ロイトとライメ

 潮風の匂いに混じって、香草や料理の匂いがしました。町の方から人々のざわめきが、まるで波音のように聞こえてきます。お客さんを誘うはきはきとした声、家族や仲間と楽しそうに話す声、そしてときどき、喧嘩をするような怒鳴り声。声と声は重なりあいながら打ち寄せて、その間を本物の潮騒が抜けていきます。

 ロイトは壁に寄りかかって、じっと町のにぎわいに耳を澄ませていました。すると、ぱたぱたと軽やかな足音が近づいてきます。

「あっ、お兄ちゃんこんなとこにいた!」

 妹のライメの声でした。声のする方を見ると、ライメがよく日に焼けた頬を膨らませ、腰に手を当てて立っていました。ロイトと同じ黒っぽい紫の長い髪の毛が、まるで細工物に使う綺麗な貝殻のようにつやつやと光っています。

「お祭りの準備、手伝うって約束したでしょ!」

「父さんが勝手に言っただけだよ」

 ロイトはぷいとまた町の方を向きました。今日は一年に一度のお祭りの日です。海風が変わる春の頃、夜になると光る不思議な生き物が、群れになって近くの海にやって来ます。その生き物は海の守り神の御使いで、町ではその訪れに合わせてお祭りをするのです。

「でもわたし、薬草の本が欲しいの。それで、お父さんが、お母さんのお手伝いをしたら買ってくれるって」

「町には魔女様がいるんだから、ライメが勉強しなくたっていいのに」

「魔女様だって、ずっとひとりで薬を作ってたら寂しいと思うの」

 ライメの大きな目がきらきらと光っていました。これもまたロイトと同じ、明るい茶色の目でした。また始まった、とロイトはこっそり呆れます。妹は本当に昔話の魔女様が大好きなのです。

「だったら、ライメだけで母さんを手伝えばいいだろ」

 そう言ってロイトは遠くの海を見ました。お祭りを楽しむために来た人や、お祭りで物を売るために来た人を乗せて、いつもより多くの船が町の港を目指しています。

「おれは、父さんみたいにずっと陸で荷物ばかり運ぶ小さい男にはならない。船乗りになって、こんな町なんか出てってやる。だから父さんに買って欲しいものなんか無い」

 ライメがロイトと海の間に割って入りました。

「わたしだって、一人でお母さんを手伝おうと思ったよ」

 すっかり膨れっ面で、ロイトが首を動かしたり体を傾けたりしていくら避けても追いかけて来ます。

「でも、お母さんが、まずはお兄ちゃんを連れて来なさいって」

 ロイトはやれやれと溜息をつきました。

「……分かったよ」

 こうなったライメには敵いません。どんな手を使っても一緒に帰ろうとするでしょう。今のロイトにできることは、妹に泣かれる前におとなしく帰ることだけです。

「お母さん、お兄ちゃんの好きな魚の包み焼きを作るって」

 さっきの膨れっ面はどこへやら、ライメはにこにこと嬉しそうにロイトの後をついて来ます。ロイトは黙って、石畳の隙間に生えた草を蹴飛ばしました。暖かな潮風が緩やかに吹いていきます。

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