第三十話

富子と智恵子が手洗いに行っている間、豊子は所在なくあたりを見回していた。

すると、

「あのぉー、若奥様ぁ。これはどちらへおいたら良いでしょうかぁ?」


この葬儀のために手伝いに来た近所の者だろうか、お悔やみの献花を抱いている。


「あ、え、えーと…」

貴子と間違えられたのだろう。

おそらく奥の部屋に置いておくのだと予想がついたので、献花を受け取り奥へ向かった。


「…ここでいいのかしら?」

ひとり言を囁く豊子。


後ろから突然声がかかる。

「豊子さん、ありがとう」


「あ、耕太郎さん。お花、ここで良いですか?」


「はい、そこに置いといてくれれば」

耕太郎の顔には疲労が浮かんでいる。


「お忙しそうですね」


「こんなに大変だとは思わなかったよ。でもちょうど良かったわ。忙し過ぎて泣く暇もないから」


「あら、お母様のために泣いて差し上げてないの?」


「あんたは母の前で泣いてくれてたね」

見られていたことに驚き少し恥ずかしくなる豊子。


「母を亡くすなんて、私は想像もしたことなかったの。お母様の無念さとか、残された人のやり切れなさとか、それにあなたの寂しさとかを想像したら、涙が止まらなかった」


「あんた、優しいんだな」


「そうかしらね」

少し戸惑う豊子。


「役目を終えるまで、毅然としているあなたは強いのね」


「……。強くなんてないさ。今にも泣いてしまいそうだ」


「それなら泣いたらいいじゃない」


「かっこ悪いじゃないか。男が女の前で泣いたら」


「そんなの昔の人の考えよ。って、貴子なら言うわ。別に何かに負けて泣くわけじゃないのよ。もうお母さんと会えないから、寂しいから、辛いから泣くの。それでいいじゃない。これは私の言葉よ」


「ふふっ」

耕太郎は笑いながら涙をこぼした。

一粒の大きな涙がこぼれ落ちると、堰を切ったように次から次へと涙が溢れ出た。

豊子は、首を垂れ嗚咽を漏らす耕太郎のそばに寄り、頭を優しく撫でる。

耕太郎は堪えきれずに声を出して泣いた。

額を豊子の肩に乗せて。



「豊ちゃんどこ行ってたの?探したのよ?」


「ええ、そこで献花を受け取ったものだから、奥の物置部屋へ行っていたの。遅くなってごめんなさいね」

智恵子に答える。


「それじゃね、貴子。いろいろ大変でしょうけど、新井家の力になるのよ」


「はい、お母様。みんなも気をつけてお帰りになって」

貴子は残り手伝いを続けるが、他の四人は列車に乗り自宅に帰る。


「あ、豊ちゃん、帰りは寒いわよ。風邪ひかないように。はいこれ」

と、自分の首に巻いていたショールを外し、豊子の肩にかけた。


「あ、ありがとう。貴ちゃん…」


帰りの列車の中、智恵子は富子の肩に寄りかかりうとうとと寝てしまっていた。

座席はほとんど貸し切りだったが、豊子は立ったままで、車窓から真っ暗な外を眺めていた。

列車の中のオレンジ色の明かりが反射した窓の向こうに見える。

豊子は、貴子から借りたショールの下に手を入れ、濡れた肩を確かめるように抱いた。

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