第五話
「あぁ〜、美味しかった〜」
お膳が下げられると、智恵子は後ろに倒れ、お腹をさすりながら言った。
「こら!智恵子!」
富子が大声で叱る。
「まあまあ、富子さん。たまにはいいじゃないですか。今日は特別なんですから」
「でも、あなた」
「まあまあ、富子さ〜ん、たまにはいいじゃないですかあ」
智恵子がふざけると、旅館の部屋は家族の笑い声に包まれた。
「やっぱり温泉は良いわね。ご飯はおいしいし、山の中だからか、街よりも少し涼しいし」
貴子が言うと、
「そうね、なんだか時間がゆっくり流れているような、贅沢な気分になるわね」
と豊子も言った。
「お母さん、これまでの家族旅行の中で一番楽しかったわ」
と富子がしみじみと言う。家族五人揃っての旅行はこれが最後かもしれないという富子の思いが、少し寂しさを匂わせた。
来年の春には高等女学校を卒業していて、二人は家を出る。
富子がそんなことを考えていると、智恵子が尋ねた。
「貴ちゃんは本当にお見合いするの?」
「そうよ。私は豊ちゃんみたいにやりたいことがあるわけじゃないし」
「やだわ。やりたいことってわけじゃなくて、もっといろいろなことを知りたいって思っているのよ」
「そんな細かいことはどうでもいいのよ。とにかく豊ちゃんは、東京の師範学校に行って、たくさん何かを学ぶ。私はどこかに嫁いで、その家の暮らしを楽しむ。それだけよ〜」
「貴ちゃんだってお勉強できるのだから、師範学校に行ったらいいじゃないの?ねえ、お父様?」
智恵子が喜三郎に話を振る。
「まあ、本人のやる気が一番大事だからね。無理矢理に東京へ行っても、何も得ることはできないのではないかと思うよ」
「そうよ、そうよ。そんな人が東京に行ったって、すぐに帰ってくるのが落ちよ」
貴子は人ごとのように賛同する。
−−私は、東京で何かを得ることができるのだろうか?本当に大丈夫だろうか?
皆のやりとりを聞いていた豊子は、そこはかとない不安が胸の奥底からぽこっとぽこっと湧き上がる気分がした。
「それに、師範学校なんて行ったら、卒業する頃にはもう二十歳よ。私行き遅れちゃうのは嫌だわあ」
貴子の言う冗談に、家族が笑うが、豊子だけは心の底から笑うことができなかった。
−−私は東京に行って幸せになることができるのだろうか?
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