第十話

ピピピッ。ピピピッ。目覚ましのアラームがなる。

アラームを止め、ベッドの上に起き上がる。

カーテンの隙間からは、まだ陽が差し込んでこない。

AM4:30。

ここ半年くらい、毎日この時間に起きている。

明かりをつけ、枕元に置いたノートパソコンを開く。

まずはメールの確認。学会や出版社からの英語のメールが3件。パソコンのソフトウェアからのお知らせメールが1件。

そして、同じ研究所の共同研究者からのメールが1件。

受信時刻はAM4:16。

僕よりも早く起床し、すでに仕事をしている証だ。

メールの内容は、先日頼んだサンプルのデータはどうなっているかとのこと。

データはすでに取り終わっていた。だが、どうしても1つだけ傾向からはみ出た値のサンプルがあり、その解釈ができず、報告を躊躇していた。

もう一度データを眺めてみる。

やはり1つだけ傾向から外れた値がある。このまま報告すれば、この外れた値をどう解釈しているのか?と質問メールが来るだろう。

残念ながらしかし、僕は答えを持っていない。

一方、解釈が終わっていないので待ってくださいと報告すれば、さっさと解釈しろ、できないならこちらで解釈するからとにかくデータをよこせ、と言われるだろう。

結局のところ、僕が解釈をしたところで、同僚はそれより優れた解釈をするのだ。

論理的に考えた結果、さっさとデータを伝えるべきだと考えた。

情熱的な研究者であれば、この1つのはみ出したデータは何か特別な意味を持っていて、きっと何か重要なことを示唆しているに違いない、これは大発見だ!と興奮するのだろう。

でも、分析したデータも、自分のことも信じられない僕にとっては、負の刻印でしかなかった。

しょせん、僕がする解釈など意味を持たないのだ、とデータだけをメールで送った。


ひとまず目の前の仕事がはけたので、論文を読み始める。

自分の研究と似た研究論文や最新の論文を読むことは、研究者にとって欠かすことのできない基礎練習みたいなものだ。

研究というのは、過去の研究の上に成り立っているもので、決して独立した完全オリジナルなものではない。

そのため、自分の研究を世の中に論文として発表する際には、過去から現在までの世界中の研究結果を引用して発表するため、たくさんの論文を読んでおく必要があるのだ。

たった1パラグラフ、論文を読んでいただけでメールが返ってきた。


『何か人為的なミスの可能性はない?絶対ない?もしないなら、このデータはとても面白いかもしれない』


−−絶対にミスがないか?ないとは思っているけれど、絶対かって聞かれると、わからない…。


『人為ミスはないと考えています』

とメールを返すと、すぐに返事が来る。


『お前が考えているかどうかなんて聞いていない。あるのかないのかって聞いているんです』


−−んなこと言われたって…。


『絶対かと言われると、100%の自信はありません。もう一度分析したいので、もう1日だけ時間をください』


こうメールを返信すると、ベッドから抜け出し、パジャマを着替える。

とにかく急いでもう一度分析のやり直しをしなければ。

でも、いつまでもこんな対処療法では、どうにもならない。

トイレに行っている間に返事が来ている。


『そんな対処療法ではこの先も思いやられるよ。しっかりしてくれよ』


僕は乱暴にパソコンの電源を落とし、うつ伏せにベッドに倒れ込む。

布団で顔を覆い大声で叫ぶ。


まだ朝の5時だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る