第二十七話
伯父と従兄は自宅に戻り、僕と父が線香を絶やさぬ係りを引き受けた。
静かになった部屋には絶えず線香の匂いが漂っている。
父の実家にも母の実家にも仏間があった。
線香をあげ、手を合わせ目を瞑り、世界平和や家族の安寧を願ったりしていた。
僕は信心深さの欠片も持っていないが、調子良くお願いだけはするタイプの人間で、神様も仏様もご先祖様もひっくるめた何かに平和と安全をお願いをしていた。
ただ、さすがに祖母の遺体を目の前にして何かをお願いする気にはなれなかった。
祖母は、窓のついた箱の中に横たわり、静かに目を瞑っている。
化粧も施され、詰め物のせいだとは思うが、ふくよかな顔貌は92歳には見えない。
父はいつの間にか寝息を立てている。
単身赴任先の関西から一度横浜に寄り母と来たのだ。疲れていたのだろう。
この部屋で意識があるのは僕しかいない。
そういえば、祖母とはよくお昼寝をした記憶がある。
夏休みに遊びにいくと一緒にお昼寝をした。
たぶん、小学校の低学年の時の記憶だと思う。
昼下がりに、おばあちゃんの部屋で、妹と祖母と3人でお昼寝をした。
おばあちゃんの部屋は、仏間の隣で、北側に面しているためか、いつも薄暗かった。
そしてさらに、ガラスケースに飾られた二つの日本人形がとても不気味で、おばあちゃんの部屋はとても苦手だった。
特に暗くなってから出入りするのは恐ろしく、夕ご飯前に仏間に行かなくてはならない時には、息を止めてさっと走り抜けていた。
よく考えれば、おばあちゃんの部屋だけではなく、当時まだ汲み取り式だったトイレは薄暗く、そこら中に蜘蛛の巣も張っていて気味の悪い感じだった。
それなりの都会に住んでいた僕にとって、おばあちゃんちは薄気味悪いところだらけだった。
でもその薄気味悪さは、自然や先祖、神仏への畏怖というか、そう言うアミニズム的な感覚に去来するものだったのかも知れない。
小さな池に棲む黄緑色の雨蛙や、天に向かって伸びる朝顔、可愛く揺れるホオズキなどが、小さな命への愛情を、高くそびえ到底抱えることができない杉の大木や、何か秘密が隠されているような崩れかけた蔵などは、えも言われぬ力のようなものを感じさせてくれた。
そういった、自然や目に見えない何かを不思議に思う感覚、いわゆるセンスオブワンダーを研ぎ澄ます経験ができたのかも知れない。
毎回、お盆が終わり横浜に帰る日には、タクシーか伯父さんの車で駅まで向かう。
玄関先で僕たちを見送くる祖母は、姿が見えなくなるまでずっと手を振ってくれていた。
僕はと言うと、お別れが寂し過ぎて、いつも泣きべそをかきながら手を振り返していた。
もう二度と会えないのではないかという寂しさと、僕たちが帰ってしまったらおばちゃんは寂しいだろうなという勝手な思いが重なり、堪えきれなくなってしまっていたのだ。
思い返すと、僕はとにかく泣き虫だった。
自分でもわけがわからないくらいすぐに涙が溢れた。
勝手に他人の感情を想像して感極まるという、多感な子どもだったのかもしれない。
そんな泣き虫な僕のことを祖母は、他人のことを思いやれる優しい子だと褒めてくれていたと、母から聞いたことがある。
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