするのよ。貴女のようにね」

 とカミラはわたしを見つめる。

「……ということは、わたしみたいな制御出来ない魔力が暴走することが女神の涙ということなんでしょうか」

「そうね。でも女神の涙と呼ばれる所以は、魔力暴走の結果、被害の大きさに悲嘆にくれるからなんだけどね」

 ……なんて恐ろしい!女神の涙!

「魔力の暴走を防ぐ方法はないのでしょうか」

 わたしは一番知りたい素朴な疑問をぶつけてみる。

「もちろんあるわ。魔力を制御する力をつけるか、暴走する前に魔力を使ってしまえば良いのよ」

 それはそうか。当たり前と言えば当たり前。でも……

「でも、貴女は魔法が使えないからどちらも無理ね」

 ですよねー!うんうん、知ってた。

「とりあえず、ここにいれば結界があるから暴走はしないし、魔法の練習をすればいいわ。私が手ほどきしてあげるから」

「本当ですか!やった!」

 魔法だ魔法!夢の力!あんなことやこんなこと出来るかなあ……

 とウキウキしていたが、ふと疑問が生まれる。

「カミラさんは、すごい魔法使いなのにどうしてここにいるんですか?」

「残念ながらすごい魔法使いではないんだけど、私は……気分転換を兼ねて、かな。それに、貴女ような人に会えたりするからね」

 素敵な笑顔。美しい。

「じゃあ、明日、魔法を練習してみましょうね」

「はい、よろしくお願いします」

 そんなやり取りをして、部屋に戻ることにする。明日が楽しみだ。

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