第4話 魔法の初歩の初歩

 夢は見なかった。いや、憶えていないだけかもしれないが。

 昨日、部屋に戻ってからはベッドでバタンキューだった。

 この世界が夢で、寝たらいつもの日常に戻ると淡い期待をしていたのだが……そうはならなかった。

 気持ちを切り替えてわたしは起き上がる。

 この部屋には窓がないが、明り取りなのか、ところどころに開いている隙間から差し込む光と、鳥たちの鳴き声でどうやら朝らしいことがわかる。

 時間がわかる魔法とかあるのだろうか。いや、そもそもこの世界に時刻という概念があるのかも謎だし、1日が24時間というわけではないだろう。この世界で暮らして行かなくてはならない現状では、生活リズムを掴むためにも時間は重要だ。あとでビアンカかカミラに聞いてみなければ。

 グツグツいわせながらトイレを済まし、顔を洗うため水場へ向かう。

 すでに何人かが中央テーブルで本を読んでいた。修道女の姿は見えない。朝の挨拶をしておく。

 この世界には普通に本があるようだ。どうやらどこかのお貴族様の出番はなさそうである。

 水場には誰もいなかったが、使われた後があった。どうやらこちらの世界の人たちは朝が早いようだ。

 顔を洗って、指で歯を磨く。石鹸が欲しいなあ。あとは、あの水をお湯に変える魔法を覚えたい。お風呂がなさそうなこの世界では、盥のお湯は非常に重要だ。

 濡れた手を服で拭って水場を出る。

 カミラの魔法教室がいつから始まるのかわからないし、朝食とかもらえるのかもわからないので、結界の間を散歩してみることにした。

 結界の間の入り口は1か所だけ。立派な木製の両開きの扉だ。扉自体に魔法がかかっているのか、ほんのりと光を帯びている。

 結界の間自体は中央部分が吹き抜けになっていて、1階と2階がある。左右に小部屋がずらっと並んでいる。ずいぶんと柱の多い建物だ。全体的に石造りの建物で窓は見当たらない。ただ、ところどころに明り取りがついている。2階には手すりの付いた廊下が見える。階段は入り口付近に左右それぞれにある。

 天井は不思議な模様が描かれていて天井自体がなぜか明るい。

 不思議だなあとウロウロしていると、入り口の扉が開いて修道女たちが入ってきた。ビアンカの姿も見える。どうやら朝食のようだ。


「おはようございます!」

 元気よく挨拶して配膳の手伝いをしようと思ったが断られたので、おとなしく席について待つことにした。

 結界の間の住人たちも部屋から出てきて席につき始める。

 カミラも出てきた。

「おはようございます、カミラさん」

「おはようございます、リンカさん。朝食が終わったら、練習しましょうか」

「はい!」

 朝からテンションが上がる。

 朝食のメニューは、パンとスープである。昨日と違うのはスープが豆のスープであることだろう。

 全員でお祈りをしてから食べる。うん、やっぱり薄味。

 食後、片づけを手伝う。片付けを手伝うのは良いらしい。

「ありがとうございます、リンカさん。ああ、リンカさん、後ほど司祭様がいらっしゃるそうです」

 とビアンカに告げられる。ついに登場、司祭様!楽しみである。

 トイレ、洗面を済ませて、カミラの待つ中央テーブルへ向かう。

「お待たせしました」

「リンカさん、貴女、水場が好きね……まあ、きれい好きなのは良いことだけど」

 文化の違いなのか、この世界の人たちはあまり水場を使わない。文明が発展していないからだろうか、あまり着替えることもしないようだ。少なくとも、わたしに着替えは用意されていない。臭くなりそうだ……

 衛生観念というものは生活習慣によるものなので、そう簡単には変えられないものだ。毎日お風呂に入り、毎日歯を磨いて、毎日着替える。当たり前がこちらの世界では違うのかもしれないが、きれいにしないということが気持ち悪い。生活していくと慣れるのだろうか。うーん、それもあまり良くない気がするし、清潔を保つ方法を考えないとだめかもしれない。例えば……そう、魔法を使うとか。

「きれいにする魔法とかありませんか」

 率直に聞いてみる。

「直接きれいにする魔法は残念だけどないわね。でも、水を操ることは出来る。よし、最初は水からね」

 残念だが、魔法といえども万能ではないらしい。

「まずは、魔力を動かすことから始めましょう。貴女は魔力が溢れるぐらい多いのだし、すぐに出来るようになると思うわ」

 カミラはそう言うと席を立ち、両手を差し出した。わたしも促されるまま向かい合わせになり両手をつなぐ。

 途端に広がる星空。カミラの満天の星空はすごかった。色とりどりの力強い光たち。星々が整列でもしているような、とても整った感じで、人工的な光のような印象を受ける。

「どうかしました?」

 呆然としていたらしい。

「あ……いえ、カミラさんの星空がきれいだったので……」

「……星空?どういうことかしら?」

「えーと……誰かと手をつなぐと、その人の星空が見えるんです。星空なのかどうかもよくわからないけど、真っ暗なところに小さな光がたくさん見えるんですよ」

「へえ、面白いわね。その光は、魔力の輝きかもしれないわよ。貴女は他人の魔力を視ることが出来るのかもしれないわね」

「魔力を……視る……」

 まだ魔力というものが何なのかよくわからないが……そういわれるとそんな気がしてくる。最初に出会ったおじさんや兵士は魔力の少ない男性だったから星空がまばらだったのではないか。修道女は魔力が豊富だったから満天の星空が見れたのではないか。

「魔力のコントロールを身に着けていくと、自分や他人の魔力もだんだん見えるようになってくるから、いずれはっきりするでしょう。さあ、続けましょう」

 カミラはそういうと目を閉じる。

 すると、つないだ右手から何か温かいものが流れてくるのを感じる。同時に左手から何かが出ていくようだ。

 右手から入って体を通って左手から出ていくエネルギーの流れがあった。不思議な感覚だ。

「さあ、意識を集中して、魔力の流れを感じて……」

 エネルギーの流れに意識を向けると、ふっと体が浮き上がるような感覚がする。自分の中の別の自分なのだろうか。とても大きなエネルギーを感じる……エネルギーが流れて行く。とても心地がいい。

「良いわね。上出来だわ」

 見ると、カミラが汗ばんでいた。魔力を動かすというのは大変らしい。

「貴女の魔力は大きいから、動かすのも大変だけど……あとは慣れね。今の間隔を忘れないようにして、自分で練習すると良いでしょう。ここなら魔力が暴走しないから」

「わかりました」

 魔力を、動かす。単純そうで難しい。感覚を忘れないようにしなければ……。

「さて、魔力が動くようになれば、その魔力を使って魔法が使えます。例えば……」

 なんとカミラの右手の平に水が球になって浮かんでいる。

「大きくしたり、小さくしたり、勢いをつけてみたり……」

 そう言って、噴水のように上に水を噴出したカミラ。

「わー!すごいー!」

 わたしは拍手をする。

 だが、一面水浸しになるんじゃないだろうかと心配したのだが、そんなことは無用だった。

「水を出せるし、出した水は消すことも出来る。思い描いたとおりに出来るのよ」

 なんとも便利な魔法である。確かにこれが出来れば、水場に行く回数が減らせそうだし、トイレの後の洗浄も出来るのでは……他にも水流歯磨きとか、濡らさずに頭を洗うこととか……夢が膨らむ。


「私が魔力の操作を手伝うのでやってみましょう、リンカさん」

 とわたしの右手を取るカミラ。

「水の球を思い浮かべて……より正確に。より具体的に。魔法は想像力よ」

 魔法は想像力……目を閉じて水球を強く思い浮かべる。より正確に。液体。H2O。透明でサラサラしている。ベトベトしてはいない。光は屈折する。……あー、プールの水は塩素の臭いがして……

「ちょ、ちょっと、リンカさん!?」

 えっ?と顔を上げると直径1mにもなろうかという水球が頭上に浮かんでいた。

「ええ!?」

 バシャーン。

 制御のなくなった水球がぶちまけられ、カミラも含めてずぶ濡れである。なんとなくプールのような塩素臭がした。

「……気を抜いては駄目よ。それにしても……初めての魔法とは思えないわ。やっぱり貴女、魔法使いなんじゃないの?」

 とても落ち着いた様子でカミラは言う。

 そんなはずはない。普通の女子大生だったし、もちろん魔法なんて見たことも聞いたことも使ったこともないのだ。まったく心当たりはない。

「いえ……そんなことは……ない……と思うんですけど……ね」

 と言ったそばからずぶ濡れだったはずの体が乾き始める。どうやら制御を失った水はしばらくするとどこかに消えてしまうようだ。摩訶不思議だ。さすが魔法である。

「……もし、本当に初めてならものすごい才能だわ。普通は水に触れて、水を理解するだけでもひと月はかかるのに、最初から水を出せるなんて……」

 そういわれてピンと来た。これは教育の違いなのだろう。わたしは水が何なのか知っている。体系化された教育を受け、知識として理解しているのだ。逆を言えば、この世界では体系化された教育ではなく、経験に基づいた結果としての知識で魔法を使うのだろう。

 魔法は想像力。なるほど納得である。でも……

「でも、魔力の制御が出来ないと話にならないわね」

 はい、その通りです……今のままじゃ、何をするにもずぶ濡れである。

「じゃあ、これを使って、中に雫を垂らしてみて」

 カミラはどこからかコップを取り出す。これも魔法だろうか。

 長テーブルの角にコップを置き、2人ともそばに座る。

「指を管だと思って、水滴をコップに垂らすように……ゆっくりと」

 細く、細く。小さな水玉がゆっくりと指の中を動いて行くように。そして指先からひと雫が……

 ボチャン。

 雫がデカ過ぎる。想像の10倍はある大きな雫が、コップを埋め尽くす勢いで落ちる。

「……これは、先が長いわね。大きすぎて困るなんて、他の人から見たら羨ましくて仕方ないのだけれど」

 練習あるのみね、と言ってカミラはコップを掴む。

「魔力は、つながりを断つことで出した水を切り離すことも出来るの。そうすると、ただの水になる」

 コップの上から指先から出す水を注ぎながら、カミラは指をはじく。

 わたしの目の前に置かれたコップにはなみなみと水が入っている。消える気配はない。

「飲んでみてもいいわよ」

 魔法の水。というより魔法で作られた水だが。何で出来ているのか気になるので飲んでみることにした。好奇心には勝てない。

 飲んでみると、ただの水のような気がする。いや、ほんのり甘みがある?これは、美味しい水だ。

「美味しいです!」

「ふふ……良かったわ。水を操る魔法は、火を操る魔法と共にとても大事だから良く練習するのよ。そこの水場の中なら、ひとりで練習しても大丈夫でしょう」

 よし、がんばるぞ!と気持ちを新たにしたとき、結界の間に入ってくる一団がいた。

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