第二十三話

朝九時、豊子は面接会場に向うために、一足先に宿を出発していた。

部屋の片付けや帰る準備を終え、富子と貴子が宿を後にした。


「それじゃあ私は叔母のところへ行ってきますね。貴子、あなたくれぐれも時間に遅れないようにするのですよ」


「はいはい。わかってますよ。十五時に東京駅でしょ?もう子どもじゃないんだから」


富子は千葉に住む叔母に会いに行くため、帰りの列車の時間まで二人は別行動となった。

貴子は、見たこともない叔母に会いに行くのは億劫だと言い、東京見物をすることにしたのだった。


「それにしても、建物だらけね」


一人で歩いていても声に出さずにはいられない貴子。

どこもかしこも高い建物に囲まれ、少し息苦しく感じた貴子は、少しでも空がひらけて見える場所を探して歩いた。

自然と低い建物が多くなる中心から外れた方へ歩を進めることになった。


ぱっと視界が開けたところで、煉瓦造りの建物の二階部分にある看板が目に映り込んだ。

重厚な字体でこう書いてある。

『安達宝飾工房』


「ほうしょく…こうぼう?」


店の中は薄暗く、離れたところからはよく見えなかった。

ガラス窓から中の様子を覗こうと建物に近付く。

窓ガラスの奥には木製の棚が並び、ショーケースが置かれている。

その中に、指輪や耳飾り、首飾りなどが飾られていた。


「うわあーっ」


窓ガラスにおでこを押しつけ工房の中を覗く貴子。

年頃の女の子であれば、誰もが憧れるような宝飾品の数々。

ところが貴子の口から出た感想は少し違った。


「こんなものが作れたらいいのに!」


貴子の視線が捕らえて離さなかったのは、深く静かに青く光る宝石のついた首飾りだった。

他の首飾りよりもずっと地味な革製の紐の先には、しずく型に削られ磨かれた青い石が付いていた。


「ラピスラズリ…」


「お、良くわかったなあ」

急に後ろから声がして慌てて振り返る貴子。

そこにはハンティング帽をかぶり、薄汚れたつなぎを着た青年が、革製のトランクを手にぶら下げ立っていた。

青年を上から下へ見回した貴子は、

「あなた、あの時の宝石職人見習い」


「ああ、そうだよ。お前、温泉宿であった子だね。まさかもう一度会うなんて、思いもよらなかったなあ。こんなところで何してるんだい?」


「私は妹の受験の付き添いで東京まできたのよ。あなたこそ、何しているの?」


「何って?ここ、俺の働いている工房なんだけど」

建物を指差し、笑いながら答える蒼太。


「あら、そうなの。それなら話が早いわ。私、ここで働きたいの。雇ってもらえないかしら?」

唐突に貴子が蒼太に告げた。


「働きたいって、お前、妹の付き添いで東京に来たんだろ?妹はどうするんだよ。そう言えば、お見合いするとかって言ってなかったか?」

突然のことに驚き矢継ぎ早に質問を重ねる蒼太。


「そう、わかってるわ。いろいろ解決しなくちゃならない問題があるわね」


自分から唐突に言い出しておいて、勝手に解決した様子の貴子に呆気に取られる蒼太。


「そ、そうか。まあ、頑張れよ。うまくいくと良いな。そうだ、せっかくだから店の中見て行けよ。見てみたいだろ?」

店の扉の鍵を開けながら蒼太は続ける。


「俺もさ、2年前に実家を飛び出して無理やりに雇ってもらったんだ。お前の事情はよくわからないけどさ、応援してるよ」


「うん。ありがとう」


「なんてったって石は最高なんだよ。職人の技術や想いによって、いくらでも輝き方が変わるんだぜ。師匠は、完成した宝飾品を身につけた人たちの顔を想像しろって煩いけど…、とにかくもう、最高の仕事なんだって」

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