第三十一話

畳が擦れる音で目が覚める。眠ってしまったみたいだ。父が新しい線香に火をつけていた。


「おはよう」


「寝ちゃってたわ」


「大丈夫。線香は消えてなかったよ」

父が笑いながら言う。

立ち上がり伸びをする。

カーテンの隙間から光が差し込んでいる。

スマホを見ると、まだ6時32分だった。

カーテンを開けると、駐車場の隅に雪が残っている。

窓際は外の冷気が伝わる。


「結構寒いね」


「まだ2月だからね。雪はあまりないけど」

北海道育ちの父にとっては物足りないのだろう。


「確かに少ないね。こっちの雪はこんなもんなのかな?ちょっとコンビニ探してコーヒー買ってくるわ」


僕はコートを着て外に出た。

スマホひとつあれば、見知らぬ土地でも簡単に目的地に辿り着ける。便利な時代だ。


思っていた以上に外は寒かったが、まだ少し紫がかった空に浮かぶ薄い雲や、朝の光を反射する道路脇に積まれた雪の塊を眺めながら歩くのはとても気持ちが良かった。

しばらく歩くと、調べた通りの場所にコンビニを見つける。

レジで勘定をし、コーヒーマシンでコーヒーを二つ淹れる。

斎場に戻ると伯父と伯母が朝食を持ってきてくれていた。


「坊さんが来るのが10時だから、まあ9時くらいからぼちぼち準備しましょう。それまでは適当に、ゆっくりしててください」


伯父も疲れた顔をしている。

喪主なんてそう何度もやるわけではなく、親族への連絡やら、葬儀の手配やら、この一週間いろいろと大変だったのだろう。


朝食を食べていると、母と妹が従兄の運転する車でやってきた。

母たちは身支度を整えると、お茶やお茶菓子の準備を始める。

男たちではそういう細かいところにはなかなか気が付けない。

男や女という括りが薄れてきた現代となっても、いわゆる女手というものは必要なのだ。

しばらくすると、祖母の実家の親戚も顔を見せ始める。

祖母の妹の娘、つまり僕の母の従妹・恵美とその娘・順子がやってきた。

彼女らは祖母と同じ市内に暮らしていたので、僕なんかよりもずっと、祖母と一緒に過ごす時間が長かっただろう。思い出も悲しみも深いに違いない。


「恵美ちゃん、叔母さんは?」

母が尋ねる。


「母さん、来てもわからんもん。留守番さ。あんなに好きだった料理もほっとんどしなくなったのよ」


「そっか。仕方ないわね…」


「そう、みんな歳取っていくのよ。それにしても、おばさん急だったね」


「本当にね。一週間前に駆けつけたときには取り戻したから、ああこれで持ち堪えたかなって思ったんだけどね。それからあっという間の出来事だったわ」


「でも、最後はすーっと安らかに亡くなったって聞いて、安心したわ」


「私も兄貴に聞いただけだけど、そう言ってたっけ。少しは良かったなって思ったわ」


急な最期に看取ったのは長男である伯父と伯母で、その時の様子を母に電話で知らせていたのだろう。


「そういえば兄貴が言うには、亡くなるちょっと前に『貴ちゃん来たから、智恵子のとこ行くんだ』って母さん言ってたんだって」


「貴子おばあちゃんが?貴子おばあちゃんが『貴ちゃんきたから』って言ったの?それ変じゃない?」

なんとも不思議な話に順子が割り込む。


「そうなのよ、兄さんの聞き間違えかもしれないけどね」


「そうだな。俺の聞き間違えかもしれないな」

と、話が聞こえたのか伯父が母たちのところへやってきて言う。


「でもさ、ばあさん、双子だったろ?豊子さんって言ったっけな?妹がいたんだよ」


「え!そうなの?私聞いたことなかったわ」

順子が驚いて声を上げる。


「早くに亡くなってしまったらしくてね。うちの母さんもほとんど話をすることなかったわ。別にあんたに隠してたわけじゃないけど、私もあんまりよく知らないのよ」

と恵美おばさんが言う。


「うちのばあさん、ちょうど順ちゃんが生まれたあたりからは、そっちの家に遊びに行くようになったけど、それまで、ほっとんど実家に帰ることなかったんだよな」


「確かにそうだったわね」

恵美おばさんが伯父の話にうなづく。


「俺が思うに、あれって順ちゃんが産まれたからじゃなくってよ、ばあさんたちの両親がいなくなったからなんじゃないかって。順ちゃんが生まれるちょっと前に亡くなったでしょ」


「タイミングとしてはそうだけど…。そんなことあるのかしら?まだ自分の孫がいなかったから順ちゃんが可愛くて遊びに行くようになったんじゃないの?」

母は伯父の話に懐疑的な様子だ。


「もしそうだったとしても、それと貴子おばあちゃんの言葉、なんの関係があるの?」

順子がもっともな疑問を伯父にぶつける。


「俺が思うには、だよ?貴子ばあさんには親には会えない理由があって実家に帰れなかった。嫁に行った体面上、実家に帰りづらかったのかもしれないけど、旦那さんもそれより前に亡くしてるし、それだけが理由とは考えづらい」

母たちだけでなく、斎場にいる人たちが耳を傾け始めた。


「それで、さっきの死ぬ前に言っていた『貴ちゃん来たから、智恵子のとこ行くんだ』ってやつが、俺の聞き間違えでなくて、本人の真実の言葉だとしたら…」

一瞬の沈黙。誰かが咳払いをする。


「…俺たちが貴子ばあさんだと思ってた人は、実は豊子さんなんじゃないかって」

皆、耳を疑った。


「そんなこと、あるわけないじゃない…」

否定してみたものの、いまいち自信がない様子の順子。伯父が説明を続ける。


「双子の二人は、親にも秘密で入れ替わってその後の人生を歩んだ。智恵子叔母さんは、何らかの事情で、まあ姉妹だけの秘密とかそういうので、そのことを知っていた。だから両親が死んだ後には交流が再開した。なんてね。ま、そんなことが有り得るとは俺も本気では思ってないけど。でも俺は、あの人、貴子ばあさん、なーんか怪しいと思うんだよなあ…。俺はね」

斎場内はざわつく。みな、伯父のとんでもない発言に対し、ああでもないこうでもないと話を始めた。


「貴子ばあさんは墓場まで持って行ってしまったからなあ。智恵子おばさん、何か話してくれないかなあ?」

伯父が好奇の顔で恵美おばさんに言う。


「結構進んじゃってるからねえ。どうかしらねえ」

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