第2話 結界の間
ドンドンドン!と扉をたたく音に邪魔をされて、星空から気持ちを引き戻される。
「すみません!緊急です!お願いします!」
兵士が叫び、しばらくして扉が開いた。
「あらあら、なんの騒ぎでしょうか。何事ですか」
のんびりとした声が聞こえ、見てみるときちんと修道服を着た女性が3人立っていた。顔しか見えないので年齢はわかりづらいが……3人とも20代ぐらいだろうか。若く見える。
背負われているわたしが光っているのを確認すると、事情を把握したらしく、3人は素早く動いた。
「ご苦労様でした。このお嬢さんをお預かりいたします」
そう言うと、3人のうちの1人がわたしをおんぶしようとする。
「あ、自分で歩けますよ」
わたしはおんぶを拒否して自分の足で歩くことにする。
「そうですか、では参りましょう。兵隊さんもありがとうございました」
3人の修道女が胸の前で両手を組んだので、挨拶なのかなと真似をしてみる。
「参りましょう」
とわたしに微笑んでから、手をつないでくれた。また星空が広がる。
……こ、これはー!!
兵士やおじさんとは比べ物にならない輝き。満天の星空。白くとても美しい光たち。
「どうされましたか?」
心配そうに修道女がわたしの顔を覗き込む。
「い、いえ、何でもありません……」
思わずにやけてしまった顔を引き締めて歩き出す。
「私の名前はアルダ。そちらは、ビアンカとチェレステです。貴女のお名前は?」
優し気な顔で問いかける修道女。3人とも若くて美人さんだ。
「わたしはリンカと申します……え、えっと、どちらに行くのでしょうか……?」
アルダの満天の星空を感じながら、何一つ理解出来ていない状況をなんとかしようと質問してみる。
「リンカさん。かわいらしいお名前ですね。今から、修道院の中にある結界の間に参ります。そのままだと、リンカさんも危険ですからね」
危険……まったくわからない……あぁ、考えるのやめよう。
頭の中はちんぷんかんぷんで何が起こってるのかもわからないが、どうせなるようにしかならないと諦めて星空を感じることにする。気持ちの切り替えが肝心。わたしは竹を割ったような性格の女なのだ。
ところで、この星空は何なんだろうか。この人たちなら何か知ってるかもしれないと思って、歩きながら聞いてみる。
「あのお、つかぬことをお伺いしますが、手をつなぐと星空が見えるんですが……これって、何なんでしょうか」
「星空が?私は聞いたことがありませんね。女神の涙の影響なのか……司祭様なら何かご存知かもしれませんが……機会があれば司祭様に聞いてみると良いでしょう」
司祭様か……どんな人なんだろう。それにしても……謎が謎を呼んでるわ……
そうしているうちに、結界の間とやらに到着したようだ。
修道院の奥にあるらしい結界の間は、立派な両開きの扉からしても大きな部屋のようだ。その前でアルダ達が呪文のような祈りを捧げると扉が輝き始める。両扉を手前に開けば、生温い風が血生臭さを運んでくる。
中に入ると左右にズラッと小部屋が並んでいる。2階まで吹き抜けになっていて、同じように小部屋が並んでいるようだ。吹き抜けの天井は高く、複雑な模様がびっしり書かれている。これが何かの結界なのだろうか。窓が見当たらないのに十分明るく感じるのは、何かの魔法なのだろうか。
「さあ、リンカさん。まずは身を清めてから、こちらの服に着替えてくださいね。あと、リンカさんは女神様の雫の経験はおありですか?」
「女神様の…雫?」
「女神様の雫は、女神様の力の顕現によって、女性が1年に1度、痛みを伴いながら血を流す現象です。ご経験ありませんか?」
「血を流す……もしかして、股から?生理のこと?でも1年に1度というのは……」
「セイリというのは存じあげませんが、股から血を流すのはその通りです。では、女神様の雫はご経験されているようですね」
とりあえず頷いておく。
どうやらこの世界では生理のことを女神様の雫というらしい。しかも1年に1度だって?まあ!なんて!羨ましい!
「そして、女神様の涙ですが……女性の中にはとても魔力の大きい方がいて、その魔力が不安定な状態で女神の雫を迎えると、魔力が暴走して爆発してしまうことがあります。今のリンカさんのように体が光るというのは、魔力が不安定になっている状態です。そのまま放っておくと魔力が暴走してしまうかもしれません」
魔力が暴走して爆発……ひぃー!ヤバい!ヤバいよ!そりゃあ兵隊さんたちも慌てるわ!
想像して背筋が凍った。
そんなわたしの様子を見て、アルダは優しく語りかける。
「大丈夫ですよ。この結界の間にいれば、魔力が暴走して爆発するようなことはありません。それにしても……リンカさんはおいくつですか?見た目に反して、信じられないような魔力をお持ちのご様子。そんな大きな光は見たことがありません」
「えーっと……いくつなのかな……多分、13歳?14歳?ぐらいだと……多分……思います……」
現実世界だと20歳なんだけどね!でもこの世界での体年齢はそんなぐらいだと思うんだよね……
「年齢がわからないのですか……貴女はまさか孤児なのですか?」
とアルダはやや悲しそうに言う。
うーん、現実世界には両親もいるし、孤児ではないんだけど……この世界だと身寄りも知り合いもいないから孤児と変わらないよね。よし、ここはひとつ……
「孤児ではないと思いますが、何も憶えていないのでよくわかりません」
……記憶喪失ということにしておこう。
「そうですか……貴女のことは気になりますが、まずは女神様の涙を乗り越えてからにしましょうか。では、ビアンカさん、あとは任せます。いろいろとリンカさんに教えて差し上げてください」
「承知しました。アルダさん」
女神様のご加護がありますようにと言ってから、アルダとチェレステが来た時と同じように呪文のような祈りを捧げて出て行く。
「それでは、まず身を清めましょうか。こちらへどうぞ」
と、奥の部屋へ案内される。その部屋には井戸があった。
ビアンカは井戸から何度も水を汲み、大きな盥に水を貯めていく。
あー、予想通りこれは……水浴びですね。冷たそうですね。シャワーとかお風呂とかないですよね。
もはや恥ずかしさなど吹き飛んでいる。泥んこパジャマを脱ぎ、パンツも脱いで、覚悟を決めて水を被ろうとした時。
「こちらの盥の水をお湯に変えますので、お使いください」
え?水をお湯に変える?それは一体どういう……
ビアンカが盥に片手を突っ込んでしばらくすると、盥から湯気が立ち始めた。
「すごいすごい!何したんですか」
と目をランランと輝かせてビアンカに聞くと、
「水を魔力でお湯に変えただけですが……」
と唖然とした顔で答えてくれた。
……そんな当たり前のことをいまさら?みたいな感じに言われても……魔法のない世界から来たわたしにとってはカルチャーショックなんだけど。
「お清めが終わりましたら、着るものをお持ちいたしますのでお呼びください」
そう言ってビアンカは出ていく。
シャンプーどころか石鹸もないけど、盥から手桶でお湯を汲んで浴びる。全身流して、髪もすすいでおかないとね。ショートウルフカットだからそこまで大変でもないし、手入れも楽である。
それにしても……女神様の雫とやらは、まだのようだ。周期的には確かにそろそろだとは思うんだけど、体が縮んだからあてにはならない気もする。それに、
世界が違うし、いつもの生理とは違うのかもしれない。中学生の時はどうだったかなあ。あんまり憶えてないなあ。
泥んこパジャマとパンツをついでに洗ってから、ビアンカを呼ぶ。
大きめの布をもらって全身を拭く。バスタオルに慣れているわたしにとっては肌触りや吸水性に不満が残るが仕方がない。
何やらいろんな文字が書かれたワンピースを受け取り、頭からすっぽり被る。
革のサンダルのような履物も用意してくれた。裸足卒業である。
「あと、この魔法の下着を着けておいてください。血を吸収してくれます」
おー!魔法のサニタリーショーツ!ナプキンいらず!すばらしい!
……いや、まだ試してないから効果わからないよね。
腰で紐を結ぶようにして身に着けるパンツ。パンツというよりふんどしか。
「貴女のお部屋はこちらです。女神様の涙が収まるまで過ごしてもらいます」
と、1階の一番奥の部屋を案内された。
部屋は3畳ほどで、ベッドと小さな机と椅子があるだけだった。あとは蓋の付いたツボがひとつ。
「このツボはなんですか?」
「それは、トイレです」
……うわー!カルチャーショック来たわー!これって、おまるってことだよね。するのはまあいいとして、後始末どうしたらいいんだろう……トイレットペーパーとかなさそうだし……
「えっと、致した後に拭くものとかって何かありませんか?」
「拭くもの?布でよろしいでしょうか」
「はい、ください。お願いします」
やや怪訝な顔をされたのが解せないが、一安心である。まさかトイレしたあとにそのままというのは気持ちが悪いし、手で拭くというのも避けたいところだ。トイレの中身をどこに捨てればいいのかは、またあとで聞くことにしよう。
「それでは、後ほどお食事をお持ちします。ごゆっくりなさってください」
と拭く用の布を受け取ってから、
「ありがとうございます。お世話になります」
とお礼を言い、ビアンカは出て行く。
はあ、ちょっと疲れたな。お昼寝でもしようかな……この世界で夢を見たら現実世界に帰れたりしないかなあ。
そんな淡い期待を抱きながら、藁で出来た布団のベッドに横になる。目を瞑っても明るいなあと思ったら、そういえば全身発光体だった。眠りにくいなあ。
……そうだ。自分を自分で抱きしめたら星空が見れるんじゃないかしら。
そう思い立って、自分で自分を抱きしめるように両手をクロスしてぎゅっと握る。
次の瞬間、圧倒的な星空が広がる。もはや星空というよりも色とりどりの無数の光に埋め尽くされている空間という感じだ。
美しい輝きたちに満足しながら、わたしは微睡みの中に落ちていった。
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