第十四話
咲季と出会ったのは、大学1年生のときだった。
僕たちが通った大学の講義の多くは選択制だったので、高校生までのとは少し意味合いが違ったが、僕と咲季はクラスメイトだった。
講義ではバラバラだったが、クラス単位で活動する行事がいくつかあり、その際たるものは大学祭だった。
1年生はすべてのクラスから出し物をすることになっていて、入学して早々、企画や準備などクラスメイトと仲良くなるために用意されたイベントだった。
地方大学に集まり一人暮らしを始めた仲間たちは皆、人肌恋しく、寄り添って日々を送っていた。
高校生までは文化祭など見向きもせず生きていたが、まんまと僕も大学祭を存分に楽しんだのだった。
まだ大学での飲酒規制もゆるい時代だったこともあるが、隣の焼き鳥屋を開いていたテニスサークルが泥酔した末のボヤ騒ぎを起こす中、僕は人生初めての彼女を手に入れていた。
咲季は自宅から通う、いわゆる自宅生だったし、僕は学生会館で生活していたので、男子大学生が憧れる同棲生活のようなことにはならなかった。
デートはもっぱら大学の講義の後で、大学の図書館で課題をやったり、街をプラプラしたり、映画を見たりするくらいだった。
そんなふうにのんびりした空気の中、4年間を共に過ごした。
僕は大学院に進学すると同時に四年間過ごした学生会館を出た。
引っ越した先は一戸建てだった。1階がガレージになっている3階建て。
そこで僕は咲季と暮らしたわけではなく、元クラスメイトの男友達3、4人で暮らした。いわゆるハウスシェアというやつだ。
今考えると、よく二十代半ばのどうしようもない男たちに家を貸してくれたなと思うが、まあ少なくとも家賃はきちんと払ったし、その家から皆が出ていくことになった後には、普通の家族が普通に暮らしたと聞いたので、原型を留めたまま返却できたのだと思う。
2階部分が和室1部屋とLDKで、三階に洋室が2部屋あった。
3、4人で暮らしていたと曖昧に表現したのは、時期によって人数が増減していたからだ。
一番初めは3人で暮らしていたので、部屋数がぴったりだったのだが、途中から留学先の北極圏から帰ってきた友人が居間で暮らすようになった。
全部で5年暮らしたのだが、2年経ったところで就職した友人が出て行き、リビング暮らしの友人に3階の一部屋が与えられた。
そしてその3階の2人はお笑い芸人を目指し始め、毎晩ネタ合わせという名の練習を繰り返していた。ガムを踏んづけて足が動かなくなると言うコントの練習をしている時には、深夜に上の階からドタバタと足音が響き続け、結構迷惑だった。
まあ何はともあれ自由で楽しい野郎暮らしだったのだが、それに終止符を打ったのは僕の首都圏への就職だった。共通の友人をたくさん呼び、朝まで解散式を行った。
僕と咲季の話題に戻すと、このタイミングで結婚すると言う選択肢もあったのだけれど、咲季は地元ですでに就職していたし、僕は僕で就職とは言っても期限付きの研究員としてで、いつ職を失うかわからないという漠然とした不安を抱えていた。
なんとなく踏ん切りがつかないまま遠距離恋愛という形となり、半年が過ぎようとしていた。
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