第二十六話
小学4年生の夏休みに、3つ下の妹と二人だけで新幹線に乗り、おばあちゃんちに行ったことがある。
二人だけと言っても、添乗員が小学生たちと一つの車両に乗り、子どもたちを目的駅で降ろすという旅行会社だか鉄道会社の企画で、ワイワイ賑やかな旅行だったと記憶している。
初めは大勢の子どもたちで楽しくはしゃいでいたが、僕たち兄妹は終点に近い駅が目的地だったので、停車するたびに減っていく子どもの数に、だんだん寂しく、不安になっていったのを覚えている。
妹と一緒だったので一人ぼっちではないし、添乗員がいたので乗り過ごすこともなかったのだけど、車両の中は喧騒と引き換えに不安が満たされていくように感じた。
おばあちゃんちがある駅の名前がアナウンスされると、添乗員に促され荷物をまとめ、扉の前で降りる準備をする。
新幹線の速度が落ち、扉窓の外に祖母の顔が見えたときには、ほっとしたのと同時に、達成感みたいなものを感じた気がする。
中学や高校生になってからは、部活もあり、おばあちゃんちに行くことも少なくなってしまった。
どちらかというと親の言うことを聞く良い子だったつもりだが、それなりに、おばあちゃんちに行くなんていうことはダサいと感じてしまう年頃だったのかも知れない。
いずれにしろ、その頃のおばあちゃんちの記憶はない。
何年ぶりだったのか、大学2年生の時に祖母の家を訪ねた。
その時は正真正銘ひとりでおばあちゃんちに向かった。
新幹線ではなく飛行機で向かい、そこから電車とバスを乗り継いで行った。
バスに揺られ祖母の家に近づくにつれ、記憶の中とほとんど変わらぬ景色が映り込み、懐かしさが胸に溢れた。
実はこの時の訪問は、葬儀に参加するためのものだった。
母の妹、僕の叔母が病気で亡くなってしまったのだ。
その15年くらい前にも、母の姉、祖母の長女が病気で亡くなっていて、祖母は相当なショックを受けていたと聞いた。
叔母の葬儀に祖母の姿はなかった。末娘の死を受け入れられず、部屋から出てこなかったらしい。
僕にとっては、自分に近しい人が亡くなった初めての出来事だった。
祖父の一人は僕が生まれた後に亡くなったので、記憶にないというだけだが。
いずれにしろ、葬儀に参加したのは中学と高校の時に級友が病気で亡くなってしまって以来で、親族では初めてのことだった。
しばらくぶりに会う伯父や伯母、従兄と近況を伝えあったりと和やかな雰囲気で式は始まった。
それでも、式が進み叔母とのお別れの時がやってくると、過飽和点を超えた水蒸気のように式場の空気中に寂しみの粒が現れ始めた。
母が涙をしているところを見てからは、僕の体にもその粒が入り込んできてしまい、悲しさがどっと込み上げて来た。
僕自身には、叔母との思い出がたくさんあるわけではなかったけれど、母と叔母の姉妹としての在りし日の姿を想像し、まだ壮年の妹を失った母のことを思うと、悲しみでいっぱいになってしまい、従兄が引くほど泣いてしまった。
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