第三十六話

新井貴子宛の小包が届く。

差出人は水野蒼太とある。

小包の中には手紙がいくつも入っていて、膨らんだ包みも入っていた。

新井貴子は手を震わせ手紙を開いた。

手紙の文面にも名前は記されていないが、明らかに貴子の筆跡だった。


最初の手紙は、昭和十九年十二月と書いてある。

内容は、先月東京で空襲が起き、火災で多くの人が罹災したこと、師範学校の同級生には、地元へ帰ったり疎開先に行ったりする者が多くなってきたことなどが記されていた。

『でも私は、ここでやることがあるから、そちらに帰ることはできない』と力強く最後に記されていた。


次の手紙には昭和二十年一月と書かれており、『大きな工場が狙われているようだが、私がいるちっぽけな工房なんて狙ってくるわけがないわね。

弱音なんて吐かないわ』と記されていた。


昭和二十年二月五日と日付されている手紙には、『先週、東京の中心部で大きな空襲あり。多くの人が亡くなられた模様。私は大丈夫。まだ学校も工房もなんとかやっている』と、走り書きのように書かれていた。


昭和二十年二月二十八日の手紙は、『三日前の空襲では大火災発生。逃げ惑う人が多く、混乱によりさらに状況が悪化した模様』と状況だけ書かれていた。


しばらく日にちが開き、次の手紙は昭和二十年四月二十日となっていた。

『先週の空襲で寄宿舎が焼けてしまった。工房のことを考えると胸が張り裂けそうだが、蒼太に任せ、私は群馬県に一時疎開した。命あってのものだから』


そして、最後となる手紙は、貴子の文字ではなかった。

あまり上手ではない字だったが、とても丁寧に書かれている様子が窺われた。

『新井貴子様

私は水野蒼太と申す者で、豊子さんとは宝石工房での兄妹弟子であります。今回お手紙を書きましたのは、豊子さん、いえ、貴子さんの最期をどうしてもお知らせしたかったからです。四月に一度群馬県に疎開した貴子さんは、どうしても工房のことが気になったと言って、五月になって東京に単身戻ってきました。それまでに住まわれていた師範学校の寄宿舎は燃失してしまっていたため、私が生活しておりました安宿で共に暮らすようになりました。それからしばらくの間、貴子さんは工房に寝泊りして必死で一つの宝飾品を作製しておりました。文字通り寝食を忘れ、鬼気迫る様子で完成を目指しておりました。そしてそれが完成したのが五月二十三日の早朝で、その後丸二日死んだように私の宿で眠っておりました。ところが二十五日の朝に空襲警報が鳴らされると、貴子さんは慌てて工房へ向かいました。どうしても行くと言い、私は止めることができませんでした、今となっては最大の後悔であります。貴子さんは帰らぬ人となりました。その日の空襲は最大規模のもので、工房があった周辺は見渡す限り焼け野原となっておりましたので、助かりようがなかったと思われます。ただ後日、工房の跡地の瓦礫を退かしておりましたら、金属製の丈夫なオーヴンの中に貴子さんの手紙と、大切に革布に包まれた一つの宝飾品が保管されてありました。おそらくこれらの手紙は、貴子さんが出すに出せなかった手紙だと思われます。一緒に送ります。

あまり多くは語ってくれませんでしたが、貴子さんから、あなたとのことを少しお聞きしました。相当の覚悟だったと思いましたので、こちらからはあれこれとは尋ねませんでしたが、貴子さんはいつもいつもあなたのことを気にされていましたよ。

 小包に同封したものは、貴子さんが命がけで作り、命と引き換えに守った宝飾品です。きっとあなたに渡すのが一番良いと思いましたので、お送りいたします。

最後に、貴子さんが口癖のように言っていたことをお伝えします。


『豊子は幸せに暮らしているかしら?

 私はとても幸せよ』


昭和二十年九月 水野蒼太』


革布に包まれていたのは、滴型の深く柔らかい青色の石をたたえたネックレスだった。

黄色い粒状の模様はまるで夜空に浮かぶ天の川のように見えた。


「ラピスラズリ…」


新井貴子は咽び泣いた。

ラピスラズリを握りしめ、何度も何度も泣いた。

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