第二十一話
特に意味はなかったが西の方から旅を始めてみることにした。強いて理由を挙げるとしたら、あまり行ったことがなかったからだ。
僕は生まれも育ちも横浜だが、父が北海道、母が東北出身で、夏休みや冬休みには祖母の家というのがお決まりだったため、それ以外の場所へ旅行に行った記憶はあまりない。
大学院生のときに、研究船で沖縄を出港し鹿児島に着港したことがある。そんなこともあり、鹿児島県から旅を始めることにした。
研究室の仲間と行った天文館にも寄ってみたが、とても一人でかき氷を食べる気分にはなれなかった。その後、レンタカーを借りて、高千穂を観光し、阿蘇山に寄り、学会で一度だけ訪れたことがあった博多まで移動した。そこから列車で広島に向かい、ここも学会で訪れたことのある酒都西条に立ち寄った。
自分を探す旅に出てみたが、なんとなく、過去の自分の足跡を辿る旅になってしまっていた。
どこかに自分の抜け殻みたいなものが落ちていないかを探しているのかもしれない。
単純に、全く知らない土地にいく勇気がないだけなのかもしれない。
流行の終わった自分探しの旅では、やはり自分など見つけられないのかもしれない。
そういえば昔、少し年上の研究仲間が『いくら自分のことを見つめていたって本当の自分なんて見つからない。
自分のことを知りたければ他人とたくさん会話することだ』と言っていた。
他人は自分を映す鏡で、そこに映る姿が本当の自分なのかもしれない。
広島の後に行った岐阜県のとある街のビジネスホテルのベッドに仰向けになりそんなことを考えていた。もちろんここも出張でよく使っていたところだ。
スマホの着信音が鳴る。画面を見ると、実家の電話番号が表示されていた。
「もしもし」
「あ、母さんだけど、いま良い?」
「うん。どうしたの?」
「あのね、お婆ちゃん、亡くなったって、連絡来たんだ」
母方の祖母、つまり電話の先にいる母親の母親が亡くなったと言う連絡だった。
しばらく前から介護施設に入所していたのだが、ここのところ具合が悪いと言うことは聞いていた。
十日ほど前に一度危篤状態になった祖母のところへ駆けつけたが、一命を取り留めたため、母は自宅に戻り一安心していた矢先だったようだ。
92歳と歳も歳だったし、ある程度の覚悟はしていたようだが、ショックを隠しきれない様子がスマホ越しにも伝わってきた。
「そっか。まあ、たくさん生きたからね。そろそろ休む時だったんじゃないの?」
慰めの言葉が見つからず、他人事のようなに言ったことを少しだけ後悔した。
母の返事を待たずに、
「式とかはいつなの?」
と質問する。
「金曜日がお通夜で、葬儀が土曜日だって。あなた来れる?」
仕事を辞めて少し旅行に行くとは告げていたが、どこに行くとも伝えていなかったので、当然の質問だった。
「うん。特別予定はないから。金曜の午前中に着けるようにいくよ」
「そう。ありがとう」
「あ、礼服とか持ってないから、向こうで作らなきゃ。どこか紳士服屋あったっけ?」
「駅のそばにあるっけよ」
突然、郷の言葉になる母。さっきまで伯父と電話していたのだろう。
「わかった。じゃ、金曜に。ま、とりあえず元気で」
通話を切る。
気ままな旅はここでひと息入れることになった。
祖母の顔を思い浮かべてみる。
いつもニコニコと笑顔なのだけれど、少しだけ寂しさを漂わせていたような気がするが、どうだったのだろう?
僕は祖母のことをあまりよく知らない。
父方も母方も、祖父は僕が生まれる前もしくは生まれてすぐに亡くなっていた。
だから僕の家では、親の実家に帰省することを、おばあちゃんちに行く、と言っていた。
母方のおばあちゃんちには、伯父と伯母(母の兄とお嫁さん)、それに僕の一つ年上の従兄が一緒に暮らしていた。
一人っ子だった従兄は僕を本当の弟のように可愛がってくれた。
夏休みに訪れる僕のための自転車を用意してくれ、二人で遠くまでサイクリングをして、大きな河原で遊んだ記憶がある。
当時僕は、なぜか石を集めるのが好きで、色々なところで感じの良い石を拾っては持ち帰っていた。
従兄といった河原も例外ではなく、青緑色の石が今でも実家に残っているはずだ。
夏休みに遊びにいくことが多かったからか、おばあちゃんちの記憶は畑で採れたトマトや茄子、枝豆やとうもろこし、じゃがいもと一緒にある。
隣の家が数十メートルも離れたところにあり、その間には田んぼや畑があり、おばあちゃんちの周りにはいわゆる田園風景が広がっていた。
農家ではなかったが、敷地の一角に畑があり、そこで野菜や花を育てていた。
きっと、僕たちが帰省するのに合わせて収穫ができるように育ててくれていたのだと思う。
帰省しなかった年には、段ボールいっぱいのとうもろこしが横浜に送られてきていた記憶がある。
祖母は50代で夫を亡くしている。
どのような祖父だったのか、僕はよく知らないのだが、どんな顔をしていたのかだけは知っている。
祖母の家の仏間に遺影が飾られているからだ。
そして写真を見る限り、かなりのイケメンだったと推測される。
見た目はさておき、何をやっていたのか、少しだけ伯父から話を聞いたことがある。
祖母の家の近くを少し大きな道が走っていて、その傍らに農業共同組合の地という石碑が立っていて、どうやら祖父が関係していたものらしい。
今は農協の小さな支店が立っていて、苗や野菜が売っているだけだが、この地域の農業の中心地だったことが石碑に記されている。
つまるところ、祖父母は農家ではなかったが農業関係者で、組織を運営する側だったのじゃないだろうか。
何十年も昔、昭和の時代にこの地域で農業がどんな立ち位置だったのか見当もつかないが、きっと地域のために力を尽くしていたのだろう。
おばあちゃんちよりも中心地に近いところに、いつも訪ねる親戚の家があった。
なにやら僕の両親の仲人になってくれた親戚らしく、祖母の実家でもあるらしい。
ずっと昔に吸収合併されてしまったらしいが、地方銀行を興した家だと聞いた。
祖母はその家の長女で、銀行は末娘のお婿さんが継いでいたと言うことも聞いたことがある。
実は祖母は双子だったらしい。
一昔前、双子の百歳のおばあさんがメディアで取り上げられてはいたが、医療技術が未熟だった当時では、そこそこ珍しかったのではないだろうか。
そういえば、祖母の双子の妹は一体どこで何をやっているのだろうか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます